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いつまでもNEVERLANDにいられない。オレは、現実を生きる。

こうして、相川七瀬と同じ道を選んだわたしは、現実主義の中二病という錯綜した物語から抜け出し、40歳にしてめでたく高二病に転職した。姓名判断で「大器晩成」と書いてあったら、遅い歩みでも問題ないのだ。さあ、逃げて引きこもるくらいなら、外に出て戦おうぞ。そう、退屈と。


現実は、退屈である。この退屈に滋味を感じられるようになったら大人さと、出張の合間にラーメンを食べては、Twitterに投稿する毎日よ🍜

現実は、残酷である。認められない人をも、受け入れなければいけないときがある。

お代官様、そんなご無体な……と白洲で嘆いてみせても仕方ないのだ。じっとこらえて、観念する。そう、これが男の修行。ゆらり、山本さんの男道が見えたような気がして、立ちすくむ。そっちは、行きたくないよおぉ。

言いたいことも言えない世の中なんて、なんちゃららである。とかく、人の世は住みにくい。


しかし、この場所は、不思議だ。言うなれば、NEVERLANDと現実のハイブリッド。中庭から下剋上と高らかに吠える人たちの歌が聞こえたかと思えば、この場の主が経営の難しさを語る。どういう世界観……?

結果、いやな感情が出るから話さないでいた物語を、自分も話してしまう。恐ろしい、恐ろしいもの。


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オンライン研修を受けていたら、ドア向こうから怪しい歌が聞こえてくる…

ここは、大阪の釜ヶ崎の「ココルーム」。冬季、大阪に置いてあるバイクのバッテリーが上がらないようにエンジンをかけるため月1回くらい大阪に来るとき、だいたいここに泊まってる。

現実的な幻想、幻想的な現実、どっちでも良いが、この錯綜に芸術性を感じる!と思ったのだが、そもそも芸術とはなんなのだろう。定義をつけられない言葉は、使うべきではないね。

もとい、芸術はわからないけど、この希少性が高く鮮やかな発露を、いつまでも見続けていたい。


でも、来年は、来れないかもしれないな。

ややもすると、今年が最後になるかもしれない。おとなしく、バイク屋さんに冬季保管していただこう。鮮やかな希少性が見られなくなったとしても、やらなきゃいけないことがある。

とはいえ、なんだかんだ、大阪出張があれば来そうな気もする。関空へのアクセスも抜群なのだ。なんて言ってね。

日々人生劇場ですね。


#我慢に代わる私の選択肢

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