見出し画像

運命の輪part.3 学級通信『Sagittarius』vol.35 2021.6.10発行

 前号の通信は担任1年目の若手教員だったtada先生がソフト部の遠征についていくってお話でしたね。今日はその続きです。
 ソフト部の遠征についていったのが,10年前(前号で11年前って言いましたが,10年前でした。てへ)。つまりケータ君が今年で10歳です。
 その翌年,私は2年生Ⅰ類30名クラスの担任をします。そのクラスもなかなかパンチの効いたクラスで,楽しい日々でした。朝学習中にポケモンパンを食べている人がいたり,授業中に紙飛行機が20機以上行き来したりと...
 当然,私は鬼ギレしますが,生徒もなかなか。やれピカチュウのシール出たから許してくれだの,やれ飛行機を作る人と飛ばす人を分けたことで,効率化が図れたことをほめてほしいだの...。さらに,修学旅行で男子3人が1つのベットで一緒に寝坊をするというエモいイベントも起きます。そんなとっても楽しい日々の中,私は結婚をします。
 そして,その翌年,3年Ⅰ類40人クラスの担任をします。この学年は3年生に上がるときにクラス数が減り,1クラスの人数が40人に増えるというハッピーイベントが起きました。ただ,この時の私は案外のほほんとしたんです。というのも1年の時は43人学級の担任でしたからね!
 この3年生のクラスですが,このクラスもとってもパンチが効いたクラスでした。クセの塊のチャンピオンズリーグ的な生徒たちで,みんな予選を勝ち上がってきたのかな?って思うような,楽しいクラスでした。具体例を挙げると,キミたちがうちに入学したことを後悔しそうなのでやめておきますねwww
 ちなみにこのクラス。M先生が先生1年目の時に授業をしてもらったクラスです。松永先生には,ほんっっっとーーーーうにお世話になりました。ありがとう!(むしろスーパーゴメン!www)
  その頃,私はこんなことを思います。「うちに子どもはできないかもなぁ」。というのも,うちの奥さんは子宮の腫瘍を摘出した関係で,子どもができにくいかもってなっていたんです。そんなこともあり,約2年ほど不妊治療をしていたのですが,それでも子どもを授かることがなかったんです。そして,2014年。私にとって激動の1年が訪れます
 まず3月,3年間担任を持った学年を卒業させました。この卒業式が面白くて,担任団は全員号泣,卒業の言葉で生徒会長が号泣,祝辞で当時の校長先生も涙するという,参列者全滅の卒業式でした。来賓の方が,「昭和の卒業式みたいですね」と感想をおっしゃっていました。
 4月からは募集企画部に配置されます。募集企画部は中学校や塾に営業をして,入学生を集める仕事で,今,神原先生や門地先生がされている部署です。この慣れない仕事にテンテコマイしているうちに,奥様の妊娠が発覚します。この時はうれしかったという気持ちより,正直ほっとしたという気持ちだったことを覚えています。
 そして,この年の夏,私の父にガンが見つかります。血液検査の結果が良くなく,しかしガンの部位は見つからないという状況でした。この時奥さんが大きなお腹で言っていた,「血液検査に出て,部位が見つからないってのは危ないよ」って言葉が,今でも本当に印象に残っています。
 看護師の正確で,ともすれば冷酷な言葉は,私の心を締め付けました。そして,奥さんが言った言葉は,この後,現実になります。
 明日の学級通信は,なっちゃん誕生,父闘病,K先生またお世話になるの3本立てです!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?