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シューマン: 弦楽四重奏曲第2番ヘ長調 作品41の2

00:00 ー 04:47 Ⅰ.Allegro vivace 04:48 ー 14:27 Ⅱ.Andante quasi variazioni 14:28 ー 17:38 Ⅲ.Scherzo. Presto - Trio. L'istesso tempo 17:39 ー 21:53 Ⅳ.Allegro molto vivace パレナン四重奏団1967年録音(3月発行) ロベルト・シューマン再生リスト https://youtube.com/playlist?list=PLTtHiFCVwL1yHIs-k3sHzAhXtfzjIPTwF List of compositions by Robert Schumann(wikipedia) https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_compositions_by_Robert_Schumann 弦楽四重奏曲 (シューマン) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2_(%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3)#%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA%E3%83%98%E9%95%B7%E8%AA%BF_%E4%BD%9C%E5%93%8141%E3%81%AE2

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シューマン:弦楽四重奏曲第1番 イ短調, Op 41-1

Ⅰ.Introduzione. Andante espressivo - Allegro Ⅱ.Scherzo. Presto - Intermezzo Ⅲ.Adagio Ⅳ.Allegro https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%...

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『交響曲 第4番 ニ短調 作品120』ロベルト・シューマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ロベルト・シューマン 形式 交響曲 調、拍子 ニ短調、 テンポ 1.Ziemlich langsam – Lebhaft 2.Romanze. Ziemlich langsam 3.Scherzo. Lebhaft – Trio 4.Langsam – Lebhaft – Presto 速度指定なし 出版年 1854年 制作国 ザクセン王国の旗 ザクセン王国 ライプツィヒ 作品番号 120 献呈 クララ・シューマン ロベルト・シューマンの交響曲第4番ニ短調作品120は、妻クララの22歳の誕生日1841年9月13日に、誕生日プレゼントとして彼女に贈られた。作曲はその直前3か月間で行われた。 概要 2人の結婚は1840年9月12日(ロベルト30歳・クララ20歳)なので、クララにとっては結婚してから2回目の誕生日になる。初演は、そのクララの誕生日から3か月後の1841年12月6日に行われ、10年後1851年に改訂され、現在は改訂版が多く演奏されている。全体構成、楽想、規模ともシューベルトの交響曲第4番ハ短調『悲劇的』の影響が見られる。 作曲年次としては、第1番『春』に次ぐ2番目の交響曲であるが、改訂後の出版年次(1854年)により第4番とされた。作品番号は120が与えられたが、これは改訂版に対してであり、初稿の作品番号は存在しない。 演奏時間は改訂版で約30分。 作曲の経緯 初稿 シューマンとクララ 1840年9月にクララと結婚したシューマンにとって、翌年1841年は、交響曲を2曲そして序曲など作曲活動が順調に進んだ年となった。まず1月から2月にかけて第1交響曲を完成し、3月に序曲、スケルツォとフィナーレ作品52、4月から5月にかけてピアノと管弦楽のための幻想曲(後に改訂され、ピアノ協奏曲の第1楽章となる)を立て続けに作曲する。さらに6月から、後に第4番とされたこのニ短調交響曲の作曲に取りかかり9月9日に完成し、9月13日の妻クララの誕生日に彼女にプレゼントした。 初演は、3か月後の12月6日、序曲、スケルツォとフィナーレとともに、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により行われた。シューマンは「この曲は第1番より決して劣るものではない」と自信を持っていたが、このニ短調交響曲は十分な評価を初演時に得られず出版は見送られた。理由として、指揮する予定だったメンデルスゾーンの体調不良のため、代わりにコンサートマスターのフェルディナント・ダーヴィトが指揮したことや、これら新作発表に加えて、クララとリストの二人のピアノ演奏もこの演奏会で行われたため、聴衆の目が当時のスターであるこの二人に集中したためとされる。 結局、このニ短調交響曲が知られるようになったのは、シューマン死後の1891年の改訂版出版以降である。 改訂稿 初稿の10年後、1851年に交響曲第3番『ライン』を完成したシューマンは、ニ短調交響曲の改訂に取りかかり、数日で完成させた。オーケストレーションもかなり書き換えられたが、本人がヨーゼフ・ヨアヒムへの手紙に「それが主目的じゃなかった」と書いているように、元の構成はほぼそのまま活かしながらも全体としての統一性をより高める変更を取り入れ、楽章毎の区分をなくして全曲休みなく続けて演奏されるようになったことが最大の相違点である(ただし、2003年にブライトコプフ社から出版されたジョン・フィンソン校訂版においては、第1楽章と第2楽章の終止線がいずれも複縦線に置き換えられており、アタッカの扱いとなっている)。改訂後のこの作品をシューマンは「交響的幻想曲」と呼んだこともあり、後述する自筆譜にはそのタイトルをつけようとしたが、それを消して結局現在のタイトルにしたことが残されている。 改訂版は1853年12月30日にデュッセルドルフにおいてシューマン自身の指揮によって初演され、翌1854年に出版された。シューマンは初演について、「以前の作品より充実していて、効果十分だった」と書いている。この曲の楽譜には正式な献辞はないが、シューマンは自筆譜をヨアヒムに贈っている。 シューマンの死後、その楽譜の編集に当たったヨハネス・ブラームスは初稿の優位性を主張して、クララと意見が対立したといわれる。結局ブラームスの尽力で初稿版は1889年10月22日にケルンでフランツ・ヴュルナーの指揮で再演され、ブラームスとヴュルナーの校訂版として1891年には出版されるのだが、ヴュルナーは自筆に従った校訂を、ブラームスはシューマンによる最終稿の要素を取り入れた校訂を主張し、最終的には部分的に最終稿を採用する形でまとめられたため、厳密な意味での初稿版ではない。現在では改訂稿が一般的に演奏されるが、このヴュルナー版(1891年版と表記されることもある)や後に出版された1841年の初演版による演奏や録音もある。 この曲の日本初演は1926年12月11日、福岡市記念館にて、佐野伴治・荒川文六指揮、九大フィルハーモニー・オーケストラによって行われた。 楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2(初稿:C管→改訂版:B♭管)、ファゴット2、ホルン4、トランペット2(D管→F管)、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部。 楽曲構成 前述したように楽章区分はなく、全曲は休みなく続けて演奏されるが、ここでは便宜上4つの楽章に分けて述べる。各楽章で共通する主題が使用され、全曲の有機的な統一性を高めていることが特筆される。 第1楽章 かなり緩やかに (Ziemlich langsam) - 生き生きと (Lebhaft) 速度・表情の指示はドイツ語による。ニ短調。序奏付きの自由なソナタ形式(提示部反復指定あり)ともいえるが再現部が存在せず、ほぼ提示部-展開部-コーダという構成になっている。 3/4拍子で始まり、緩やかな序奏の動機が示される。第1主題を予告する動機が繰り返されて速度を速め、主部に入る。 主部は2/4拍子。第1主題は半音階的に上下し幻想的な響きを持つ。第2主題に相当するものは認められず、主部は第1主題の変形や展開によって形成されている。3本のトロンボーンの和音により展開部に入る。展開部では第1主題を扱うが、やがて新たな主題が現れ、確保される。さらに流麗な旋律が続く。これが繰り返され、高まるとコーダとなり、流麗な旋律が勝ち誇ったように奏され、第1主題と新たな主題で締めくくられる。 第2楽章 ロマンツェ かなり緩やかに (Ziemlich langsam) イ短調。3/4拍子。三部形式。オーボエとチェロの独奏により、第1楽章第1主題に基づく中世ロマンス風な旋律を奏し、弦が第1楽章序奏の主題を示す。中間部はヴァイオリン独奏が3連符で流れるような旋律を奏でる。 第3楽章 スケルツォ 生き生きと (Lebhaft) ニ短調。3/4拍子。ABABの形式。スケルツォ主題は第1楽章序奏の主題に基づく。中間部は変ロ長調。第2楽章の中間部と同一の素材である。第3楽章と第4楽章が休みなく続く構想は初稿でも同様であるが、大幅に改訂されている。 第4楽章 フィナーレ 緩やかに (Langsam) - 生き生きと (Lebhaft) 序奏付きの自由なソナタ形式(提示部反復指定あり)で、再現部で第1主題が再現されない。序奏は4/4拍子。第1楽章第1主題を扱いながら金管の響きで壮大に盛り上がる。主部はニ長調、4/4拍子。第1主題が決然と示されるが、これは第1楽章展開部で新たに示された主題である。第2主題は穏やかな旋律。金管の警告的な響きで展開部となり、第1主題をフガート的に展開する。再現部は第2主題のみが再現する。コーダでは速度を速め、力強く全曲を締めくくる。 初稿の特徴 初稿では、各楽章の速度指定にイタリア語を用いていた。 Andante con moto - Allegro di molto Romanza: Andante Scherzo: Presto Largo - Finale: Allegro vivace 第1楽章の序奏は、改訂版と異なり主調の属和音(イ長調)・強拍から始まる(改訂版では主調・弱拍(3拍目))。さらに序奏後半には、サラバンド風のエピソードが登場する。なお、主部の展開部ではトロンボーンによる動機がソロで奏でられ(改訂版は2本のソリ)、弦楽器は休止するため、この動機が詠唱のように響く(同様の例はマーラーの交響曲第3番で見られる)。 第2楽章には、当初ギターを用いようとして撤回した形跡が残っている。また、チェロは始めソロだったが半プルトのソリに修正している。 第3楽章では、当初8小節にわたるファンファーレの後にスケルツォに入るようになっていた。このファンファーレはチャイコフスキーの交響曲第4番第1楽章の序奏に似ている。この序奏は結局削除され、自筆譜の一番下にはトランペットによるもう一つのファンファーレが書かれている。しかし、この部分は最初のものを含めて出版譜には採用されておらず、録音でも取り上げられていない(例外として、ゲオルク・シュメーエとベルリン放送交響楽団とのCDは上記の第2のファンファーレをホルンと組み合わせて採用している)。 第4楽章は主題の後半4小節が違っている。提示部の繰り返しもないため、全体の演奏時間も少し短い。第1楽章も同様である。全体は約24分かかる。 オーケストレーションの変更・改訂 他のシューマンの交響曲と同様に、かつては様々な指揮者が様々なオーケストレーションの変更を行っていた。マーラーによるものがよく知られているが、他の3曲の交響曲の大幅な改変に比べるとこの曲での改変はあまり目立たない。このマーラー版の録音としてはチェッカート、シャイー(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との新盤)、スダーンのものが存在する。 またセル、クレンペラー、クーベリック(バイエルン放送交響楽団との新盤)、ロジェストヴェンスキーはマーラー版とは異なった手法でかなり過激な変更を行っており、第1楽章展開部のクライマックスやコーダでは金管による派手な補強が施されている。クーベリックはシューマンの交響曲全集を2回録音しているが、この曲の旧盤や他の3曲ではほぼ原典通りに演奏しているのに対し、この曲の新盤のみスコアを大幅に改変している。

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『ピアノソナタ第1番嬰ヘ短調 作品11』 ロベルト・シューマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ピアノソナタ第1番嬰ヘ短調 作品11は、ロベルト・シューマンの1832年から1835年にかけての作で、1836年に出版された。幻想曲や変奏曲といった小品に取り組んできた作者が初めてソナタ形式の大作に挑んだものである。 概要 初版は「フロレスタンとオイゼビウスによるピアノソナタ、クララに献呈 "Pianoforte-Sonata, Clara zugeeignet von Florestan und Eisebius"」と題されている。このように、文学と音楽の融合を大きな目標にしてきただけに随所に標題音楽的な個所が認められる。 しかしピアノ演奏の技巧をあまりに盛り込みすぎて、理解しがたい、または作者は観念的に混乱しすぎている、といった批判をイグナーツ・モシェレスなどから受けることになった。後に、作曲者自身も「生命力に欠けている」と自己批判することとなった。現在ではピアニストの有力なレパートリーに挙げられている。 楽曲 4楽章構成。 第1楽章 Introduktion:un poco Adagio-Allegro vivace 1832年作曲の「アレグロ・ファンダンゴ Allegro-Fandango」を改作したもの。 嬰ヘ短調、4分の3拍子。音域の広い左手三連符伴奏の上に、右手が鋭い付点リズムのついた主題を歌う、長大な序奏が繰り広げられる。単に導入ではなく再現部の前の導入も兼ね、第2楽章Ariaの主題も登場する。最後にはアルペジョに発展し、Allegro vivace に移る。 Allegro vivace では左手の五度跳躍による特徴的な動機の後、進撃的な主題が始まる(嬰ヘ短調、4分の2拍子)。冒頭の主題提示後に、スタッカート付きの和音連打によって主題が奏でられるが、この主題と和音の連打が第1楽章全体を大きく支配する。変ホ短調に転調したあと、定石どおりに現れるイ長調の第2主題は8分音符主体の和音で進行し、穏やかな様相を見せる。展開部は第1主題の動機を中心に展開される。途中ヘ短調で序奏の主題が登場するが、主題はバス声部に移されている。再現部は短縮されており、最後は静かに終結する。 第2楽章 Aria:Senza passione, ma espressivo イ長調、4分の3拍子、簡潔な三部形式。1827年に作曲した自作の歌曲"an Anna-Nicht im thale"(「アンナに寄せて―谷ではなく」、ユスティヌス・ケルナー詞)の主題を使った歌謡風の楽章。第1楽章の主要動機である左手の五度跳躍も効果的に扱われる。途中ヘ長調に転調した部分では、中声部にメロディーが移行し、右手は16分音符による分散和音を奏でる。 第3楽章 Scherzo e Intermezzo:Allegrissimo 嬰ヘ短調、4分の3拍子。スケルツォ楽章だが、ロンド形式に近い(A-B-A-C-A)。冒頭では、左手に付点音符が特徴的な主題が現れ、右手は和音による補完を務めるが、途中からは左手と共にユニゾンになったり、掛け合い風のパッセージも現れる。中間部はニ長調のポロネーズ風の間奏曲となり、その後の再現部の前には小節線を排した自由なレチタティーヴォも置かれている。このレチタティーヴォの途中には「オーボエ風に」という指示も登場する。スケルツォでありながらこのような要素を持ち込むことにより、(シューマンらしい)古い習慣への皮肉が込められているとも言われている。他の楽章と違い、フラット系への大胆な遠隔調への転調は行われていない。 第4楽章 Finale:Allegro un poco maestoso 嬰ヘ短調、4分の3拍子。分厚い和音の主題に始まる長大な終楽章。ロンド形式が軸になっていると考えることも可能だが、全体は大きな2部分とコーダから成っている。しかし、様々な要素が持ち込まれ、形式的には複雑を極める。途中で、遠隔調であるハ短調やヘ短調にも転調するが、最後には同主長調である嬰ヘ長調で終結する。

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『ピアノソナタ 第2番 ト短調 作品22』 ロベルト・シューマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ロベルト・シューマンのピアノソナタ第2番ト短調作品22は1833年から1838年にかけての作。1839年作曲者が29歳の時にブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から出版された。 前作(第1番)と同様に、快速な第1楽章―緩徐楽章―スケルツォ楽章―急速な終楽章という構成。 楽曲 第1楽章 So rasch wie möglich ト短調、4分の2拍子。ソナタ形式。演奏記号の通り「できる限り速く」演奏される。演奏技術・音楽表現的に演奏者の考え方が問われており、多くの演奏者はプレスト楽章と同様の速さを基準にしている。左手には10度音程が登場するなど演奏は難しく、4分の2拍子の楽章なら速度はどの程度が必要なのかは演奏者によって解釈が分かれる。 第2楽章 Andantino ハ長調、8分の6拍子。三部形式。穏やかな緩徐楽章で、三部形式と変奏曲を兼ねている。getragenの通り「もったいぶってひきのばして」演奏される。1828年に作曲した歌曲「秋に」(Im Herbste、ユスティヌス・ケルナー詞)を改作したもの。 第3楽章 Sehr rasch und markiert ト短調、4分の3拍子。簡潔なスケルツォ楽章。シンコペーションを中間部にはさむなど若き作曲者の凝った技術が特徴的。指示の通りあいまいさを排して「はきはきとした」演奏が求められる。 第4楽章 Rondo:Presto ト短調、4分の2拍子。ロンド形式。オクターヴ奏法のトレモロが主題。「プレスト」と題された初稿("Passionato"、16分の6拍子)がある。この初稿は、十度以上の跳躍や、ラフマニノフばりの広い和音などが多用された難曲であるため、クララの提案によりシューマンが撤回し、死後の1866年になって出版された。ロナルド・トゥリーニ(英語版)らが録音を残している。 その他 シューマンは先人ベートーヴェンに倣って演奏記号を母国語で記している。so rasch wie möglich やnoch schneller wie möglich の意味は旋律に対する美的感覚も考慮して決められなければならない。

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『幻想曲 ハ長調(Fantasie C Dur)作品17』 ロベルト・シューマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 幻想曲 ハ長調(げんそうきょく はちょうちょう:Fantasie C-Dur)作品17は、ロベルト・シューマン作曲のピアノのための幻想曲。シューマン初期のピアノ曲で、『クライスレリアーナ』などと並び、彼のロマン主義志向が顕著に現れた代表的作品である。3楽章からなるソナタ風幻想曲で、演奏時間は30分程度。 概要 1835年、フランツ・リストらを中心としてボンにベートーヴェン記念碑の建立が計画された。発起人に名を連ねたシューマンは、寄附を目的として翌年から1838年にかけてこの曲を作曲した。ベートーヴェンを讃えるため曲中にベートーヴェンの作品が引用されているが、一方でクララ・ヴィークのための作品でもある。この時期はシューマンがクララと婚約しながら彼女の父親の猛反対で先が見えない時期に当たり、構想段階の表題、引用されたベートーヴェンの連作歌曲『遥かなる恋人に』、さらには第1楽章の頻繁な転調と不安定な調性感もそれを反映しているといわれる。

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『ピアノ五重奏曲 変ホ長調 作品44』ロベルト・シューマン

ピアノ五重奏曲(ピアノごじゅうそうきょく)変ホ長調作品44(独:Klavierquintett Es-Dur op.44)は、ロベルト・シューマンの代表的な室内楽作品である。多くのピアノ五重奏曲と同じように、ピアノと弦楽四重奏(2本のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)のために書かれている。 背景 この作品は、『室内楽の年』として知られる1842年の9月から10月にかけてのわずか数週間のうちに作曲された。妻のクララ・シューマンに献呈している。ごく初期のピアノ四重奏曲を例外として、シューマンはそれまで室内楽作品を一曲も完成させていなかったが、突如としてこのジャンルに集中し、同年中に3曲の弦楽四重奏曲とピアノ四重奏曲を作曲している。

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シューマン:交響曲第3番 変ホ長調 Op 97「ライン」第1楽章 ハイライト

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交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」ロベルト・シューマン

ロベルト・シューマンの交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(Sinfonie Nr. 3 Es-Dur op. 97 "Rheinische" )は、1850年に作曲され、1851年2月6日にデュッセルドルフにおいてシューマン自身の指揮によって初演された。シューマンが完成させた交響曲としては、実質的には4番目で最後のものに当たるが、2番目のものは後年改訂出版されて「第4番」とされたため、第3番に繰り上がった。「ライン」の副題はシューマン自身が付けたものではない。演奏時間約35分。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』