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ファッション不感症

1.気付けば不感症

私はファッションというものが全く分からない。ファッション不感症である。

どのくらい分からないかと言うと、スニーカーが分からない。紐のついてる靴の総称なのかと思っていたら違うらしい。
ファッション雑誌というものを生まれて一度も読みたいと思ったことがないし、美容院で渡されても「どれにされますか〜?」と並べられた一番手前のものを機械的に受け取り、テレビのザッピングのようにめくって終わりである。

ファッションに興味が持てないのに、私を取り巻く環境はそういうものに意識を向けている女性が多かった。
なので私の感覚は周囲の関心事に興味が持てないこととイコールになってしまい、ズレている自分を誤魔化すのが大変だった。

中高までは良かった。
裸じゃなければいい。臭くなければいい。みっともなくなければOK。そんな私にとって制服は最強のお助けアイテムだった。

問題は大学生からだった。私は都内にある私大の英米文学科出身なのだが、「英米女子」はガーリー?フェミニン?とにかく煌びやかな女の子で溢れていた。

最初の違和感はそんな女の子達と合コンに行った帰り道で生まれた。

「あの人のベルトが〜」
「わかる!お財布も〜」
「靴下も〜」

同調して盛り上がる英米女子の輪の中で私は曖昧に笑いながら頭をフル回転させていた。

ベルト?!お財布?!靴下?!?!

色も形も全く思い出せない。
私の中でその男性達の格好は、裸でもなければ臭くもなく、みっともなくもなくオールクリアだったので、その着眼点に驚いた。

唯一の救いだったのは、入学当初は母親がそれなりの服を選んで私に着せていたため、纏う雰囲気だけは私も「英米女子」の仮面を付ける事が出来ていた事だ。

しかし、母親もいつまでも私のファッションの面倒を見ていられない。次第に母親の支援が薄まり、自分で買わざるを得なくなるが、何を買うべきかさっぱり分からなかった。
周囲の人間の真似をしようにも、そこのアンテナが死んでいるので全く思い出せない。

とりあえず自分の好きなものを着てみようと思い、当時好きだったインディーズバンドのTシャツにサロペットを着て登校してみたら「え、パジャマ?」と純粋に聞かれ、「あ、これは違うんだ」と判明した。

このようにファッションというものは私の生活の中で致命的とはいかないまでも、地味〜に厄介なものとして位置づけられていった。

2.マルイ様との出会い

洋服は着られればいい。シミが付いたりクタクタになったらみっともないので、買い換える。
靴は、快適に歩ければいい。パンプスの踵から金属の棒が突き出してきたら歩くときにカンカンうるさいので、買い換える。

そんな感覚の私だったが、ダサいと思われて周囲から浮いてしまうのは怖かった。
おじさんがダサいのは笑って許されるが、女子大生がダサいのは許されない気がした。

だけど、どうすればいいのか分からず、買いに行くにもどこで何を買えば良いか分からず、高校の時に褒められたような服を着てみたりしたが、それも違うようだった。
ファッションと年齢の相性というものがあるのも知らなかった。

そんな私にある日、友人がプレゼントをくれた。
私でも知っているブランドの可愛いペンケースだった。
ブランド物のペンケースがある事に小さく驚きつつ、私はありがたく受け取った。
そしてふと気付いた。自分のペンケースだけが購買で買った数百円の学校オリジナルのデザインだった事を。
周りを見るとそんなものを使ってる人は1人もいなかった。

ファッションって服装だけじゃないのか〜そうか〜そうだよな〜!
とまたしても自分の感覚のズレを痛感した。

そして、その優しい友人にとことん頼らせて頂こうと「いつも洋服どこで買ってるの?」と聞くと、「マルイばっかりだよ〜」とすんなり教えてくれた。

帰り道、私は早速マルイで洋服をまとめ買いした。

マルイ様は素晴らしい。スカートの丈さえ伸ばしていけば年齢を重ねてもダサくない格好が出来る。あれから約10年経つが、未だにマルイ戦法を使い続けている。

こうしてその後は辛うじてガーリーでフェミニンな女子大生の仮面をつけ続ける事ができた。

3.バーベキューの壁

マルイ戦法で自分の居場所を確保してきた私にとって未だに苦難なのがバーベキューだ。
アウトドアの服装はマルイにはない。アイテムを組み合わせればあるのかも知れないが、マネキンに着せてくれていないので私にとっては皆無と同義だった。

大学生の時に初めてバーベキューに誘われた時、いつも通りマルイのワンピースにパンプスで行ったら「バーベキューの格好じゃない」と口々に言われ愕然とした。
冠婚葬祭の他に、TPOを踏まえた格好があるなんて知らなかった。

まるで義務教育で習ったかのように、私以外の全員があらゆる場面に備えた服装を用意しているのにも驚いた。

2回目からはファッショナブルな友人にバーベキュー用の服と靴を選んでもらって難を逃れたが、以来バーベキューの度にその服を着ていたら数年後に「背中に虫食いみたいな穴があるよ」と言われてその服も引退となってしまった。


大体、ファッションは揃えるものが多すぎる。幸い私は女なのでワンピースを着れば逃げ切れるかと思いきや、洋服だけでなくバッグと靴も合わせなければいけないのに、バッグと靴も含めたマネキンが全然ない。

ということは皆、個々のアイテムを膨大な選択肢からそれぞれピックアップして掛け合わせ、無限とも思えるパターンから1つを決めているという事だ。
しかも中にはそれに加えてネイルやアクセサリー、化粧まで合わせる猛者もいる。

そんな途方もない事を日々の食事と同じようにこなしている方々には敬意しか生まれない。本当にすごい。

4.異性交遊

恋愛経験が特別豊富という訳ではないが、恋人や親しくなった男性が皆判を押したように「もっとこういう格好したら」と洋服を渡してきたり買いに行かされたりするのも不思議だった。

世間受け抜群と信じていたマルイ様ファッションだけだと毎回同じようなシルエットになり、それでは男性は物足りなくなるようだった。

そしてそれ以上に私が心底不可解だったのは、数少ないながらも全員にファッション変更を所望されるというその確率の高さだった。

それだけ私の無頓着さが際立っていたのかも知れないし、私が無意識にそういう男性を選りすぐっていたのかも知れない。
けれど皆、最初はファッションや外的価値で人を判断しない(分からないので判断不能)部分が良いと言ってくれていたので、そこに壮大な矛盾を感じて「結局自分は隣の女を着飾らせるのかい」と独りよがりに憤っていた。

5.ファッションと少し仲良くなれた日

ファッションて何?
何故皆は当たり前のような顔をして楽しんでいるの?

そもそもファッションて他者評価?自己評価?

本人の魅力を引き立たせるピンクのワンピースと、本人が着たい黒のジャケットだったらどっちを選ぶのが正解なの?

TPOとファッション?
自己表現とファッション?

そんなファッションに対する悶々とした気持ちを抱えながら年月は経ち、ある種の病気だと割り切りかけていた矢先、唐突に解消される日がやってきた。
その人はモデルを生業にしている美女だった。

誰に話しても取り合ってくれなかった私のファッションに対する疑問に彼女は答えてくれた。
「ファッションに興味ないってことは、他人に興味ない?」
確かに私は他人の服装はおろか、顔と名前を覚えるのも本当に苦手だった。

そうか、ファッションはやっぱり他者ありきなんだ。TPOだろうが自己表現だろうが、他者がいなければ意味がない。
1人きりだったら不要なんだ。
他者に向けて、TPOの範囲内で自己表現する事がベストなのかも知れない。

そして彼女はその時着ていたハイブランドのコートを例にして、「何故このコートがデザインされたのか」という話をしてくれた。

なるほど!私が大好きな小説や映画のように、ファッションもデザイナーの強い思想から始まっているのか!
バックグラウンドのストーリーを聞いた私は初めてその高価なコートに価値を感じた。


これまで私は誰が何のためにファッションを作ったのか分からなかった。
正直、私達にお金を使わせるために、何処かの誰かが勝手にブームや価値を作ってそれを身につけていなければ負け、という圧力を掛けているものだとさえ思っていた。

でも、もしかしたら、時代を変えるために、誰かを救うために、デザインという武器を通して戦い続けている人がいるのかも知れない。

そう思うとファッションそのものに対する否定的な感情が無くなった。

もし私が今後、その思想に共感するようなデザイナーを知ってしまったら、その人のファッションを貪るように取り入れる予感がした。


いつかその人に出会えることを楽しみに、明日も裸でもなく、臭くもなく、みっともなくない洋服を選ぼうと思う。




end.


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