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ガダルカナル島、そしてペルーへ      喜種 壽人

1973年3月大学卒業後すぐに、4月からオーストラリアの探鉱会社に就職し探鉱技師としてガダルカナル島に赴任した。採鉱屋の仕事が無く、地化学探査の地質屋になった。 初めての飛行機搭乗、出発と到着のこと *シドニー直行便の最初に登乗、生涯初の飛行機、搭乗記念品を緊張で機内に忘れる 確か4月1日夜に羽田空港を飛び立った。航空会社はカンタス航空。何かセレモニーが行われているようだった。語学がついて行ってない。機内の放送などは、市販の旅行解説本で読んでいたので理解できた。地上職

    • おいら三池の炭鉱マン-1

                                佐々木一雄 人生を振り返り、「誇りに思えることは?」と問われたら、「三池の炭鉱マンであった。」と答えます。気持ちは、今でも三池の炭鉱マンです。三池炭鉱(三井石炭鉱業株式会社三池鉱業所)は、1873年に官営化、1889年に三井に払い下げられ團琢磨を事務長とする三池炭礦社が設立しました。團琢磨が心血を注いだ三池炭鉱は 、1997年に閉山しました。静かに、つつがなく閉山しました。三池炭鉱で働いたこと、その閉山に、少しなりとも関わ

      • 南米実習記

        柳原 國臣                     2023年11月13日 1962年、秋田大学鉱山学部に入学、海外移住研究会(後の海外鉱業研究会)に入会した。日本は鉱物資源に乏しく、海外に大きく依存しなければならない状況であった。鉱業技術を習得し、海外に雄飛し、探査、開発、利用の面で貢献することが使命であると自覚し、海外移住はそれを実現するための大きな目標と認識した。 海外移住研究会は、1962年に日本学生海外移住連盟(学移連)に加盟した。学移連は1955年、海外移住・

      ガダルカナル島、そしてペルーへ      喜種 壽人