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第35話「名のない光が結ばれる」

 目の周りを赤く染めたかなでと電車に乗り込む。
 行きと違って帰りは大人しい。僕は邪魔されることなく一問一答集を捲ることができた。「角膜」、「網膜」、「桿体細胞」、「錐体細胞」という言葉たちが載るページを繰り返し読んでいた。

 彼女はずっと花束を握りしめている。
 満開のひまわりが、情緒の無い蛍光灯に照らされていた。細長い舌状花の付け根は紫色で、酸欠を起こしているみたいに見える。
 花が苦しそうだったけれど彼女に指摘できなかった。うっかり手を緩めたらこの世界の均衡が崩れるのかもしれないと思うほど強く、茎の部分をつかまえていたからだ。
 それに、彼女の目には健康的なただの黄色に見えているはずだった。ひまわりが紫に見える人間なんて、この電車内では恐らく僕一人だけだろう。

 熱中症にかかったあの日のように世界が単純化してくれたらいいのにと思う。

 空は青、葉っぱは緑、石ころは灰色。
 ひまわりは黄色。

 僕はただただ奏のことが好きで、奏はただただ僕のことが好き。

 そんな風に簡単に色分けされた世の中であることを願う。
 しかし、現実世界はもっと多彩だ。
 僕は奏が好き。
 それは本心だ。けれど僕だって、奏を目の前にしている時に五十嵐のことを考えるのはごめんだった。
 七五三木しめぎさんが、奏を、五十嵐の背後霊のように感じているように。



 改札の前で別れることにした。奏の母親が車で迎えに来てくれるらしい。
 致し方ない。泣き腫らした顔の娘が洟垂らしと一緒にいるのを見たら、親はきっと気が動転してしまう。しかも意味ありげなブーケまで手に持っているのだ。

「じゃあね」

 彼女は花束を抱えエスカレーターのほうへ歩き出す。
 想いを込めるためのアイテムを、あいにく僕は持ち合わせていなかった。花束の代わりに、「また連絡して」という言葉に真心を込め、彼女に贈る。

 背中を見送った後、一度デッキに出たが、思い直し僕もエスカレーターで下りた。ストーカーがしたかったわけではない。言い訳がましいが、家に食料が無いことを思い出したからだ。駅前のコンビニに立ち寄りたかった。

 ロータリーの前で母親の迎えを待つ彼女の後姿を見つけ、横目でとらえた。
 一台の自動車がやってきて、手を上げた彼女の前にタクシーのように停まる。僕に気が付くことなく、そのまま車内に乗り込んだ。

 お母さんとは車内でどのような会話を交わすのだろう。泣き顔を指摘され、何と答えるのだろうか。
 真実を言ってしまえば彼女も分が悪い。浮気したことを従姉妹に責められたし、恋人にも嘘をついていた。
 「どうしてつく必要のない嘘をついたの!」と、お母さんは僕の代弁をしてくれるかもしれない。
 奏が僕に「目なんてどうでもいい」と言ってくれたように、僕だって彼女の目を好きになったわけではなかった。

――お母さんにはただの白いカンヴァスにしか見えないって。

 奏が自宅で見せてくれた、六枚の絵を思い出す。凡人たちにはただの白いカンヴァスにしか見えない絵。

 特別な色覚を持っていない彼女は、一体どのようにしてあの絵を描いたのだろう。

 受験絵画のメッセージなんて、あんなものは目を瞑ってでも書ける。しかし奏の見せてくれたあの絵は、タコ公園の落書きのような単純なものではなかった。
 作者自身が認識できない色を使ってあのような見事な絵を描けたのだとしたら、天才としか言いようがないが、彼女は自分を「出来損ない」だと評価していた。謙遜しながら目に涙を溜める人間はいない。

――ろくに色を認識できない、出来損ないたちには天使の絵は売れないって、調子乗ったこと言ってたみたいなんだよね。

 硬いものを噛んだような気がして、舌で口の中を撫でる。

 彼女を乗せた車が発車し、混みあったロータリーを脱出しようとする。自動車が僕のほうへ走ってきて、運転手の顔がよく見えた。

 着崩したスーツ姿の男性がロータリーの柵をまたぎ、車道に躍り出ようとする。奏を乗せた車は急停車しクラクションを鳴らした。危うく轢かれそうになったスーツの男性は、全く意に介さず千鳥足で車道を渡っていく。

 冷凍庫の中に放り込まれたように体が冷えた。
 そうかと思えば今度は全身から汗が噴く。

 身近にあったガードレールに手を伸ばして掴み、その場にうずくまった。牛肉や生クリームの脂が混ざった胃液がこみ上げ、喉をひりつかせる。
 僕のすぐ横にバスが停まった。運が悪いことに、僕がしゃがんだ場所は停留所だった。

「乗りますかぁ!」

 バスの運転手にマイク越しに訊かれた。首を振るといきり立つように発車してしまう。乗るつもりなんてなかったのに、置き去りにされたような気分になる。

 立ち上がると膝が笑っていた。
 やっとの思いで帰路に就く。コンビニに寄る体力は残っていなかった。

 無事に家の玄関に到着してからも運転手の顔が頭から離れない。バスの運転手の顔ではない。
 奏を乗せた車の運転手、すなわち彼女の母親の顔だ。

 僕は奏の母親のことを知っていた。
 母親がモデルとなった油絵を見たわけではない。実際に会ったことがあるのだ。


 彼女は数年前、久保誠一郎の葬式で喪主を務めていた女性だった。

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