学校は子どもを預かる場所なのか

都知事選挙があまりにも面白くなってきたので
昨日も見ました。

その中で「土日にも行ける学校を作る」という公約がありました。
理由は「土日働いている親のために」だそうです。
確かに学童は日曜は開いてないことが多いです。

しかも土日を学校に行き、平日お休みにして親と関われるようにとのことでした。

さらに集団ではなく個別に教える学校…とのことでしたが、土日に学校、平日がその親の休みに合わせるとなると、一斉に教えることは難しいですから個別対応になるとは思います。

個別になると教員の数はどうなんだろう?
と疑問になりました。
個別だと相当数教員が必要になるから
これだともしかしたら映像授業とかになるのかしら…。
映像授業しか私には思いつかないな。

それだと「塾」みたい。
そしてここで疑問なのですが
「学校は子どもを預かるための場所なのか?」
です。
学校は勉強しにいくところ
だったはず。
それが
土日働いている親の為に…
という考え方は「土日働いている親の為の学校」になる。
だとしたら
土日開くのは「学童」の方なのでは?

これは「保育園」から「学校」に行くことになった親が勘違いするところです。

かつて「保育園」はお金に困窮して共働きを、せざるを得なかった親のためのものでした。
だから小学校が勉強をする所だという認識がありました。

奥さんが働きに出ることは、夫の稼ぎでは足りないことを世間に知らしめるという「恥ずかしいこと」だったのです。

しかし、今は親が「働くために預ける場所」があることを「当然の権利」だと思ってしまっています。
だからそのままの気持ちで「学校」を捉えてしまっている。学校を「子どもを預ける場所」だと。

だから役員があるのはおかしいだとか旗振りが大変だとか堂々と言える。

昔は働いてることを隠したいからどんなに役員が大変でも旗振りが大変でも言い出せない空気があったのです。本当に大変でした。

政権放送の公約発言もこのような勘違いから起きた発想で、土日に働く親の為の学校という発想はどうなのかなと思いました。

保育園でも「土日の開園」が広まりつつありますが、そのような「学童」や「保育園」は漏れなく「人手不足」です。

働く親のフォローをする人手(預かる人)の為の働き方は何も考えられていないからです。

誰かが誰かのフォローをするためには
誰かがその犠牲を受けなければならなくなるのです。
「文句」を言う人は
「誰がそれ(子育て)をするのか」を考えていないのです。

保育士が土日に働くのを当たり前だと思っていて小学校の先生をも土日に働かせようとしている。

保育士にも、学校の先生にも「子どもがいる」
のにです。

書いていて自分も何だか分からなくなってきました。

子育ては自分のキャリアにもならないし
お給料も貰えないから
子育ての為に仕事を減らす、辞めるという選択はなかなか選びづらいのは分かります。

けれど私達、子育てを終えた人達は
これまで何もそのようなフォローはなかった。

子育ての為の給付金なんて殆どなかった
児童館も保育園もこんなになかった。

私達の世代に子育てを協力しなかった男性や社会のためにこんなにも少子化が進んでしまったのに私達の世代への
お金は何もない。

私達は誰も助けてくれなかったのに
若い人達が
あれもない、これもない、とか言ってるのを聞いて、我がままだと思ってしまうのは
おかしなことではない。

つまりこれからの人達の為に社会を変えたいのであれば、
これまでの子育てを終えた人達にも
給付金があって良い。

高校、大学を無償化にするなら大袈裟に言えば
これまで私達の世代が支払ってきた高校、大学のお金が返ってこなければ不平等だと思う。

それでも「子育てできたこと」はお金には代えがたい素晴らしい経験なので、

仕事よりもなるべく子育てを自分でやってみて下さい。勿論男性も。です。

保育士をしていて、よく、孫が生まれてから
「子育てをしなかったこと」を後悔して
孫を育てている方を見かけます。

まぁ、それはそれで
子育てを余裕をもって出来るのかもしれません。
おじいちゃんおばあちゃんになってから後悔するのかもしれません。

少し今回の記事は頭を使うと思います。
気楽には読めないと思います。

文章力もないのかもしれませんが、
読んで頂けるとありがたいです。

ということで、ここまで読んでくださり労力を使って時間を使ってくださって感謝です。

こんな異見もあるこんな意見もあるというくらいに留めてください。