不規則な足跡

フィルムカメラを買った。

幼い頃から写真は大嫌いだ。自分が写真に映るのなんて最高に嫌だ。大嫌いな自分の姿がデータとして残り続けるなんて耐え難い拷問だ。
今でも友達が勝手に私の写真を撮るとき、「ふざけんな消せ絶交してやる」と湧き上がる言葉を噛み殺して「よく撮れてるねー」なんて言うのだ。

中学生の時、友達が勝手にインスタグラムのストーリーに私の写真を投稿したことを知った時、思わず手をあげそうになった。
小学校、中学校で、クラスのお調子者の男子がおとなしい男子にちょっかいをかけて真っ赤にするほど怒らせている様子を時々見たことがある。大人二人がかりで押さえつけられる男子を見て、なにをそんなに怒ることがあるのだろう、生きるの上手くないんだなあ、なんて思っていたが、衝動的な怒りを瞬時に鎮めるのは案外難しい。少し脱線してしまった。

とにかく、写真が嫌いな理由は単純に自分のことが嫌いだからだ。自分の足跡を少しでも残したくない。結婚して自分のこどもを残すなんて想像しただけで鳥肌が立つ。こんな考えはきっと若いんだろうなあとも思う。

そんな私がなぜフィルムカメラを買ったのか。

それはnoteを始めた理由と同じだ。誰でもいいから伝えたくなった。知ってほしいと思うようになった。自分の見ている世界、考えていること、顔も知らない誰かがなんか良いなと思ってくれたら、私の張りつめた宇宙はきっと柔らかいものになるだろうと思う。

大嫌いな自分のことを好いてくれる人たちがいることを知ったから、自分でも自分を好きになってみたいと思うのです。

これからもなるべく足音を立てないように歩くだろうし、自分の足跡をサッと消すこともあるだろう。ずっとそうやって生きてきたから。

それでもいつか、後ろを振り返った時に、浅くて不規則な足跡をなんか良いなと思えたらいいな。

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