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とにかく楽しんだもの・挑戦したもの勝ち!

始めまして、株式会社キカガクの西沢です。#令和へのバトン という企画で自分がもし小中学生に戻れたらこの春休みをどう過ごすのか?という事について書いていきます。
コロナウイルスの影響により、小中高生の長めの春休みになりました。家族でこの記事を読みながら、この春休みをより有意義なものにして頂ければ幸いです。

自己紹介

私は大阪の東の端の少し田舎で生まれた 27 歳です。現在は株式会社キカガクで執行役員兼新規事業部責任者として日々邁進しています。これまではオーストラリアに 2 年間ワーキングホリデーを経験後、ベトナムに移住。2 年間メンバー 6 ~ 10 名ほどのスタートアップでマーケティング兼新規事業部責任者として従事した後、現在のキカガクで AI に関する研修の講師を経験した後、現在のポジションになりました。

この経歴だけを見ると行動力があり、何か芯がありそうな人物像を想像するかもしれません。しかし、大学 3 年生までは自発的に何か行動を起こすことはほとんどなく、新しいことを始めるのは「怖い・悪だ」といった考えを持ったなかなか臆病な子供でした。

私自身の生まれつきの性格ももちろん大きく影響していますが、一つの大きな影響として両親の教育方針が関係したと思っています。両親(特に母)は大変厳しく、僕もよく怒られましたし、兄も毎日のように怒られました。簡単にいうと我々兄弟は恐怖政治のもとで成長していきました。
ある日夜遅くに遊びに行こうとした時に、中華鍋を持って目の前に立ちはだかる母を見た時、鬼とはきっとこういう生き物だと思ったことは今でも鮮明に思い出します。※こういう過去はありますが、母は私の最も尊敬する人の一人で、最も大切な人の一人です。

この春休みをどう過ごすか?(小学生編)

本題のこの春休みをどう過ごすか?(小学生編)ですが、私は「思いっきりいろんな事に挑戦して、楽しむ!」事をしたいと思います。このいろんな事は本当になんでもいいと考えています。スポーツ、ダンス、書道、プログラミング、音楽、ボランティアなど本当になんでもです。

なぜこう思うのかというと、私の幼少期が関係していきます。恐怖政治の結果兄はグレていき、私は良い子であるよう、波風を立てないように行動するようになりました。波風を立てないというのは自分から何か積極的に行動したりしないということです。なぜなら行動を起こすと間違いを犯す可能性があるからです。間違いを 0 にするための最適な行動は挑戦の回数を 0 にすることです。学校教育も常に正しい答え・行動を求めます。家庭、学校の考えからすると私が無意識に何もしないという行動を選択していたのだと感じました。この挑戦をしない、新たな経験をしないということは、結果的に何かを好きになったり、興味を持ったりする事を困難にしました。

私は今人にとって何かに興味を持つことは大変重要だと考えています。
キカガクでは全員が AI や教育に対して強い興味を持っています。だからこそ、メンバーは圧倒的なスピードで難解である AI について理解し、教える事ができます。新人メンバーが入社するたびに私はこの興味・関心の大事さを感じます。

そういった理由から小学生の頃にはできるだけ様々な事に挑戦し、かつ楽しむ事ができれば、新たな経験ができ、何にでも興味を抱く人となり、結果的に成長スピードの早い人になると考えています。だからこそ「思いっきりいろんな事に挑戦して、楽しむ!」がもし小学生に戻れば私がしたいことです。

もし出来ていれば、成人してからの西日本一周自転車旅や、オーストラリアでいちご狩りで生計を立てる時間は不要だったかもしれません。

この春休みをどう過ごすか?(中高生編)

「物事の見方の幅を広げる」です。具体的には、色々な大人と話したり、自分が気になる事をインターネットで調べます。

当たり前のことですが、ほとんど全てのものが人の手によってできています。いつも乗る電車も、電車の中の広告も、家で使っているシャンプーも、風邪をひいた時に飲む薬も、この記事もです。その事に気づくと一気に社会に興味を持て、働くということの意義を考えるようになります。

私は学生の頃には自分の進路を決める際、仕事と関連付けて考えたことがありませんでした。そもそも働くということが何なのかわかりませんでした。父親は朝早くにジャージを着て、15km ほどの距離を自転車通勤していた少し変わった人でした。彼から仕事の話を一度も聞いたことも、スーツを着ている姿さえ見たことがありませんでした。

また、当時学校に行っていても社会との関連性は全く感じる事ができませんでした。そのため進路も親や友人の言うことに合わせていました。中学生の時にあった職業体験ではお寺を選び、大掃除の手伝いをするぐらい意識が低かったのは自分事ながら今思い返すと印象的です。

もし、中学生の頃に仕事とはこの世界を作っているものであり、人を助けるためにあるという考えを持てていれば、進路の考え方などは大きく変わったのでは無いかと思います。なぜ旅行代理店があるのか?なぜバス会社はあるのか?なぜ車の部品が作るのか?この一つ一つの答えの本質は人のためであると私は考えています。

また、この広告のデザインは面白い、この映画のストーリーを考えた人はどんな人なんだろうなどといった目に見えるものの裏側を見ると必ずそこにはそれを考えた・作った人がいます。

当時もし色々な大人とこのような話ができたり、インターネットで一緒に調べたりできれば、世の中の見方も大きく変わり、より自分の将来を真剣に考えたり、学生時代の早い段階から夢を持てたかもしれないと思います。

子供は自分で様々な事を学ぶことができると思います。しかし、その学ぶ範囲や見方を変えたり、広げたりすることができるのはやはり大人だと思います。この春休みに子供と一緒に新たな事に挑戦したり、少し大人な物事の見方で世界をみてみるのもいいかもしれません。

最後に

最後まで私の記事を読んでいただきありがとうございました。記事中に登場した母親について少し感謝を伝えたいと思います。
※こちらは本文とは全く関係がありません。

母は記事中に登場したとおり、小学校からの男友達は全員に知られているぐらい怖い母でした。しかし、彼女は感情的に怒る時も私の事を考えてくれていました。彼女は私が出会った人の中で最も純粋で思いやりのある方です。本文では後悔の多い人生のような文面になっていますが、私はこれまでの人生に悔いはありませんし、彼女の息子で良かったと思っています。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。







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