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忘れ物

4月に準備万端だと密かに自信をもって臨んだ会社のコンペで見事に打ち砕かれたのを機に、最後の大出費という覚悟でゴルフスクールに通い始めました。ゴルフに限らないと思うのですが、上達には一度に沢山練習をするより、こまめに頻度を上げた方が良い、ということで、スクールが近くに所在するメリットを生かして、会社帰りにも自主練習を入れるようにしています。

さて、その夜も20:00から自主練習に汗を流し、一週間の仕事を終えた金曜日の夜ということもあって、快い疲れに浸りながら御堂筋線へと家路を急ぎました。御堂筋線はご存知の通り、この3月から箕面萱野まで延伸した影響もあるからか、混雑が増している気がします。まあ、金曜夜なので仕方ないとは思うのですが、ぎゅうぎゅうとは言わないまでも、練習バッグを手に持っていると若干迷惑を掛けてしまうかもしれない、という混み具合で、思わず網棚にそれを乗せてしまいました。最初に乗せた時に収まり具合が若干悪かったので、バッグの底の縁が奥の棒にしっかり噛むように乗せ直し、ちょっとした達成感を覚えながら、それまで見ていた日経新聞電子版の世界に戻りました。

久しく忘れ物をしていなかった私は、ここで荷物を網棚に乗せたから下車する時には取り忘れないようにと心に念じることを忘れてしまっておりました。最寄り駅を降りた時、こころなしか手元が自由過ぎると思いながら十数歩歩いたところで、ハッと思い出したのです。今日帰りにゴルフ練習をしていたことを。電車は丁度ドアを閉めるところ、いやもう閉まったところだったかもしれません。何れにしても、判断力と反射性に欠ける私には取り戻す可能性はゼロとなってしまっておりました。ホームを過ぎてゆくメトロを為すすべもなく見送り、階下の駅員室へと急ぎました。

箕面萱野に向かったメトロに荷物を忘れてしまったと中年で恰幅の良い男性駅員に告げたのですが、「どうしたいのですか?」との答え。どうしたいもこうしたいも、取り戻したいに決まっているのに、と思いながら、努めて落ち着いて聞いた話を総合すると、①特定の人のために運航中の電車に荷物捜索に入ったりしない、②終着駅である箕面萱野やなかもずでも、人員が十分でなく、折り返し運転の際には車内点検をしない場合さえある、特に北大阪急行側は人手不足が深刻である、③何れにしても誰かに持ち去られない限りはどちらかの終着駅で荷物が確保される可能性が高いが、現在は営業時間外なので、お客様の方から明日の朝営業時間になったら箕面萱野となかもずの遺失物係に連絡して欲しい、ということでした。

幸い練習カバンの中に財布や会社のPC、携帯電話といった貴重品がなかったこともあり、まあ、最悪なくなってしまっても大事には至らないということが慰めではあったものの、注意力散漫で管理能力のない自分には呆れました。しかしもっと情けないのは、自分がそういう人間だということを忘れてしまっていたことでした。余程のことがない限り網棚には乗せないという防衛策をとっていたメキシコ赴任前の自分のことを思い出し、やはり今後は余程のことがない限りは網棚には乗せない、との思いを新たにしました。

と同時に、今回は、無くなってしまって元々という心の余裕もあり、果たして大阪では落し物は無事届けられるのかということにも興味を覚え、翌朝の遺失物係の営業時間開始を楽しみに眠りにつきました。

翌朝、性懲りもなく、地元のゴルフセンターで朝練習を終えた後、まず箕面萱野の遺失物係に電話をしてみると、30秒近く待たされたものの、自分の練習バッグらしきものが届けられているとのこと。駅員との質疑応答でそれが段々自分のものらしいことが確かめられてくると、聞かれていないことまで得意げに話してしまい、忘れ物をした後悔などどこへやら、今すぐに取りに行きます、と答え、箕面萱野へと急ぎました。

箕面萱野駅へは初めての訪問です。仕事柄、当地は残念ながら船場で立ち行かなくなった繊維問屋の移転先であるというイメージを持ちつつ、一方で大阪の老舗の創業者や資産家が集積する緑豊かな邸宅街でもあるのだろうな、そして、今は新線開通に合わせて新たなファミリー層向けの分譲マンションも建築されつつあり、一体現在どんな様子なのだろうと興味があったため、大阪を去る前にこのような機会を得ることができて、少し得をした気分でもありました。

箕面船場阪大前駅までは地下ですが、箕面萱野の手前から高架となり車窓から昔からの風景と新しく開発途上のエリアとが交じり合ったニュータウン的な雰囲気の空間が開けて来ました。このような新駅にまで欧米系と思われる外国人が乗降していたのですが、住人なのでしょうか、或いは訪日旅行者なのでしょうか。忘れ物を取りに行くというのは、非常に無駄な作業ではあるのですが、自分の持ち物について改めて考えてみたり、失うことによって本来かかわりのなかった人々の動きに思いを致したり、見知らぬ土地を訪ねたり、小さなことですが副次的に多くの思いがけない体験を伴う貴重な機会でした。

私はこれから大阪を去る訳ですが、意図せず多くの忘れ物をしていくような気がします。しかし幸い新幹線や国内線といった便利な移動手段もあり、その気にさえなればいつでも無くしてしまったモノを探しに来ることができます。勿論、忘れ物はしないに越したことはなく、無くなる危険を冒してまでわざとするようなものではありません。しかし、人間どのようにしたって、忘れ物をしないというのは不可能ではないでしょうか。そのような時には一度立ち止まって、その物を探し、その物にまつわる人々や出来事に思いを致してみるのも無駄ではないのではないか、と思った次第です。

暮れてゆく大阪の街




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