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生命の木と日本の繋がり~受け継がれた教えカバラ


1、生命の木と十種神宝~はじまりは饒速日

このことを考え始めたのは、十種神宝と饒速日のことを教えてもらったときです。その際に聞いたのは「十種神宝は、生命の木かもしれない」という驚くべき指摘でした。そして、「モーゼもイエスも、日本に来ていた」ということ。これによりその後2年ほどずっとこのテーマに取り組んでいます。

饒速日とは、瓊瓊杵尊以前に、大和の地域を治めていたとされる神で、瓊瓊杵尊と同じ天孫の神であり、瓊瓊杵尊は天照大御神から三種の神器を授けられたとされますが、饒速日は瓊瓊杵尊と同族であると分かるようにと、天照大御神から十種神宝を授かりました。十種神宝は死者をもよみがえらせるという力のあるご神宝です。
生命の木も生命、つまり命を与えるものなので、その辺りも名前からも少し似たものを感じます。

生命の木とは一般的に、ユダヤ異端(密教)として、代々口伝で受け継がれてきた教えのことを言うとされます。そして深淵なカバラの教えを、わかりやすく説明するために形にした、いわば曼荼羅が生命の木です。生命の木は森羅万象を表し、どんなものでも説明ができるとされます。

20世紀に作られたウエイト=スミスタロットのは、カバラ思想を学ぶ魔術結社黄金の夜明け団に在籍していたアーサー・E・ウエイト氏と、パメラ・C・スミス氏によって作成され、このカードは1909年に初めてイギリスで出版されたタロットです。黄金の夜明け団の思想に基づいて作られているので、タロットの背後には生命の木の思想が入ったものとなっています。

ウエイト=スミスタロット

そんな風にしてかつてはユダヤの異端に、20世紀には魔術結社に、その後占いなどのツールとしてタロットカードにそのカバラの思想は受け継がれています。

その様な形でぼくもウエイト=スミスタロットを手にしたことで、生命の木と出会ったのですが、その生命の木と全く何の関連も見られないように思われる、神話の世界の神である饒速日が天照大御神から受け取ったとされるご神宝が、カバラの生命の木なのかもしれない、というのを聞いたときに、まさかとは思っても、もしかしてそうかもしれないと瞬間に思ってしまったのです。

十種神宝を持った饒速日とは何者で、どうして表の歴史から忽然と消えてしまったのか?そして饒速日は物部氏の祖とされています。物部氏とはかなり古い時代の渡来人で、聖徳太子の時代に神道を推す物部氏は、仏教を推す蘇我氏との争いに敗れ、政治の表舞台からは消えてしまったのです。


もしかしたら瓊瓊杵尊に国を譲り、饒速日は十種神宝をもって海洋民族として日本を出て、シュメール文明の辺りに行き着き、その子孫が物部氏、海部氏として日本に渡来人として戻ってきて、丹後の籠神社海部氏、大和の石上神宮の物部氏となったのではないかという、壮大な古代史の謎の妄想を駆り立てられるのです。

十種神宝についての詳細はこちらをご覧ください。


2、竹内文書と来日した聖者たち

生命の木と日本の繋がりという点で、驚くべき人物たちが古代の日本に来日していたという記述が竹内文書にはあります。

竹内文書または竹内文献とは、日本で最も古いとされる宮である高祖皇大神宮の神官を代々世襲している竹内家に秘蔵された古文書類の総称。

そこに記されているのは、モーゼ、釈迦、孔子、孟子、老子、イエス、マホメット、伏羲、神農といった歴史上の人物が日本に来て学んだという記録です。これら世界の聖人と言われる人たちは、共通して生涯の中に、何をしていたのかよくわからない不明の時期を持つ。その謎の期間を埋めるのが竹内文書で、ちょうど不明の時期と、日本に来ていた期間が一致するという! 彼らは当時世界の中心であった日本に留学に来ていたのだそうです。

その中で注目したいのはモーゼです。モーゼはユダヤ教、キリスト教、イスラム教いずれにおいてもとても重要な預言者です。なぜならこの3つの宗教の聖典である旧約聖書の創世記を含めた重要な部分を書いたのが、モーゼだからです。
モーゼは歴史的には紀元前1300年頃の人とされており、日本は縄文時代です。モーゼは十戒を神から授かったとされる人で、十戒と一緒に神からカバラの教えも授かった人であるとも言われています。

ここでは深入りしませんが、仮に竹内文書の記述を信じるとすると、わざわざモーゼが遠い日本まで来て何かを学び得て帰っていくことと、十戒や後に旧約聖書にまとめられる神話や歴史、カバラの教えについても、何ら無関係ではないのではないかと思われるのです。実際に、竹内文書にはモーゼが二度十戒を授かったことが書かれており、聖書でもモーゼは一度石板を割ってしまうので、その点も一致しています。さらにモーゼのお墓が石川県に現在もあるのです。

そしてここで少し疑問に思うのは、日本の長い長い縄文時代とは、いったいどんな時代だったかということです。竹内文書によれば、少なくともモーゼが来た頃(紀元前1300年くらい)には、「日本が世界の中心だった」とのこと。なぜそれほど長く、平和な時代を築けたのかの、謎にも通じそうです。

今回はこのあたりにとどめますが、生命の木と日本の繋がり(しかも日本の縄文時代との繋がり)を少しでも感じてもらえればと思います。  

3、生命の木の概念の起源~6000年前のシュメール文明

生命の木の概念の起源については様々な説があり、実際にははっきりしていません。これも仮説の1つではありますが、ユダヤ教の異端の教え(密教)と聞いていたものの、実はそれよりはるかに古い、6000年前のシュメール文明にその起源があるとも考えられています。

シュメール文明と言えばスメル、スメラミコトということで、以前こちらのチャンネルでもyoutubeライブで配信しましたが、約7300年前の鬼海カルデラの噴火によって、西日本の縄文文化は壊滅的な打撃を受け、生き残った縄文人たちが大陸へと渡り、西へ移動し、縄文人たちの末裔が作ったのがシュメール文明ではないか?というお話をしました。

このことは「日本とタルタリアの驚くべき繋がり~ユーラシア文化圏の秘密」というタイトルでyoutubeライブを行っています。詳細はこちらの2本の動画をご覧ください。



こう考えると、例えカバラの教えがシュメール文明から生まれたとしても、やはり日本との関りを感じられるというわけです。

4、タルタリア、ルネサンス、古代ローマ、アレクサンダー大王のヘレニズム文化で花開いたもの


タルタリア、ルネサンス、古代ローマ、アレクサンダー大王のヘレニズム文化に共通するのは、巨大な建築物を作り上げる技術、東西の文化の融合、交流、芸術的なレベルの高さ、特に大理石など石造りのもの、そしてまだ一神教を背景にもった権力に支配される前、もしくはその支配力が一時的に弱まったときに現れた、思想、学問的な面での自由な雰囲気が、よく似ているように思われます。

この中でこれまで上記のチャンネルでは、ヘルメス文書やタルタリアをテーマで取り上げてきました。ヘルメス文書はアレクサンダー大王のヘレニズム文化が花開いたときに、東はインド、西は地中海世界までの広い範囲の叡智が、エジプトの都市アレクサンドリアに集結し、その叡智は図書館に収めらたこと。しかし後にローマによって滅ぼされ、書物は図書館とともに焼かれてしまいましたが、ヘルメス文書としてまとめられたものが残され、それを後のイスラム教徒が受け継ぎ、交易の結果フィレンツェのメディチ家の手に渡りルネサンスの開花へと繋がったことをお話しました。

最後に、ルネサンスとは、古代ギリシャ・ローマ文化の復活です。なぜルネサンスの話をしたかというと、ここでもう一度竹内文書とモーゼに登場してもらうと、この書の中には、なんとモーゼがローマの建国の父ということが書かれています。もし日本ともゆかりの深いモーゼがローマ建国の父ならば、現在の巨大なローマの遺跡の数々を作り上げた技術は、モーゼが持っていたであろうカバラの叡智を用いた表れなのかもしれません。

そしてぼくは個人的には、タルタリアは古代エジプト、古代ローマやシュメール文明の叡智を受け継いだものだと思っています。その中にはきっと、カバラの叡智も、何らかのかたちで含まれているのだろうと考えています。

ということで、誇大(古代)妄想はこのあたりにしたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考文献
「超図解竹内文書」高坂和導 徳間書店
「超図解竹内文書Ⅱ」高坂和導 徳間書店

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