名古屋空襲伝え続ける“お地蔵さん”
昨日、5/20の朝、たまたまテレビの前を通った時に、この番組がやっていました。こちらのリンクのNHK名古屋の番組がまさに始まったところでした。見たことのあるお地蔵さんだなと思ったら・・・
2021年の夏至の蒸し暑い日、蒸し暑い名古屋の栄の中心部の待ち合わせのカフェに向かい、ぼくは重いパソコンをもって早歩きをしていました。暑かったので、早く涼しいカフェに入りたかったのです。
そして急に足がもつれ、転びそうになり、ぎりぎりのところで踏ん張りました。危うくパソコンを持ったまま、街中で転ぶところだったので、びっくりしました。ものすごく段差のあるところを、落ちたような感じがしました。しかしそこでよく見ると全く段差はなく、え?と逆にびっくりしました。こんな平らなところで、あの落差のような感覚はなんだったのか。
ふらついたところを、見られたかな?と思い周りをきょろきょろ見渡してみると、昼時だったので、店に急ぐサラリーマンの人たちが行き交っていましたが、幸い誰もこっちを見ていませんでした。
すると、ふと、低い位置に第二次世界大戦も終わろうとするとき、名古屋は大空襲で、、、の文書が目に留まり、思わず読みました。
するとそこには、
とありました。驚きました。こんな街の真ん中に防空壕があり、戦争末期に子供を含む市民が暮らしていて、空襲にまきこまれて亡くなっていたとは。
その後、ぼくは師事していた霊力の強い先生にこのことを伝えると、そこの写真を送ってほしいと言われ、写真を送ると、8人の霊がまだ成仏できていないとのことで、後日先生がご供養して下さることになりました。
実はぼくは事情があり、般若心経を期日までに千回唱えなくてはいけなくて、その日も般若心経を唱えながら歩いていました。そのため、成仏できていない霊の方が、般若心経を聞き、助けてほしいとぼくの足をつかみ、ぼくが転びそうになったのだということを教えられました。
あれから3年経ち、改めてこの番組でお地蔵様のお顔を突然見て、はっとしました。これは何のメッセージだろうと考えてみて、こうして文章を書き、理解していただける方に読んでいただくことが、供養になるのではないかと思い書いてみました。ある意味、その方々にとっては、今年長い時間を経ての、三回忌です。合掌。
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