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オーストラリアで馬主になる方法-エルから始まる物語(第1話セリ編)

僕は今、飛行機に乗っている。オーストラリアのゴールドコーストで行われる「マジックミリオンズ」という国内最大級の馬のセリに向かう途中だ。もちろん、馬を買うためである。なぜこのようなことになったのか、経緯を話すとややこしくなるのでやめておこう。とにかく、オーストラリアで馬を共有して走らせることになったのだ。その馬を購買するために、成田からゴールドコーストまで、狭い機内で肩をすぼめるようにして座り、そしてノートパソコンのキーボードをカタカタと鳴らしている。

ずっと馬主になりたかった。高校時代のアルバイト中に、駐車場の「駐」マークを「馬主」と読んであきれられたぐらいだから、もう30年近く、馬主にあこがれていたことになる。馬主と言ってもピンキリで、たとえば1000分の1の一口馬主もいれば、中央競馬で何頭もの馬を所有する馬主もいる。そこに優劣はなく、誰もがそれぞれの甲斐性に応じて、サラブレッドの競走生活を維持している。僕も実際に一口馬主になってみて、馬券とは違った、競馬の楽しみ方のひとつを覚えたつもりである。

1頭のサラブレッドが育成時代を経て、デビューするまでの気が遠くなるような長い道のり。出資馬の名が競馬新聞に載ったときの喜び。パドックを回っているときのワクワクとドキドキ。我が子の運動会で声を枯らして応援するときのような、レースの高揚感と敗北を喫して打ちひしがれる気持ち。無事に走ってくれたことに対する感謝。気を取り直して、次の一戦を待つ忍耐。そして、ひとつの勝利を挙げたときの歓喜。怪我や疾病が分かったときの不安。病気が治るようにと祈り、またひたすら待ち続ける空虚。待ちに待った復帰戦。ジョッキーに対する信頼。頑張って走った愛馬へのねぎらい。引退が決まったとき、突然愛する者を失ってしまったような絶望。競馬にたずさわる者が抱く、あらゆる全ての感情を、一口馬主になることでプチ体験させてもらった。

しかしもう少し、何というべきか、生々しく、濃く、リアルに、馬主というものになってみたくなった。その馬の何口または何分の1を所有しているという割合の問題ではない。一口馬主クラブであっても、ひとりで馬の半分を所有している人だっているかもしれない。1頭を丸々持っているにもかかわらず、人任せにして馬を実際に見たことのない馬主だっているだろう。そうではなく、高度なシステムに管理された中央競馬の一口馬主制度の下ではなく、もっと密接な形で馬を所有し、育成し、調教して走らせることに身近にたずさわってみたいのである。

そこには自分でセリに行って馬を選び、調教師や厩舎を決めて依頼し、レースまでの道のりを同じ気持ちで歩み、育成の方針について話し合い、ときには出走するレースの条件を提案してみたり、レースではジョッキーに乗り方を伝え、さらには馬が現役を引退後もきちんと面倒を見て、牝馬であれば再び繁殖牝馬として牧場に戻し、その先の生産にたずさわることも含まれるだろう。そうして生まれて来た仔馬をまたターフで走らせる。馬主とはひとつの生命に対して責任を持ち、終わらないサイクルを回し続けることを引き受ける者なのではないだろうか。それは親になることに近い。そう考えると、温かいものを胸に感じると同時に、背筋がひんやりと寒くなった。

ゴールドコースト空港から40分ほどバスに乗り、サーファーズパラダイスという地区に建つホテルに荷物を置き、そこからタクシーで10分ほど行くと、ゴールドコースト競馬場が見えてきた。その奥にマジックミリオンズの会場はある。6月5日から7日まで開催される今回のマジックミリオンズのセールは、日本で言うとオータムセールのような位置づけにあたる。それまでのセリで売れなかった馬から、早熟の短距離馬と比べて成長が遅いステイヤー、途中に何らかのアクシデントがあり調整が遅れてしまっていた馬まで、あらゆるタイプの馬が集まる玉石混交のセリである。分かりやすく言うと、残り物には福がある反面、大外れをつかまされることもあるシーズン最後のセールである。ちなみに、マジックミリオンズは年に複数回行われており、競馬場でレースが同時開催されているときもあるが、今回はセールのみであることもあって、セール全体の印象は静かである。もちろん、日本人バイヤーの姿はひとりも見かけない。

マジックミリオンズイメージ

会場入り口に到着すると、西谷泰宏調教師が待っていてくれた。西谷調教師は現役のジョッキーでもあり、オーストラリアの競馬学校を卒業して、騎手として活躍し、岩手競馬でも短期免許で騎乗したことがある。今はタスマニアというオーストラリア最南端の島において、調教師として馬を育て、レースでも騎乗することもある二刀流である。今日はオーストラリアのセールで馬を買うのが初めてになる私たちをサポートするために、タスマニア島からわざわざゴールドコーストまでやって来てくれた。彼が卒業した競馬学校をつくったハイランド真理子さんから、実直な人だと聞いていたとおり。初対面にしてすぐに相手の信頼を得ることができるのは人間性の良さゆえだろう。

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何よりも先に、購買者登録を済ませなければ、話は先に進まない。オーストラリアでは個人で馬主になるためには、収入証明も煩雑な手続きも必要なく、まずは馬を買って、調教師と契約を結べばよい。最初のステップである購買者登録も、所定の様式に必要事項を記入していくだけで、ものの5分で終わってしまう。こんなにもあっさりとサラブレッドを買う手続きが終わって良いのかとこちらが心配になるほど簡単である。購買者登録が終わると、セリの名簿の裏面にステッカーのようなものが貼られる。相手と競るときに、このセリ名簿を高く掲げて、裏に貼られたステッカーを見せることで、もうひと声の代わりになるらしい。買う気もないのに、間違ってステッカーを見せてしまったりしたら大変だ。

カタログ

3日間連続開催でおよそ560頭が上場される。1日190頭の1歳馬(8月で2歳になる)が、馬生最初の表舞台に上がるということだ。3日間のうち、最初の2日間がBOOK1、最後の1日がBOOK2に分かれる。明確な区分けはないが、BOOK1の初日には比較的高値がつきそうな血統や馬体の馬が登場し、BOOK2にかけてゆるやかに安値で買えそうな馬が増えていくらしい。私たちの予算は200万ほどであるから、さすがに初日で買うのは難しく、上手く行けば2日目、何としても3日目には決着をつけて帰られなければならない。

とはいえ、馬を買うこと自体が目的ではないため、良い馬が見当たらなかったり、良い馬だと思っても予算内で買えなかったりすれば、買わずに迷うことなく日本に帰ろうとは考えていた。共有する人たちに明確には伝えていなかったが、自分が少しでも納得していない馬を買うことだけはやめようと心に決めていたのだ。セリに来ると、しかもわざわざ海外のセリまで来て、馬を買わないで帰るのは難しい判断になるのは分かっていた。だからこそ、それでも買わないという選択をする勇気も忘れずにいようと思っていたのだ。

今回のセールを訪れるにあたって、たった1度だけ共有する会社の担当者と打ち合わせを行った。やみくもに良い馬を探して買うのではなく、あるテーマやコンセプトを持って臨もうという目的である。私や西谷調教師を含めて数名がかかわる馬だけに、せめて方向性だけは決めておかないと当日意見がバラバラになったり、各々が的外れな馬を見ることに時間を費やしてしまうことになるからである。

その打ち合わせで決まったことは、牝馬を購入するということ。オーストラリアは短距離のレースが多く、マッチョな牡馬が活躍することが多いが、そのほとんどはセン馬にされてしまい、種牡馬になるのは血統が優れている一握りの馬のみ。つまり、牡馬は走って終わりになってしまう可能性が非常に高い。走らなくて終わりとも言える。それに対して、牝馬は競走生活が終わった後も、繁殖牝馬として活躍することができる。走る牝馬を引き当てて、さらにその仔たちにも期待できるとなれば、最高のストーリーではないか。

そのテーマのもと、西谷調教師には事前に選別をお願いしていた。さすがに半分でもおよそ280頭の牝馬を全て見ることは難しいため、まずは西谷調教師に絞り込みをかけてもらうことにした。

1、明らかに高くなりそうな牝馬を除外
2、母系に今後の飛躍の可能性のある馬、
3、繁殖牝馬としての能力評価が見込める馬、
4、将来的に繁殖牝馬として売却しても価値が見込める馬、

という条件に沿って、西谷調教師が選別して、見込のある馬80頭が挙がってきた。2の母系に今後の飛躍の可能性のある馬という視点は面白い。つまり、パッと見た感じ血統は冴えないが、まだこれから兄弟姉妹や近親が活躍しそうな馬がいて、ブラックタイプが期待出来そうな馬ということだ。現時点では結果が出ていなくても、兄や姉に良い種牡馬が配合されているため、今後、兄弟姉妹が走り出して母系としての評価が高まることを狙ってということである。繁殖牝馬としての評価が上がるためには、自分自身だけが走れば良いというものでもなく、ファミリーとしてそれぞれが活躍しなければならない。

絞り込み

その80頭の中から、今度は私が、マジックミリオンズのサイトにアップされている各馬の立ち写真を見て、さらなる絞り込みをかけることになった。写真が提出されていない馬もいたが、セールに出すにもかかわらず立ち写真1枚が上げられない牧場の生産馬などたかが知れていると解釈し、真っ先に見送った。立ち写真があるおよそ40頭の中から、馬体のバランスや筋肉の付き方、顔つきなどを総合的に判断し、2頭の大本命◎と1頭の対抗○、7頭の単穴▲、計10頭まで絞った。あまり限定しすぎても、買えなくなってしまう心配があったので10頭を挙げたが、個人的には2頭の大本命以外はあまり良く見えなかったというのが正直なところである。その2頭にしても優劣があって、初日の2113の方が2日目の2294より好ましく見えた。

エルの立ち写真

今だから言えるが、2113がダメなら2294で、それがダメだったら、買わずに帰ろうという気持ちであった。実際に馬を見てみれば、考え方は大きく変わったのだが、事前の考えとしては、それ以外のあまり良く見えない馬に妥協したくなかったのだ。しかし、先ほども述べたように、初日は高値の馬が揃う傾向にあり、予算的に2113はもちろん、2日目の2294も買えるかどうか怪しかった。生まれて初めてのセリで、買いたくても買えなかった悔しい気持ちを抱えて、日本に戻るのも悪くない。

マジックミリオンズイメージ04

セリ会場の席を確保して、馬の下見に行くことになった。会場の傍にある厩舎に足を運び、気になる馬を馬房から出して、個別に見せてもらうのである。せっかくだから、私が挙げていた10頭の中の最も番号が小さい(早く登場する)2030がいる厩舎に声をかけてみた。快く馬を出してきてくれ、止まって見せてくれようとしたが、馬が興奮して立ち上がってしまう。最初に観た馬がこんな様子であり、私は難しい馬は好みではないので心のリストから消すことになってしまった。それでも歩様を見せてもらおうとして、動画を回していると、突然その馬がこちらに向かってきて、後ろ脚で私たちを蹴ろうとしたのだ。実馬ではなく、カメラの画面をのぞき込んでいた私にはあまりの不意打ちであり、動くことさえできなかった。しかし、運よく馬の後ろ肢の蹄は私の鼻の先をかすめ、空を切った。あと少し近くにいたとしたら、私は今ごろオーストラリアの病院のベッドに寝ていただろう。馬を扱う仕事は命がけなのである。

次に見せてもらったのは、AQUISという中国資本の大規模牧場からの上場馬である。大手の牧場だけあって、セリ会場において厩舎を貸し切っているだけではなく、馬を引くスタッフもそして引かれてきた馬も実に訓練されている。先ほどの暴れ馬とは全く違う規律のあるウォーキングと態度に私は胸をなで下ろした。セールのためにつくられているとはいえ、惚れ惚れするほどの馬体であり毛艶であり、牡馬のためリストには挙がっていなかったが、つい手を上げてしまいそうな素晴らしい馬であった。

次に厩舎を移動して、いよいよ私の本命の2113を下見することになった。

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馬房から可愛らしい顔をのぞかせると、少し恥ずかしそうに連れ出されてきて、私たちの目の前でピタリと止まった。立ち写真で観たときよりも、腹回りがポコッとして、その分、馬体が短く映るが、歩様は実にスムーズである。がっちりとしたスプリンターではなく、手脚が長く、軽さもあって、全体のフレームが大きい、距離は長くても良いタイプの馬体である。この先、さらに良くなりそうな雰囲気がある。

エルと初体面02

エルと初体面03

エルと初体面04

西谷調教師からも「身体全体を柔らかく使って歩けていて、どこも悪いところがない」との評価をいただいた。馬の脚元までチェックして、健康であり、レントゲン検査も終わっているので全く問題ないと判断した。顔が綺麗な馬で、鼻の穴が大きいのは競走馬にとっての長所である。初対面の私が触っても顔を擦りつけてくるぐらい、人を信頼していて、気性的には大人しい。

私は馬券の種類は単勝を買うように、一点突破型の性格なので、この馬と決めたらそれ以外の馬はさほど気にならなくなる。この日はこのEL ROCAの仔を手に入れることだけを考えようと決意し、他の馬は下見することなくテーブルに着いた。とはいえ、上が30万ドル(父ハイジャパラル)、全兄が8万ドル(重賞3着)など、兄弟はかなり高額で取引された実績を考慮すると、この馬も私たちの予算を超えていく可能性が非常に高いため、撤退ラインも決めておかなければならない。200万円をオーストラリアドルに換算し、税金8%を含めて計算すると大体2万5000ドルが一線となりそうだ。ここを超えるようであれば潔くあきらめるというラインである。

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あっという間にその時はやってきた。2112番の馬が去り、2113番EL ROCAの牝馬が登場した。一瞬の静寂のあとに、ひと声1万ドル。そしてもうひと組のライバルが現れ、「2万ドル」と一気に跳ね上がった。私たちはプラン通りに最後まで息をひそめておいて、勝負どころのひと声で決めようと息を殺して待っていた。まだ2組の競り合いは続く。2200、2300とジワジワとつり上がっていき、片方が2500と告げた。私たちの撤退ラインをあっという間に超えてしまおうとしている。私は半ばあきらめに似た気持ちで、初めての人間が最初で落とせるほど競りは簡単じゃないよねと思った。私たちは結局ひと声も発することなく、どうしても手に入れたかった1頭が目の前を通り過ぎるのを待つしかないのだろうか。

そのとき、永遠にも感じる間が訪れる。時が止まったという表現が適切かもしれない。まさに固唾を飲む音が聞えてきそう。そこで、西谷調教師が動いた。

「26000!」

再び永い静寂がやってくる。誰もピクリとも動かない。誰かがひと声かけてしまったら、私たちの戦いは終わる。しかし、どこからも声が上がらない。もしかすると、他の陣営も25000をデッドラインと決めていたのかもしれない。空気を読んだのか、ハンマーは打ち下ろされた。私たちが落札したのだ!

私は極めて冷静に振舞おうと努めた。けれども、自分の心臓がバクバクと脈打つ鼓動だけは感じるものの、周りの音は一切聞えなくなっていた。ただ一言、西谷調教師の「おめでとうございます」だけが聞え、関係者たちとがっちり握手をした。これまで女の子と手を握った忘れられない思い出はいくつかあるが、男性との忘れられない握手はこれが最初で最後だろう。

セリ会場の係員の女性がおもむろにやって来て、渡された書類にサインをすると手続きは完了。サラブレッド1頭を購入できたという実感すらないまま、しばらく余韻に浸り、居ても立っても居られなくなった私たちは、彼女のいる馬房に行こうという話になった。私たちの元にやってくることになった彼女の顔を見たくて仕方なくなったのだ。

つい先ほど訪れた2113と番号が打たれた馬房には彼女がいた。スタッフに頼んで、馬房から出して来てもらい、記念撮影をさせてもらった。こんなことがあると分かっていたら、もう少しビシッと決めてきたのに。私はユニクロのパーカーを着た姿で彼女の横に立ち、首筋を触ってみた。何という温かさ。血が通っている生き物としての温もり。そんなことを感じていると、彼女は私に頭を擦り付けて来た。後から思い返すと、あれはこれからよろしくねという彼女なりの挨拶だったのかもしれない。私は夢にまで見た、購入した馬との記念撮影を終えた。

エルと記念撮影

そのとき、西谷調教師から「この仔の幼名は何にします?」と聞かれた。私個人だけの馬ではないため、名前はもちろん決めていなかったし、そもそも本当に買えるかどうか半信半疑であったので名前の候補さえ持ち合わせていなかった。少し焦っていると、彼女のいる馬房に掲げられている血統表が目に入った。父EL ROCA。「エルはどうでしょうか?」と提案したところ、「いいですね」と満場一致で決まった。彼女の幼名はエル。競走馬としてデビューするまでには本当の名前を決めなければならないが、ひとまずは名前が決まって安心した。馬房に戻された彼女の鼻を柵越しに撫でながら、「また今度、タスマニアに会いに行くね」と言って別れた。私たちは目と目で通じ合った気がした。

再びテーブルに戻り、私たちは誰からともなく自然に今日の振り返りをした。誰もがひと仕事終えた気持ちで一杯であり、皆で達成感を共有したかったのかもしれない。私たちの結論としては、このように全てが上手く行くとは誰もが思っていなかったということ。初日に買えるとは思っていなかったし、また1番ほしい馬が買えるとも思っていなかった。買いたい馬など買うことはできず、どこかで何かに妥協して、買えた馬が縁があった馬ということになるのだろうと想像していた。まさか560頭の中で最も手に入れたかった馬と縁があるとは何という幸運か。

「事前に良い馬だと考えていても、実馬を見てみると印象が違ったり、レントゲン検査で悪いところが見つかったり、また問題がなくて買いたいと思ってもセリで値段が上がってしまい予算的に買えなかったりして、全ての条件をクリアした上で、本当に望む馬を手に入るのは難しいのですよ」と西谷調教師も言っていた。実際にこの後、翌日も含めて数十頭の馬を見て回って、ようやくその言葉の真意を私は理解した。全てがパーフェクトに折り合って、ひとつの妥協もせずに買える馬などいないに等しかった。いずれにせよ、私たちはパーフェクトに成し遂げたのだ。

(私たちにとって)完璧な馬を手に入れたと興奮して、その夜は静かに盛り上がった。ステーキを食べながら、私たちの今日の興奮と幸運を振り返り、これからの夢や希望を語り、もちろん現実的な話もした。

エルはタスマニアにある西谷調教師の厩舎にて調教され、タスマニアの競馬場でデビューすることになる。オーストラリアでさえほとんどの日本人にとっては異国であり、タスマニアなんて未知の世界だろう。正直に言うと、この話が来るまでは私もタスマニアについて全く知らなかった。タスマニアはオーストラリア大陸の右下から少し離れたところにある島である。私の中では大島のようなものだと最初はイメージしたが、実際の規模はその50倍程度であるそうだ。島の面積としては北海道よりやや小さいぐらいで、人口は50万人。北海道の人口が550万人ぐらいだから、あの北海道に比べても人口密度は10分の1ぐらいということになる。人間よりも動物や植物が多い、自然あふれる島なのである。

タスマニア

西谷調教師は「メルボルンカップを目指しましょう」と言ってくれた。そこまで考えていなかった私は、意表を突かれた気がしたが、最初から夢を持たないのはつまらなすぎる。ともすると、私たちは馬代金を稼ごうとか、せめて月々の維持費はペイしてもらいたいとなりがちだが、それは行き着くところ、愛馬を労働者や経済動物としてみなすことになる。レースが終わったあとの調教師からの連絡に対し、「今月もう一走できるか?」と真っ先に聞くようなオーナーにはなりたくはない。馬主歴ウン十年という先達たちには青臭いと言われるかもしれないが、私たちは遠くを見ていたいのだ。射程圏を遠くに定めながら、その馬に合わせて少しずつ近くに着地していくことはいつでもできる。

ゆくゆくは香港や日本などの海外にも遠征してみたいと西谷調教師は夢を語ってくれた。日本から飛び出してオーストラリアで騎手になり、岩手競馬でも騎乗したことのある西谷調教師が言うのだから大げさにも聞こえない。「勝ち負けは別にして、競馬を通してそのような経験ができることを楽しむべきだと思います」とも言ってくれた。そう、楽しむことだ。壮大な夢も経済的な現実も大切ではあるが、その真ん中に楽しむことがある。せっかくの共有馬主なのだから、チームで楽しもう。「喜びは2倍に、悲しみは半分に」と誰かが言ってたではないか。

まずはひとつの目標として、タスマニアオークスを目指すことに決まった。エルの成長曲線や馬体のつくりを考えると、本格化するのは3歳になってからだろうし、距離は長い方が合っているはず。そうは言っても、3歳まで何もしないで待つのではなく、できるだけ日々のトレーニングやケアを通して馬を少しでも前進させながら、馬が疲れてきたら引いて、成長を阻害することなく助長することに努める。これを繰り返すことで馬は強くなる。やりすぎてもいけないし、アスリートを育てる以上、やらなすぎてもいけない。どれだけ手と目と心をかけられるかどうかで馬の未来は変わる。

その先の目標は、メルボルンに行って、タスマニア調教馬のままG1レースを勝つことだ。タスマニア地区とメルボルン地区ではどれぐらいのレベル差があるのかまだ分かっていないが、決して不可能ではないだろう。現に今年の3月2日(土)にメルボルンのフレミントン競馬場で行われたG1オーストラリアギニーズ(芝1600m)を、アダム・トリンダー厩舎のミスティックジャーニーという3歳牝馬が優勝したのだ。ミスティックジャーニーはマジックミリオンズタスマニアセールスにて1万1000ドルで購入され、そのままタスマニアで調教され、地元の重賞を制した勢いでメルボルンに遠征して臨んだ一戦であった。タスマニア調教馬のままメルボルンのG1レースを勝ったのは歴史上初めてになる(その後、ミスティックジャーニーはあのリスグラシューが勝ったコックスプレートで5着している)。エルには第2のミスティックジャーニー、そして第2のウインクスになってもらいたい。

その日の夜は、なかなか寝付くことができなかった。ベッドからもう1度起き上がって、セリの名簿を手に取り、2113のページを穴が開くほどに見つめた。そこにはエルがこの世に誕生するまでに経て来た血統という名の歴史が綴られている。

血統的にはエルの父EL ROCAは1000m~1200mの距離で3勝を挙げたうち、エスキモープリンスS(G3・1200m)を制している。その時の鞍上であった、日本でもおなじみのヒュー・ボウマン騎手は以下のようにEL ROCAを評した。

"I hold him in very high regard...He is just a very good horse and a good stallion prospect."
(私は彼のことを大変素晴らしい馬だと思っている。彼はとても良き競走馬であり、また種牡馬としての成功も見込めるはずだ)

少し冷静になって考えてみると、エルは決して誰もが飛びつくような派手な血統ではない。馬体だけではなく、血統も大切だと思っている私の心に不安が芽生えてきた。しかし、EL ROCAは未知の種牡馬ではあるが、エルの全兄Moeraki(父EL ROCA)はG3で3着の実績がある。血統的には良血とは言いがたいのだが、西谷調教師によると、ひとつ下の弟(父ハイジャパラル)が活躍すれば母系の評価も高まるはずとのことであった。競走馬を購入した誰もが、このような期待と心配の間を行き来するものだろうか。

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私たちはスタート地点に立ったにすぎない。馬を買うことや馬主になることは、夢のひとつであり、よくぞここまで来られたと自分を認めて、褒めつつ、競走馬を所有して走らせる旅は今ここから始まったのだと自覚した。私たちは生命を預かったのだ。サラブレッドは私たち人間がいなければ生きていけない。私たちはエルを守らなければならない。角居勝彦調教師の言葉が心に浮かんで、いつまでも消えなかった。

サラブレッドはしゃべれない。
どんな扱いを受けようが、ただ黙って、人間にすべてをゆだねて生きていく。
馬が生を受けるとき、父馬と母馬は、人間が人間の都合で選んだ種牡馬と繁殖牝馬である。生まれた子馬は、人間の都合で厳しい育成を受け、人間の都合で売買される。そして、人間の都合で激しいレースを闘わされ、これに勝ち抜いて生き残れば今度は、人間の都合で父馬や母馬として優れた血を伝えることを求められる。
彼らの生涯は、すべて人間の都合によって支配されているのである。
それでも、サラブレッドはしゃべれない。
何という儚い動物なのだろう。わずかなアクシデントでも命を失う過酷な宿命、熾烈な淘汰のための競争、人に委ねられた生活。そういう研ぎ澄まされた毎日を、まるで綱渡りでもするようにして、サラブレッドというガラス細工の芸術作品は、少しずつ少しずつ作り上げられていく。
この美しく儚い動物を守っていきたい、と私は思った。
私が競馬を仕事にしようと決めたのは、そういう思いが原点だった。
サラブレッドの人生を守り、より良い生涯を送れるように、私ができる限りのことをしたい。
牧場での毎日から生まれたそんな思いが出発点になって、私は競馬の世界に足を踏み入れていき、そして、サラブレッドと競馬の魅力の虜になって、離れられなくなった。
(「勝利の競馬、仕事の極意」角居勝彦著 より)

西谷調教師と握手


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