精神的な安定と努力について

人間は人前に出る時は大抵元気ですと答える。少なくとも「私は今精神がボロボロです」と、親しい間柄の場合を除いて公言する人は見たことがないだろう。それ故かメンタルが病んで鬱病になったりした人に対して「それは甘えだ」「弱すぎる」などと言う意見もしばしば見受けられる。そう思う人達は「鬱病なんて余程の事がなければならないし、己の努力次第で何とかなる。もし自分がそういう環境に陥ったとしても鬱病にはならない。」と思っているかもしれない。また「あなたはまだ幸運でしょう。私はもっと辛く過酷な生活をしてきたけど乗り越えてきたのだからそんなことくらいで助けを求めないで」と不幸自慢が始まったりもする。

ところで、この考えは大きな誤りを抱えていることは分かるだろうか?

まず精神的に弱っている時に自分の努力次第で何とかなるかどうかはその人自身による。多種多様な経験を経て、対処法を編み出せるような人なら可能だろう。しかし一般には、精神的に参っている時は冷静に考えることが出来ないので難しいはずだ。単純な作業すら億劫になってしまうことすらある、そんな時に自分の意思で出来る努力の範囲というのは非常に限られてくる。更に物事に対する感じ方や捉え方は人によって変わるし、他人の感じ方を完璧に理解する事は不可能である。つまり他人が辛い思いをしている様子を見て、「自分が同様の状況に陥っても平気だ」と例え思ってもそれを理由に他人に対してそれは甘えだと指摘することは必ずしも正しくはないのだ。

その事実を認めたとしても、結局のところ自分が努力しなければ状況は打開しないと思う人もいるかもしれない。最終的に行動するのは自分自身であるし実際のところ他人・社会の支援には限界がある訳で、この意見も間違いではないと思う。

一方で生まれや遺伝子など自分の努力ではどうにもならない部分も数多く存在するのは〇〇ガチャという表現が流布していることからも自明である。科学技術の発展により少しずつ「どうにもならない部分」も減ってきてはいるが、そういった面があることも認識する必要がある。とは言っても大体の人が自分の努力に限界があるのは分かっているだろう。

それを踏まえると、努力の限界という概念を認識しているのにもかかわらず「鬱病は甘え」といった正しくない指摘がそう少なくない頻度で目にするのは他人の努力量や限界がわからないからに他ならない。

私も昔は「精神的な病を抱えて苦しんでいます」という事を言われてもいまいち理解が出来なかった。ひどく落ち込んだりしたことはあったものの何日かすればまた元通りになっていたので、絶望しきって何事もしたくないという感覚が全く分からなかったのである。

そんな風に生きてきたが昨年、ただでさえ希望していた大学に入学できずに思い描いていた大学生活が出来なかったことで憂鬱になっていた上に、感染症の流行によってまともに外出も出来ず、四六時中取り組んでも無限に出される課題にこれ以上ないくらいに疲弊した。インターネットを使わざるを得なかった状況故にSNSで交友関係を築こうとしたが、元々人とのコミュニケーションが苦手だったことも仇となり上手く行かずむしろ人の「裏」に多く触れる事となってしまい、私の精神はすっかり参ってしまった。今思えば鬱にかなり近い状態だったと思う。あの体験をもう一度してこいと言われたら、生きる気力がなくなってしまうだろう。

もちろん努力を怠っていたわけでもなく、むしろ自分の中では過去最大級に努力していた、といっても過言ではない。自主的に宿題をやろうとしなかった人間が娯楽や趣味に当てる時間を制限して率先して課題に時間を割くようにさえしたのにもかかわらず全く課題は終わらなかったしその出来も良くなかった、という状況が続いて心が折れてしまったのである。

このようなしたくもない経験をしたことで、「本当にメンタルがおかしくなっている時は何事も出来なくなって能率が格段に落ちるし、鬱は甘えでは決してない」事を身を持って理解したのだ。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という名言があるが、他者の心情に関しては自分が同様の経験しなければ、本質的には理解できないのではないかと個人的には考えている。その経験が自身にとって良い事であるかは別だが。

幸いにも感染状況が落ち着いたことや、学業面についてもさほど忙しくなくなったために現在では調子を取り戻すことが出来た。しかしながら回復には長い時間と労力を要したのも事実である。出来る限り無理をせずに生活していった方が良いのは明らかだ。

そうは言っても今現在、苦境に立たされている人もいるだろうし、これからどんな困難が待ち構えているかはわからない。そういう人に参考になるかどうかは分からないけれども、私がどのようにして精神的な苦境から脱する事が出来たのかについて書きたい。

まず、休むことが大事だった。

当然だがあまりにも忙しい状況の中ではとてもではないがメンタルの回復なんか見込めない。数日、自由に出来る時間があるだけでも変わってくる。そうして少し落ち着いたら温泉に行ったりするのも得策だと思う。実際に自分も温泉に行って心を休めることでやっと何かをする気力が湧いてきた。その意味では昨年は厳しかったと思う。

無論自分の趣味に没頭したり、そこまででなくともゲームをしたり映画を見たり等でも同じような効果が得られるだろう。鬱状態に陥っている人の中には趣味がなく自由時間に何もすることがないという人もいるだろう。そんな時は外に出て静かな公園を散策したりするだけでも変わってくる。

次に、私は自主的に勉強をするようにした。どちらにせよ勉強する必要があるならば、課題によって強制的に追われるようにさせられる勉強よりかは自主的に自分がやりたいような勉強をした方がはるかに理解が深まるし、ためになると感じたからである。勉強して得られることは多いし、するだけで達成感が得られるのでおすすめしたい。

休暇をとったり好きなことをしているだけでも少し気力も回復してくるだろう。そうすれば何か目標が出来て努力しようという気持ちが出てくる可能性が高い。少なくとも精神的に落ち込んでいる時には努力をする気力が微塵たりとも出てこない。精神が安定していれば自分を冷静に見つめ直しやすくもなる。精神が不安定な時に努力するよりも精神が安定している時に努力した方がより楽で生産性も高く、努力できる範囲(限界)が広がるのは火を見るよりも明らかだろう。少なくとも「鬱病は努力不足だし甘え」という意見は正しい認識をしていないので気に留める必要もない。

これから先、苦境の中で努力する必要が出てくるかもしれない。しかし精神が病んでいては努力どころか活力も何も出てこないので、そんな時に向けてメンタル回復術を身につけておくとためになるだろう。

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