『無理解のメカニズム』
最近Twitterで日夜繰り広げられている児童型ラブドール論争。
やはりというか案の定児童ポルノ問題に結び付けようとしている人達がワラワラ湧いて来たので、今回はその発端となる『無理解のメカニズム』について考察してみました。
まあ暇なときにでも読んで下さい( ̄▽ ̄)
・無理解な人は無知である
これはTwitterでよく見るこち亀のコラ画像の一例。
内容は知ってる人からすれば全部違うけど、知らない人から見れば全部同じにしか見えないというもの。知識として知らないからその違いが分からない。これが無知ですね。
では本題、無理解について話しましょう。
無理解と聞いて思い浮かぶのは
・夫のコレクションを勝手に売ったり捨てたりする断捨離妻
・マンガ、アニメ、ゲームは子供のもの
・肉食文化を差別するヴィーガン
・萌えマンガ、アニメに対して女性差別扱いしてオタクを敵視するフェミニスト
・ゲームは一日一時間の香川県
みたいな感じでしょうか。
無理解には好意的なものと悪意的なものが存在します。
好意的な無理解の場合、自分がやってみたいけど出来ないと思う事が出来たり、自分が分からない事の知識がある人に対して憧れ、尊敬といった正の感情を持ちます。
まあ早い話がこれですね( ̄▽ ̄)
では次に悪意的な無理解の場合。自分が嫌悪感、忌避感を抱く対象と、それを理解する人に対して恐怖、畏怖、侮蔑といった負の感情を持ちます。
俗にいう偏見、差別意識というやつですね。
理解出来ない存在に対して恐怖心を抱くのは人として当然の反応とも言えますが、当然ながら価値観は人それぞれ違います。この世に絶対的に正しい価値観、判断基準などというものは存在しません。
通常それが分かる人は、自分から避ける、距離を置く、近づかないといった回避行動を取る事が出来ます。しかし、自分の価値観、判断基準を絶対視している人の場合はそうはいきません。
そういう人の頭の中は現実に善悪二元論が成り立つと本気で考えています。
そのため、自分が理解出来ない嫌悪感を抱く不快な対象は規制、排除して当然といった、傍から見れば自己中極まりない主張も平然と行うのです。
・無理解のメカニズム
では、一体どうしてそのような発想に至るのでしょうか。
ここで質問です。最も理解し難い、誰もが嫌悪感、忌避感を抱いて当然の存在とは何だと思いますか?
大半の人の答えは『犯罪者』になると思います。『犯罪者』の存在は無理解の最上級カテゴリーであると言っても過言ではありません。
ではその犯罪者と呼ばれる人は何をして犯罪者と呼ばれているかというと、
他者に対する一方的な価値観の強要
なんですよね。
・殺人は加害者が被害者の命を奪うという一方的な強要
・強盗は加害者が被害者の金銭を奪うという一方的な強要
・暴行は加害者が被害者を加害するという被害者に対する一方的な強要
・強姦は加害者が被害者を犯すという被害者に対する一方的な強要
言うまでもなく、これらは全て他者の人権を侵害する行為です。
犯罪は犯罪だから犯罪なのではなく、他者の人権を侵害するから犯罪なのです(小泉構文風味)
では話を戻して、無理解な人の思考パターンをマンガ、アニメを例にして考察してみましょう。
1、自分にとって存在自体が不快なマンガ、アニメはこの世に必要無いものだ。
2、自分の不快なマンガ、アニメが見れるのは異常だ。それを見ている買っているオタクはもっと異常だ。
3、そんな異常者のオタクはきっと犯罪を犯すに違いない。
4、オタクが犯罪を犯す前にその元凶であるマンガ、アニメを無くさなければ。
とまあ、大体こんなところでしょうか。フェミニスト数人との対話にならないやり取りで感じた印象なので大方合ってると思います。
端的に言えば、自分が不快で理解し難い対象の同一カテゴリーに犯罪者が入っている為、犯罪者と自分自身の差別対象の見分けが付かず、犯罪者同然に扱ってしまうというわけですね。
自分自身が不快な対象に対する恐怖、危惧はその対象に対する無理解から生じる偏見、差別意識から端を発しているのです。
そしてそれは言うまでもなく、他者に対する一方的な価値観の強要です。
未だにオタクを犯罪者予備軍扱いしている人達がいますが、犯罪者予備軍扱いする事で自身の無理解を正当化しているだけで、その性質的には実態は真逆というわけですね。
・無理解の正当化
ところで所謂萌えマンガ、アニメ等がフェミニストから批判を受ける時、よく用いられるのがロリペドといったような蔑称なわけですが、これにも冒頭で説明した無理解な人間からは全部同じに見えるという現象が深く関わっています。
では一例として、こちらのとあるフェミニストとのやり取りをみてみましょう。
…おわかりいただけただろうか(´・ω・`)
最初のツイートの時点で差別意識全開で既にロリコン、ペドフィリア、チャイルドマレスタと混同し明らかに犯罪者予備軍扱いしているのが読み取れると思います。
更にその後はマンガ、アニメを児童ポルノ扱いし、犯罪者とまで言い切っていますね。言うまでもなく、これは明らかな差別です。
当たり前ですが、二次元と三次元は文字通り現実とフィクションという完全に別次元のカテゴリーです。
仮に世界観が現実に即していようがいまいが、登場人物は全て架空のキャラクターであり、おとぎ話や神話に出て来る妖精やエルフと同様現実に実在しない存在である事に変わりはありません。
コスプレイヤーさんがどんなに努力しても『もしも現実にいたらこんな感じ』止まりで超えられない壁を、ただ幼い少女というだけで易々と超えられるわけがないのだ( ˘ω˘ )
だから二次元の幼女を好きな人が小児性愛者(ペドフィリア)という認識は間違っているし、そのペドフィリアの人も以前の同性愛者と同様、
単に世間に受け入れられ難い特殊性癖というだけで、犯罪者であるチャイルドマレスタとは違うわけですが、無理解な人間には全部同じに見えるし、それを正当化するために犯罪者予備軍にカテゴライズするというわけです。
そもそもドールに限らず犯罪を犯してわざわざ規制に加担する人は、愛好家でもファンでも断じて無いし、他の作者、ファンにとってはその存在自体が風評被害でしかないのです。
・無理解を自覚しよう
無理解とは、平たく言えば理解の放棄です。
『そんなもの、理解出来ないししたくもない!』
これを言った時点で、その人にはその対象を理解する気が全く無いというわけですね。そんな無理解な人にも、一つだけ理解出来る事があります。
それは『自分には理解出来ない』という事です。
例え知識として外側だけ理解した気になる事はあっても、本当の意味で理解する事は絶対に出来ません。自分が無理解な対象には偏見、差別意識というフィルターが必ず存在します。
偏見、差別意識というフィルターを通して得た知識は無知と変わりありません。無理解は理解していないのと同じ事なのです。
自分自身の無理解を自覚すると、価値観は人それぞれという事が理解出来るようになるので、その対象が自分には理解出来ないという事を自覚する事が出来ます。
それを自覚する事で自分が理解出来ない対象や、それを理解している人に対する偏見、差別意識は消えずとも、自分の価値観、判断基準が絶対的に正しいという思い違いをする事が無くなります。
それによって、
・自分にとって不快な萌えアニメやマンガの表現描写が視界に入っただけで自分に向けられていると勘違いする事
・献血ポスターに自分が不快な萌え絵が使われている事を問題視する事
・自分にとって不快なラブドールがアダルトショップで売られている事を問題視する事
・アニメのコラボポスターのスカートの皺を問題視する事
・少年マガジンの表紙の水着グラビアを問題視する事
・自分にとって不快な萌えアニメ、マンガを差別し、児童ポルノ扱いして規制しようとする事
などといったような、自身の不快な対象に対する無理解から生じた価値観、判断基準を他者に干渉し、一方的に強要するといったような、自己中心的勘違いをする事がなくなります。
多様性とは、他者の価値観に配慮するのではなく、他者の価値観を許容する事で成り立ちます。つまり不快に感じる人に配慮するのではなく、不快を互いに許容し合う事で互いの価値観を尊重する事。
共存共栄の道、それこそが目指すべき本当の多様性なのです( ˘ω˘ )
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