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特集 パンデミック~パンデミックメカニズム

2014年11月24日発行 ロウドウジンVol.9 所収

 ロウドウジン第9号は、特集:パンデミックをお送りする。今夏は感染まわりの話題に事欠かなかった。まずはデング熱。蚊を媒介とするデングウイルスの感染者が国内で約70年ぶりに確認され、代々木公園などのいくつかの公園は封鎖、街は真夏にも関わらず全身を長袖で覆ったひとで溢れた。そして、エボラ出血熱。2000年代中頃~後半に流行した「パンデミック」という言葉が、ふたたびささやかれるようになった(ちなみに2009年の新語・流行語大賞に「パンデミック」がノミネートされている)。

 エンタテインメント分野でもパンデミックを題材としたものは、ここ数年流行の兆しをみせている。プレイヤ間で協力してパンデミックをくい止めるボードゲーム『パンデミック』(2008年)はいまもなお高い人気を維持している。病原菌となって人類を滅ぼすスマートフォンゲーム『Plague Inc.-伝染病株式会社-』は2500万以上のDL数を誇っている。

 一方、「パンデミック」という言葉には、感染症の拡大傾向だけではなく、何かが全世界的に広がっていくことを表す用語にもなっている。ハリウッドリメイク版の『呪怨』第2弾である『呪怨 パンデミック』(2006)における語法と一緒だ。「【恐怖】は、ウイルスより早く感染する」とはスティーブン・ソダーバーグの映画『コンテイジョン』(2011)のキャッチコピーであるが、これも同じだ。一時期もてはやされた「バイラルマーケティング」の「バイラル(viral)」とは「ウイルス性の(virus+al)」という意味である。それらは感染のたとえで表現されている。いまやパンデミックは形を変えて、われわれの生活に潜り込んでいるのだ。

 すると疑問が生まれる。そこにウイルスのような感染源は介在するのだろうか? ネガティブウイルスのようなものがないと、本当に言い切れるのか。現在、確認されているウイルスは2290種ほど。一説では、ほ乳類だけでも少なくとも32万種以上の未発見ウイルスが存在するという。病気を起こさない、あるいは病気と認識させないようなウイルスは、われわれ人間はその存在に気がつくこともできない。

 ──そう、反社会人ウイルスも存在するかもしれないのだ。


 二〇一四年八月八日、世界保健機関(WHO)はひとつの発表をした。西アフリカにおけるエボラ出血熱の感染拡大を「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」(PHEIC)と宣言したのだ。相次ぐ形でシエラレオネ、リベリア、ナイジェリア、ギニアといった近隣諸国も国家非常事態宣言を行い、国境封鎖等の策を講じた。いわゆる、パンデミックの懸念が世界を覆い尽くしたのだ。二〇一四年十一月現在、エボラ出血熱の感染者数は一四四一五名、そのうち五五〇六人の死亡が確認されている。

 パンデミック。それは特定の感染症の全世界的な大流行のことをいう。日本語では爆発感染、汎発流行などとも表現される。有史以来、われわれ人類はさまざまな動植物、ウイルスと共生関係を築いてきた。その中で悪性のウイルスは人類の敵として、全世界的な殲滅対象となっている。エボラウイルスもその一種だ。極めて強い感染力を持つようになったそれは、目に見えない恐怖として、全世界を蝕まんとしている。

 エボラ出血熱。エボラウイルスによる急性熱性疾患であり、ウイルス性出血熱の一疾患である。一九七六年スーダンで発見されたそれは、感染すると二~二一日(通常は七~十日)の潜伏期の後、突然の発熱、頭痛、倦怠感、筋肉痛、咽頭痛等を発症、さらには嘔吐、下痢、胸部痛、全身からの出血、そして死に至る。致死率は八三%と言われており、現時点において治療法も、有効なワクチンも存在しない。空気感染等はせず、感染者の体液と直接接触したことで感染すると考えられているが、西アフリカにおける葬儀の風習(参列者が死体に触れる)もあり、これまでも数々の感染報告があがっている。このような地域レベルの流行(エピデミック)は少なくなく、WHOの発表によるとこれまで二十回以上のアウトブレイクが観測されているという。

 世界的な感染傾向をパンデミックと名付けるかどうかは、WHOの分類にかかっている。WHOは感染症の感染傾向を六つのフェーズで定義している。その中で最悪のフェーズ六に相当するものがパンデミックだ。WHO加盟国である一九三の国と地域は、国際保健規則にのっとり、感染症、化学汚染、放射能汚染といった国境を超えて拡大し、健康に重大な影響を与える事案に関する報告義務がある。WHO事務局長は、それを受けて必要に応じて専門家からなる緊急委員会を消臭する。そこでの検討結果を踏まえ、フェーズ(警戒水準)が決定される。ポイントはヒト間感染の有無と、世界的な同時多発性だ。これまでにフェーズ六の宣言が出されたのは、二〇〇九年の新型インフルエンザH1N1亜型などがあげられる。

 なぜパンデミックが起こるのか。グローバル化した現代、ヒトの移動が世界規模の流行を生んでいるのは間違いない。感染はヒトとヒトが接触することで発生する。天然痘、ペスト、新型インフルエンザ、SARS(重症急性呼吸器症候群)……。人類の歴史は、パンデミックとの戦いの歴史である。われわれが気がついていないだけで、病魔はすぐそこにまで迫っている。ロウドウジン第九号特集:パンデミックでは、現代日本ロウドウ環境に蔓延する「感染症」を取り上げる。一見ただの習慣や癖のように見えるものの中にも、感染症は存在する。それらがパンデミックを引き起こさないためには、まずは事実を知る必要がある。


 まずは過去の知見を再確認しよう。微生物学、免疫学、公衆衛生学等を背景とする感染症学において、最終的にパンデミックにつながる感染のメカニズムは次のように整理できる。

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 まず、感染病原体は何らかの方法によって感染者(宿主)の体内に入る必要がある。それなくしては、感染は発生しない。とにもかくにも、何らかの生命体の体内に感染病原体が侵入することが、はじめの一歩だ。自然界に存在する感染病原体が、直接ヒトを宿主とすることは珍しい。多くの場合、もっと食物連鎖的に低次元であったり、家畜や鳥類であったりする。宿主の内部に感染病原体が侵入すると、宿主反応と呼ばれる防御作用が働く。一方、病原体は増殖および発揮(発病)を行う。防御と攻撃、攻撃が勝った時、それは感染と呼ばれる。すなわち、感染は①感染源②感染経路③感受性宿主(感染される性質を持つもの)の3つがすべて揃った時に発生する。

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 では、パンデミックはどのように引き起こされるのか。一般的な感染病は、特定の単一種にのみ感染する。たとえば、鳥にのみ感染する鳥インフルエンザ(H7N9型)だ。感染源と感受性は鍵と鍵穴の例で説明できるように、特定の性質同士でないと反応が進まない。しかし、ご存じのように、この鳥インフルエンザはヒトにも感染する。その理由は、変異(突然変異)である。もともとの鳥インフルエンザは、上述のように鳥にのみ感染する。鳥の体内で自己増殖する感染源は、その過程で一定確率で変異を繰り返す。そのうち、ヒトに感染する特性を発現する。これまでヒトには感染しなかった感染病がヒトに感染するようになるのだ。これがWHOの定義するフェーズ2である。

 ヒトに感染するようになったとはいえ、最初は感染するのがやっとであり、感染力は低い。しかし、さらにヒトの体内で変異を繰り返すことで、ヒトに適合していく。そのうち、ヒトからヒトに感染する特性を発現する。これがWHOの定義するフェーズ3である。この特性はきわめて重要である。ヒトは社会的動物である。ヒトはヒトと交流することで生きている。それが感染経路になったということだ。パンデミックへの扉が開かれたのだ。

 ヒト-ヒト間感染によって、感染は急速に進んでいく。まずは家庭や職場といった限定的な小集団で感染が広がる。このような集団をクラスタと呼ぶが、ヒトは単一のクラスタに属しているわけではない。クラスタからまた別のクラスタへ、地域レベルで感染の輪は拡大していく。これをエンデミックと呼ぶ。このようにヒトからヒトへの感染が持続する状況は、WHOの定義するフェーズ4に相当する。

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 次におとずれるのはアウトブレイクだ。アウトブレイクは統計的に異常値といえる急速な感染拡大の状況であり、国内から数カ国を含む一定の範囲で集団感染が確認される。それをエピデミックと呼ぶ。エピデミックは感染が制御不可能な領域に突入したことを意味する。感染の和が他の国や地域に広がらないように、対処を行う必要がある。これはWHOの定義するフェーズ5に相当する。

 しかし、さらに流行の規模が大きくなるとき、いわゆるパンデミックとなる。それは複数の国や地域にわたる汎発的な感染拡大であり、エピデミックが同時多発的に発生している状態である。WHOの定義する最悪のフェーズ6がこの状況だ。

 最初は単なる家畜・社畜の流行にすぎなかったものが、気がつけば世界レベルの流行となる、それがパンデミックである。突然変異とアウトブレイクを経た感染源は、世界を相手にその存在感を発揮している。

 しかし、よく考えると、世の中にはパンデミック扱いされる感染病と、そうではない感染病があることに気がつく。たとえば、いわゆる風邪(風邪症候群)、水虫、クラミジア、虫歯などは大量の感染者と強い感染力を持ちながらも、パンデミックと呼ばれることはない。そのように身近なところにもパンデミックは転がっているのだ。まずは職場を見渡してみよう。よくみると感染症の初期フェーズ、社畜への感染が確認できるのではないだろうか。それがヒトに牙をむくのも時間の問題である。

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