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反社会人コラム「オン」と「オフ」

2011年6月12日発行 ロウドウジンVol.2 所収

反社会人たちが同一のお題でコラムを執筆する競作コーナー。初回のお題は「オン」と「オフ」です。

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 オン/オフ。社会人/反社会人という枠組みで考えたときこの言葉はどういう意味を持つか。一般的にオンとはオンワーク、すなわち仕事中のことを指し、逆にオフはプライベートの事を言う場合が多いように思う。仕事をするときには心と身体のスイッチを入れているというのだ。デジタルな感覚である。

 しかし、このオン/オフの二元論が社畜という存在の形成に一役買っているのではないだろうか? 一言で言うと極端なのだ。

 食べていくのに最低限の労働にありつけず困窮しているニートがいる一方、社畜は失職し食い詰めるのを恐れるあまり生活の全てを労働に縛られ、生きるために働いているんだか働くために生きてるんだかわからない状況に陥っている。

 もっとその中間程度で、個々人が好きな強度で働くことは出来ないのだろうか?

 我々の持つデジタルのイメージは、かつて0と1、オンとオフの2つの状態からなる極端で角ばったものであった。

 解像度の低くモザイクのようにギザギザのグラフィック、哀愁漂う矩形波剥き出しの電子音。古き良き世界観ではあるが、技術の進歩によってそれらはより滑らかになり、アナログな自然を緻密に再現、あるいは超越するようになっていった。

 モニタの向こう側へ行きたがる若者が多くいる一方、現実は3次元の人間が2次元に近づいて行く以上に2次元が3次元に近づいて来ているのだ。リアルとネットの垣根は低くなり、区別をしない、あるいはネットもリアルの一部だという認識が広まっている。

 デジタルも扱うデータ量の増加によりアナログと区別がつかなくなる時代に、仕事かプライベートか、どちらか二者択一のような生活を強要し、不孝を量産する感覚は遅れていると言わざるを得ない。生活の中での一つ一つの行動でイエスかノーかを選ぶことはあっても、生き方そのものはもっと自由であって良い。

 心のスイッチ頭のスイッチも、オン/オフの2段階しかないものではなく、ツマミでなだらかに変化を加えられるタイプに変えるべきではないだろうか。

 仕事と私どっちが大事なの? などと聞いて男性を困らせる女性も、できれば仕事と私どっちがどれくらいの割合で大事なの? と聞いて欲しい。聞かれたことないけど。

 善も不善も正義も悪も、働くも怠けるも勝手だけど。人間の行動の正解はだいたい中道にあるんです。バランス感覚身につけましょう、ね?

著者プロフィール
@Nerd_Arthur(なーどあーさー) 人間の学名ホモサピエンスは遊ぶ人って意味だから遊んでない人は動物と同じ、そう詭弁を弄して遊んでばかりいる。かわいいものが好きでケータイと靴下をダメにするのが得意。

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 ひとはたくさんのスイッチを胸に秘めている。古めかしいトグルスイッチや近代的なボタン型スイッチなどが所狭しと並んでいる様は圧巻だ。高度経済成長を支えた大規模工場の操作卓を想像させる光景はいささかノスタルジックですらある。結婚式の定番挨拶風に言えば「えー、人間には『3つのスイッチ』というものがありまして……」のようになるが、ここでつらつらと三大スイッチ検討会を進めても仕方がない。……まあ『ピタゴラスイッチ』(NHK教育のテレビ番組)が筆頭なのは間違いありませんが。次点は『スケッチスイッチ』(アニメ『ひだまりスケッチ』OP曲)ですかね。

 それらのスイッチはものすごい早さでオンオフを繰り返している。たとえば街を歩いているときに目に飛び込んできた看板におおっと惹かれるところがあればなにかのスイッチがオンになるし、電車の中で見苦しいおっさんたちの口論に出くわせばまた別のスイッチがしゅんとオフに切り替わる。もはや自分でも判別不可能なレベルでオンオフの調整が不随意に実施されており、それによってひとはひととしてのかたちを保つことができている。

 重要なのはオンとオフは相対的なものにすぎないという真実である。そもそもスイッチは和名を開閉器という。回路図を想像していただければ容易に理解できるように、「オン」とは「閉」のことであり、「オフ」が「開」のことである。しかしオンとオフのあいだの往復運動は可逆であり、どちらに優位性があるわけでもない。エレベータの操作盤の前でぼーっと立っているシチュエーションを想像いただきたい。「開」も「閉」も異なるスイッチのともに「オン」なのだ。

 社会人は仕事中のことを「オン」と、休みのことを「オフ」と称しているようだが、反社会人的見地からするとちゃんちゃらおかしい。レヴェルで言うと火を炊いてそのまわりをぐるぐる歌い踊りながら夜を明かしてしまうくらいだ。なんせオンとオフはミクロに激しく切り替わり続けているのだ。人生における安定した「オン」と「オフ」はただひとつ、死ぬときに初めて主電源がオフになる。それだけなのだ。

 というわけで紙幅も尽きてきた。最後はオフ向け/オン向けのふたつのオチで別れの挨拶とさせていただく。

①オフ:んで結局、ブックオフオンライン(ブックオフのECサイト)はオンなのですかね?それともオフなのですかね?

②オン:んで結局、お風呂(オフろ)でオフ会をして、温泉(オンせん)でオン会ということでよろしくお願いします。

著者プロフィール
@noir_k(のわーるけー) 最近は反社会人サークルなのにいささか社会人サークルめいているのではないかと気が気でない昭和生まれの永遠の18歳。東京在住。スカイツリーLOVER。ぎゃふん。

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 長生きの秘訣ネタというものは、ためしてガッテン級の有用なものからみのもんたの戯言まで数多く世間に出回っているが、震災以後最重要なものになったものがある。言わずもがな、被曝しないことである。被曝はマジパネェ。下手すりゃ死ぬ。その被曝の中でも特に気をつけなければいけないことは、放射性物質を体の中に摂取して体内から被爆してしまう内部被曝である。ただの放射線なら、根性で走って逃げたり鋼の盾でガードすれば回避可能かもしれないが、内部被曝の場合は体内の放射性物質を取り除かない限り、放射性物質の寿命が来るまでずっと被ばくし続ける。なんとひどい話だ。この内部被曝を回避し、反社会人として真っ当に生きたいあなたに薦めるのが断食ダイエットである。特に太っている反社会人には朗報である。太っていると、放射線から走って逃げようとすればヒザを痛め、鋼の盾を持てば腕がつるw

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 上の写真を見ていただければわかるように、私は太っていた。首ちゃんとあるの?というレベルである。びふぉ~は2010年03月31日、労働者階級に落ちるのを翌日に控えて絶望しているときの写真である。反社会人が労働者にさせられるとかそりゃ太るわ。学生時代に投資した宝くじは実を結ばなかった。そしてあふた~が、断食ダイエット後の私である。日付は2011年06月08日である。労働者としてオンの時に断食をすると、空腹のためただでさえできない仕事がさらにできなくなり、先輩・上司からの視線がさらに冷たいものとなろう。やはりおススメはオフのときである。金曜日の夜から日曜日の夜まで何も食べないのである。ただ水分とミネラルだけは摂取しなければならない。血液がドロドロになり、鈍い頭痛に悩まされるのを回避するためだ。野菜ジュ~チュを飲めばよかろう。カロリーゼロのVAAMでもOKだ。そして軽く運動する必要もある。ただ食べないだけだと体が弱まるだけだからである。

 体重は軽くなり、食べ物からの内部被曝を回避できる確率が上がり、太っている時よりもモテるかもしれない。俺も素敵なメンヘラと付き合えるかも!? あなたもレッツ断食ダイエット!!

著者プロフィール
Y田タヌキ @ydatanuki 1984年生まれの男。精神病み気味な労働者。カラオケが好き。アニメとマンガ全般好き。宝くじを当てて猫とメンヘラを愛でながらひきこもるのが夢です。

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社会人は「オンとオフ」の切り替えが重要だとよく言われる。

仕事をきっちりこなしつつ、プライベートを充実させるには、オンとオフの切り替えが重要だからだろう。

例えば、休日に仕事でミスしたことを思い出していたりしたら、気分も落ち込み楽しめるはずの休日の時間もつまらないものになってしまうだろう。

また、プライベートを充実させることが仕事へ好影響を与えるとも言われている。
かつての名番組「プロジェクトX」でもオフの何気ない出来事で仕事上の新しいアイデアがひらめくような演出がされていた。

このように、「オンとオフ」の切り替えを行うことは社会人的である。

しかし、世間一般からみると「休日にそれをするか?」と思われる休日の過ごし方も存在する。「オンとオフ」の切り替えができてないと思われる休日の過ごし方だ。

「オンとオフ」の切り替えができていないという意味で、「社会人らしくない」=「反社会人的」な休日の過ごし方である。

比較的オタク的な趣向を持った人たちが集まりやすいIT系の会社ではそのような反社会人的な休日の過ごし方をする人が一定数存在する。

ここではIT系の会社に勤めるオタクのO君とリア充のR君たちの会話から「オンとオフ」の切り替えができていない休日の過ごし方をみていく。

・IT系会社社員が休日にプログラミング

R「おはようー」

O「おはよう」

R「この前の休日は楽しかったな」

O「何してたの?」

R「彼女と富士急ハイランド行ってたよ♪ 君は何してた?」

O「ふ~ん。僕は家でプログラミングしてたよ」

R「え?会社でもプログラミングしてるじゃん。オンとオフの切り替えができてなくない?」

O「会社で使ってる言語のCOBOLじゃないよ。Haskellをやってた」

R「Haskellって何?」

O「http://ja.wikipedia.org/wiki/Haskell」

R「会社でもプログラミングしてるのに、休日にやるなんて変だよ。休日に仕事みたいなことするなんて理解できないな」

O「会社のプログラミングは50年前に仕様が定まった言語を使って、20年前に構築されたシステムの改修してるだけだからね。古くさくてつまらない仕事だよ。それに対しHaskellは関数型言語で遅延評価や型推論があって、高度な抽象化ができて最高だね」

R「そうなんだ。でも僕には理解できないな。オンとオフの切り替えができてないようにみえる。オフの時間くらい彼女や友達と外で遊んだ方が楽しいと思うな」

O「リア充爆発しろ!」

この例では、O君自身は自分はオンとオフの切り替えをしていると思っているが、R君からは切り替えができていないと思われている。さらに、「オンとオフ」の切り替えは仕方として「彼女や友達と外で遊んだ方がよい」という意見まで受けている。

このように反社会人は、社会人から「オンとオフ」の切り替えができるまっとうな社会人になるような圧力を受ける。
しかし反社会人はこのような圧力に屈してはならない。
周囲からオンとオフの切り替えができていないと思われても、反社会人は我が道を進むべきである。

それが反社会人サークルの一員としての正しいあり方なのだから。

著者プロフィール
匿名希望 社畜に叩かれ、社内ニートをディスる日々を送っている反社会人。休日はSKE48のライブに行ったりしている。

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