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戦後日本ロウドウ美術史

2011年6月12日発行 ロウドウジンVol.2 所収

 入社式とは、それまでの自然状態の人生をきっぱり諦め、社畜としての人生をまい進するスタートとなる節目である。難民に優しく手を差し伸べていた者も、社会主義国家の実現のため革命を準備していた者も、引きこもって放映中の全てのアニメをブログでdisっていた者も、みんな平等に。

 当然、それまで高尚なアート活動をしていたものも同様である。ところが、社畜活動の中にもアート性はにじみ出てしまう。なかんずく、それまで社畜とは無縁の生活をしていた入社式時においては、最も色濃く反映される。新入社員たちのアート性とその移り変わりをここで観てみよう。

ルネサンス期(1985~1991)

 第二次世界大戦で大きな打撃を受けた日本のホワイトカラー文化は、GHQや金本位制の支配の下、西欧へのコンプレックスとそれらに追いつくことをモチベーションとし、日本文化の多様な世界展開は停滞していた。いわゆる暗黒時代という。

 ところが1985年のプラザ合意をきっかけに、円高とバブル景気が勃興。日本企業は続々と海外企業へのM&Aや工場の海外移転を行い、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を真に受け、日本が肯定された(と思い込んだ)理想の時代に突入した。

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 左上の写真は、日経新聞2010年9月16日付夕刊「経済今昔物語」で紹介された、1986年のJALの入社式である。新入社員の服装は、柄や材質が多様で、江戸時代から大正デモクラシーにかけて培われてきた、日本の伝統的な服飾テクニックが使われている。さらに当時、人間性(シルエット)を強調したり、ワンレングスなど遠近法を駆使した髪型が流行し、そして日本独自のいわゆる「ドメスティック・ブランド」が頂点を極めた。強く復興した日本の気分、そして当時の流行が反映されたこの入社式は、「ルネサンス」と呼ぶに相応しい。

バロック期(1992~)

 バブル崩壊後、日本の経済は停滞し続けている。大手企業の破綻が続出し、社畜はリストラに怯え、ベンチャー企業は検察に怯え、各地で世代間闘争が起こっている。理想は崩れ、社会には極端な新自由主義者と保守主義者が跋扈し、若者はその中で右往左往している。

 そんな若者の中で、もっとも保守主義に親和性の高いものが、日本の大企業に就職する。大企業に就職するには、大企業におもね、歪な就職活動慣習に合わせて、永続的に努力をし続けなければならない。

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 同じく日経新聞で紹介された左上の写真は、2011年のJALの入社式である。就活産業の慣習に合わせ、いかに正解に近いリクルートスーツを着こなすか、といった部分に執着し、人間性が失われた様相を呈している。バロック美術が、表面的な感情表現や、筋肉の表現に執着し続けたのと同様であろう。このような現象は、経営者と労働者の距離が広がり、経営者は現場を知らず、労働者の配慮は誰に向けたものなのか誰もわかっておらず、空虚な品格のみが残った状態で生まれる。同様にバロック美術も、民衆からは遠ざかり、王族・貴族の注文によって生まれたものである。

未来

 これから先、どのような入社式を迎えることになるのだろうか。おそらく日本経済の停滞は続くだろう。そして、今回の大災害(2011年の東日本大震災)を以ってしても、日本の急遽な形式を重んじる傾向は変わることはないだろう。形式はより抽象化され、空間や時間を超越する。新入社員達にも、抽象表現主義が跋扈するだろう。しかしこれは入社式に現象として表れるものではない。入社式場をキャンバスとして、新入社員は巨大なアートを描く。描くといっても、「形態的な純粋性」に囚われるあまり、入社式では彼らは何も自発的な行動をしない。つまり、単に巨大なアート(大企業)に人気が集中するという事態が進行するだけであろう。

 しかしその後、硬直した新卒市場を打開する者が表れる。極度に進行した抽象化・形式化への反発として、ナマの学生、そのままの状態で面接を受ける者達である。彼らの服装は国民服ユニクロに他ならない。現在でも、その店頭でも見られるカラフルな色彩は、ウォーホルのポップアートのようである。ユニクロをまとった彼らに個性という概念は予めなく、形式化こそが作家性を生み出していたという事実に気付かされる。

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 将来、品格を重んじる抽象表現主義の企業が滅び、高度消費社会をそのまま体現した企業と社員が残る。その入社式は果たしてどのようなものだろうか。



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