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私の人生を変えた美術の先生

私には人生を変えてくれた美術の先生がいる。私は学校があまり好きじゃなかった。高校生の時、家が貧乏ということもあり大学を諦めていた。学校に行けば「どの大学目指すの?」を語り合うクラスメイト。将来の話をしているクラスメイトが遠い世界の人たちのように感じで、煌びやか眩しくも感じた。大学を「諦める」と割り切っていても少し寂しい。大学には行けなくても高校はしっかり卒業しようと思った。

高校2年になると自分のやりたい科目を選び、その単位の成績によってどの大学に入れるか(HSCスコア)というシステムに切り替わる。私は英語、ホスピタリティー、デザイン(服)、数学などを選考した。

科目を決めた数日後、美術の先生ミス・フォスター廊下ですれ違った。ミス・フォスター先生は金髪で少しポッチャリした体型。年齢は35歳くらいで、先生にしては若い方。中学校の頃からお世話になっていてた。絵をよく褒めてくれたり的確なアドバイスをくれる先生で、とても話しやすい先生だった。「ルイ、美術は選んだよね?」とミス・フォスターに聞かれて「選んでいない」と言った。私は昔から芸術は大好き。格好いい絵を見て感動をしたり、絵を描いて褒められたり。芸術のおかげで心が救われた。美術の授業は本当に楽しくて、他のクラスはよくサボったりしていたけど美術のクラスは一度も欠席したことがない。でも「将来、芸術家になっている自分」が全く想像できなかった。

ミス・フォスターの表情は一変し「今すぐ変えて来い!!!」と、激怒。突然怒鳴られてめちゃくちゃ怖くなり、なんか悪いことをしているような恐怖感から私は急いで高校の事務局に行き一つ単位を落とし「美術」に変えた。将来、芸術家になって仕事に就けるのかな。「美術に変えたはいいけどこれで良かったんだろうか・・・」と変更決定のハンコを押された紙を見ながら不安になった。 

卒業制作に向けて2年間、先生と面談や制作に向けて頑張ったり他の科目の勉強など忙しい日々を過ごしていた。卒業に向けて頑張っている最中、ある日突然フラッとお父さんが失踪してしまった。大学は諦めていたけど高校の卒業も経済的に厳しいかもしれないと考えた。今すぐ高校を辞めて、お母さんの負担を減らす為にバイトだけしようとも思った。胸が不安でいっぱいの中、家にお父さん宛の嫌がらせの電話の嵐があったり。お父さんの行方を知りたがる全く面識のない人が家に押し寄せたり。心労が半端なかった。お母さんもすごく辛そうだった。もう全部、めちゃくちゃだ!!!もう!!!と心の中では大きく叫んでいた。悲しみと怒りをどこにぶつけていいのか分からなかった。

モヤモヤを抱えたまま、美術のクラスを迎えた。「卒業制作の進展を教えて欲しい」とフォスター先生に言われたけど、頭の中は真っ白だった。「なんもねえよ」と言い放ってしまった。心に余裕はどこにもなかった。「なんもないってなんだよ?!」とフォスター先生に激怒され、「うるせー!!ないものはない!私には将来も希望なんもない!」と怒鳴り返してしまった。大人しい私が怒る姿を見て、クラスのみんなは唖然。クラスはとんでもない悪い空気になった。全て嫌になってしまい私はボロボロ泣き始めてしまった。

フォスター先生は「わかった、こっちに来い」と言って教室の外に連れ出された。フォスター先生は椅子を引っ張り出して「座って待ってて」と言った。フォスター先生は事務所に行き、戻ってきた時にカメラを片手に持っていた。カメラの電源を入れて、そのままなんも説明も無くフォスター先生は泣いている私の写真を撮り始めた。「気が狂っている」の一言しか思い浮かばなかった。「なんでこの人、私が泣いている写真を撮っているんだろう」と状況が全く理解できずまた更にポロポロ泣いてしまった。フォスター先生はずっと無言でシャッターを切り続ける。抵抗も、何もできない自分がとても悔しく思った。

あー!!!!!もう!!!!!どうにでもなっちまえ!!!!!

フォスター先生はカメラを持って事務所に戻り、私はそのまま椅子に座っていた。フォスター先生が戻ってきた、先ほど泣いている私の写真を渡してこう言った「この絵を描きなさい」私は頭の中が真っ白になった。何故、自分が泣いている姿の絵を描くのか、全く意味がわからない。グチャグチャになった自分の絵を描くなんて「・・・嫌です」と小さな声で言った。「いいから、やってから文句聞いてあげるよ」と言い。そのまま、私は教室に戻り、また泣きながら泣いている絵を描き始めた。

何日も何ヶ月もその絵を描いているうちに不思議な感覚になった。絵を描き始めたばかりの頃は自分の姿を鏡で見ている感じだったのに、だんだん描いている人が別人に感じて。「なんでこの人泣いているんだろう」と思い始めるようになった。「ああ、これ私だったわ。あれなんであんなに悲しかったんだろう?」違う視点で自分と向き合うことによって状況の見え方が全く変わった。なぜ自分があの時泣いていたのか、わからなくなってしまうくらい。私は卒業に向けて絵を完成させた。 

大学の進路の話をしなければならない時に、突然フォスター先生に「美大に行かないか?」と言われた。「いやいや、私の家は貧乏だし無理だよ。」と言ったらフォスター先生に「奨学金ってのがあって、書類と面談とポートフォリオがあればいいから大丈夫。面倒な手続きは私がやるから」と笑顔で背中を押してくれた。私はミス・フォスターが卒業した同じ美大を受けた。それ以外の大学は受けなかった。 書類や面談、ポートフォリオを提出し後日大学から手紙が来た。「おめでとうございます。合格です」私は美大に合学した。

卒業の日、私はミス・フォスターの事務所に入り感謝の花束を渡しお礼をした。私は大学を、芸術を諦めていたけど先生が引き止めてくれたおかげで人生が変わった。ふと、「どうして何度も背中を押してくれたの?」と疑問に思いフォスター先生に聞いた「あー、そうね。あなたが中学の時、みんなが共有して使う筆。みんな洗わずに休憩に出ていったでしょ。でもあなたは授業がおわって休憩時間になっても全部、丁寧に洗っててくれた。本当に絵が好きなんだなと思ったからからよ。頑張ってね。」と笑顔で先生は私を見送ってくれた。私の人生を変えてくれた美術の先生のおかげで私は美大に入り、卒業し、現在、画家として活動している。先生がいなかったらと考えるとどんな人生を歩んでいたのだろうとふと怖くなる。

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