幼少期4

前回の続き
前回と同じように、差別、犯罪、暴力描写が含まれているとともに、身元が検索されないよう、一部フェイクを使用する場合があるので、予めご了承をいただきたい。

中学二年になった。
テルちゃんは、本来私の通う中学校に進学するところだったが、地域の障害を持つ子ども達が通う学校に進学した。
そのことを聞かされていなかった事もあり、初めは通うのを渋っていたが、大好きなバスに乗れることもあってか、すぐに機嫌よく通学することになった。
私の中学校とテルちゃんのスクールバスの停留所は、自宅からみても真逆の位置、つまり、自宅を通り過ぎないと、中学校には来れない位置だが、私がクラブ活動をする体育館の小窓から覗き、私の帰りを待つようになった。
中学1年の一年間、現れる事は無かったが、進学先の学校で何かあったに違いないと思ったが、私からは何も聞かず、他愛の無い話をして國ちゃんの家へ一緒に帰った。
朝山先生は、國ちゃんの店で、弟をよく知っていたのもあり、招き入れ練習の見学を許可したものだから、毎日やってくるようになった。
これで完全に女の子との下校の夢は砕かれたと、そんな対象の居ない丸坊主は、当時そう考えていた。
私達兄弟に、朝山先生はよく近所にある王将に連れてってくれた。
「なんでも好きなもん頼め」と言う割に先生はあまり頼まなかったので、私達も遠慮をした。
「お前らはガリガリやから、もっと食え」と、めちゃくちゃな量のメニューを頼み、残さず食べないといけなかった。
数年前までは、空腹に泣かされた私達だったが、限界以上に食べるのにも泣かされた。
ある日、テルちゃんがポケットというポケットを駄菓子で一杯にして、中学校に来た。
帰り道、駄菓子を半分あげると差し出された。お金を持っているはずもないので、訳を聞いた。
例によって「大丈夫やで」と答えたので、これはしっかり聞き出さないと大事になると予感し、
「怒らへんから、言うてみ?」と優しく聞いた。
神社の賽銭を盗んで買ったと申し訳なさそうに話したので、昔、近所のお寺の住職さんに聞いた話をした。
うろ覚えではあったが、悪い事、善い事も全部、仏様や御先祖さまは全部見ている。
人が死ぬと、7日毎に裁判があって、7回目の裁判で閻魔大王さまが、極楽か地獄行きかを決めて、悪い事をすると地獄に…
という話の途中から明らかに聞いていなかったので、次やったら殴るぞ、と言い、二人で食べた。悪いお金で買ったものだとは分かっていたが、美味しかった。
私達が小学生の頃の友人達との遊びは、一度帰宅してから学校や公園に集まり遊ぶ。
学校や公園の周りには駄菓子屋があり、帰宅とともに50円だか100円のお小遣いを貰い、遊ぶ合間に菓子を買い食いするのが主だった。
私達はお小遣いが貰えなかったこともあり、気を遣わせないように、遊びたい仲間達とも離れてしまった経験がある。
悪いお金で買ったモノは、返さないといけない。謝りに行かないといけない。ここで悪いことだと分からさなければいけない。
色々と考えはよぎったが、単純に駄菓子が食べたいという欲求に負け、全て食べた。
テルちゃんには、次は無いことと、この事は誰にも言わないことを約束させた。
ちょうど同時期、学校からプリントを渡された。進路調査だった。
3歳上の兄が、高校へ行きたいと懇願した時の反応を覚えていたので、母や義父には相談せずに「進学しない」の欄に〇印を自分で記入した。
翌日、クラブの朝練や授業前には、進路調査の話題で持ち切りだった。
数人からどこを受験するのか聞かれたが、プリントを隠して「どこでもええやんけ」とだけ言い、押し黙る雰囲気に誰も声が掛けられない状況だったと思う。
提出した日、朝山先生から王将へ誘ってもらい、その道中、先生の車の中で、
「高校はなんで行かへんねん?」と問われた。
私達の置かれている状況は何よりも知っているはずの言葉とは思えず意外に感じた。
どうせ叶わないのだから、面倒な話は嫌だと思い、興味が無いから行きたくない、と答えたが、逆に面倒な事になった。
王将へ行くはずの車は、國ちゃんの店に向かい、4人掛けのテーブルに、私達と朝山先生、國ちゃんのオバチャンの4人で話をした。
高校になぜ行きたくないのか、と小一時間問い詰められたが、本当は行きたいのだから、余計に下手な言い訳になり話が進展しなかった。
話の中で、「将来の夢は何か」と問われたが、考えもしたことが無かった。
兄達の事やお金の事は一切話をしなかったが、私に問いかける形で、テルちゃんがこう言った。
「高校行きたいって言うてたんちゃうん?」と。
瞬時に頭を叩いたことで、それが真実であることを伝えた形になり、遂に兄やお金のことを含めて心の想いを全て白状した。
朝山先生から、こう提案があった。
クラブ活動で、このまま良い成績を収められれば、特待生として推薦入試が受けられるかも知れない、と。但し、大会では良い成績が求められるのだと説明があった。
後日、母の説得も朝山先生がやってくれた。改めて貰ったプリントに、高校名を義父が記入したものを提出した。
それからの練習は更に厳しさを増したが、与えられたメニュー以上の練習をした。
最後の大会にて、次勝てば推薦入試が濃厚だという試合に、チームは敗れた。
まだ推薦入試の件がダメになったわけでも、何も決まった訳では無いが、何もかもが嫌になり、その後の生活は荒れた。
バイクの窃盗容疑で捕まり、警察署へ迎えに来てくれた朝山先生から殴打され、國ちゃんの店に連れて行かれ、私、オッチャン、オバチャン、先生の四人で話をした。

次に続きます。

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