妊活について
2017年34歳の時に長男を出産しました。
一年間の育休を取得し、その間に転職活動をしました。
理由としては、自宅からのアクセスに1時間くらいかかることと、
土曜日も出勤があったり、基本定時退社ではありますが
あまり読めずで、不安があったため
自宅から近く、時間がきちんと決まってるところを探しました。
ただフルタイム勤務だったので、
結局負担は大きく
その時の記憶はほぼないくらいいっぱいいっぱいでした。
今考えると,,,なんであんなに必死に働いていたのか?
何に固執していたのか?と。
もちろん夫への負担もかなりのものだったと思います。
そんな夫への気遣いなんてできているわけもなく
日々は過ぎていき。
2年くらいしたらまた2人目考えようかな
と漠然には思い描いていました。
しかしこの状況で2人目のこと考えられるわけもなく。
夫婦もなんだかギスギス。
長男は私にべったりで夫はどうしたらいいのかわからず
という感じでした。
思い返すと『家族』ではなく2対1のような構図になっていた気がします。
本当に申し訳なく思います。
そしてそのまま年月が過ぎ。
私は育休後転職先で1年働きましたが
体力的にしんどくて
全くの異業種に転職。
そして割と自由度も高くなりました。
コロナで事業縮小→転籍
これが好機となりました!!!
同い年の上司ですごく理解があり、
在宅勤務が週2.3回となりました。
精神的にも時間的にも余裕のよっちゃん←古い
過ぎて
長男が年中の半ばくらいから生活が安定しました。
家のことも育児も心の余裕が出て
なんとなく夫婦の関係ものんびりと良くなったような。
原因は完全に私でした(;_;
妻、母が余裕であることが笑顔であることが重要なんだと。
すごく効率的に行動し、要領もいいのですが
子どもへ愛情が全て注がれ
子どもとの関係は良好でした。
しかし夫までは余裕がなく。
本当によくなかったですね。
妊活
さて早速本題ですが
この夫婦暗黒時代に二人目の話になったとき
夫は「無理!考えられない!こんなに大変なのにもういっぱいいっぱい」
とばっさり斬られました。
「はぁ?」と私は思いつつ何も言い返せず
シャッターを下ろされたことに不信感さえ抱いていました。
その後その話にはお互い触れずもやもやを抱えたまま。
しかし余裕が出来て長男も大きくなり私も40歳になり
2023年の6月末頃
最後の賭けとしてLINEで
私「今ももちろん楽しいけどこれで2人目いたらもっと楽しくなりそうじゃない?」
とさらっと送ってみました、、、
ドキドキ
夫「俺も最近そう思ってた~」
わー
わー
わー
私の胸は高鳴り
同じ気持ちだったことはもちろんですが
なんと言ってもきちんと自分の話を受け容れてくれたこと
聞いてくれたこと
前の様にシャッターを一方的におろされなかったこと
が本当にうれしくて
それだけで満たされました。
今でもあの時のことを思い出すと嬉しくて
そして感謝の気持ちで溢れます。
そこからは早いのなんの
40歳という年齢を考え
周りの友だちが不妊治療をしている話を聞いて
翌月の頭にはクリニックを受診
そこから病院へ通い
採卵、移植をしました。
保険適用は移植3回までのチャンス。
採卵でちょうど7個採れ、胚盤胞まで進んだのが
3つ。
これで使い果たすのか~と
結果3回とも陰性。
こんなに大変なんだと年齢の壁も感じました。
そして12月に3回目の陰性が判り
この後どう進めていくか?自己負担となるので
悩みました。
とりあえず年末年始にかかるから採卵など治療はどちらにせよ
お休みになるとのことで。
とりあえずタイミングを取れば?と。
え?うちはレスなので
無理だろうと。
しかしそれを夫に話してみたら
やろう!と笑
で、5年ぶり?くらいに
致しました笑
久しぶり過ぎたけど出来ました。
で、
ウトロゲスタンを年明けまで入れてリセットを待つも
来ず
10日過ぎて病院に電話すると
妊娠しているかもしれないからとにかく検診に来てください。
と。
まさかね
まさかそんなことあるわけないでしょ
と思いながら病院へいくと
「妊娠してるね~」心拍まで確認出来ました。
( ;∀;)涙出ましたよ。
奇跡の妊娠です。
妊活で体を妊娠への準備が整ったのか?
愛なのか?
7月から5か月の妊活で妊娠することが出来ました。
そして今に至ります。
こうして文字に起こすと本当に奇跡だな。
全てに感謝だな
と入院生活も妊娠のマイナートラブルも
乗り越えられます。
ありがとう
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