わたしのこと宵、と言います。 夜が好きなので「宵」 愚直ですね。 ずっと夜が続けばよいのに notesのことnoteには、わたしの思想を載せます。 思索に耽ることがままあるので、稚拙ながらここに綴ろうと。 notesの〝s〟は物書きが続きますように、という祈りです。 わたしとnotesのことわたしのことも、notesのことも、異様に淡泊に感じたでしょう。 わたしは、作品と創造主は乖離してほしい。 作品至上主義と自己透明主義の融合。 この話もまたしたいですね お後
青色こんな夢を見た。 胎内ですでに性別が決まっている世界。男の子は男性になるように、女の子は女性になるように育てられ、子供たちは物心つけば、自ら性を自覚し寄っていく。予定調和。人として始まる前から分化が終わっているようなもの。僕が生きる世界もそうあるべきだったんだ。 春。満開を過ぎた桜は地面に絨毯を編み始めていた。 リンとリツが施設を出た。 「春の嵐に攫われたように、二人とも行ってしまったね。」 「分化は一夜で済むし、そうなったら此処の機能は無意味。まだここに残る人に影響を
地獄悶見上げても角が見えないほどの大きさの鉄の扉がある。それは漆黒の門に嵌められており、扉と門とが鬩ぎあっているが、やはり黒鉄には敵わない。辺りには赤い霧が立ち込めており、視界が不明瞭だった。悲鳴が聞こえたと思わせる床の軋みとともに霧に大きな、とても大きな影ができた。路傍の石のような矮小さを感じさせるほどの体躯を持つ人型の生き物が近づいてくる。接近してわかったが、高官のような装束をしている。私に危害を加えないのは、官位の高さに見合う知性の持ち主だからと納得できるが、一つ奇怪な
目が開く。首だけを動かし、辺りを見る。すぐ横に一冊の本が開いたまま、少し遠くのベッドサイドテーブルに本が数冊積まれたまま。本を読んだまま眠りに入ったことを自覚して、やっと体を起こす。顔を洗おうと洗面台に向かうところまでは常だった。鏡を見たところから異常だった。刹那、自分が虫に見えた。地面を這うはずの虫が立ってこちらを見ているような姿だった。網膜に張り付いて離れなくなる前に頭を切り替えようとする。だんだん音が大きくなる。はじめ、何の音かわからなかったが蛇口から流れる水の音だった
色と形のどちらが確定的だろうか。 色様々な色が存在する。顔料や絵の具でその様々を再現してきた。現代ではコンピュータで色を出力でき、色相、彩度、明度など細かく指定して表現が可能だ。そう、色の出力は自体は確定的なのだ。差異があるのは人の入力機構の方。そもそも色というのは、可視光の反射によるものである、これもほぼ確定的要素。しかし、人には個人差があり、それは眼に関しても例外ではない。人によって見える色、見えない色がある。それが顕著な場合は色覚異常などと呼称されるが今回はそれは本質
自他に対して評価というほど堅苦しいものではないけれど、自分や他者に対して思うことがある。良いものも、悪いものも。 ある人がいる。その人は惹かれる才をもっていて、私はその部分を尊敬している。ただ、その人には悪癖がある。破滅に繋がる、とはいかずとも嫌悪を覚える程度には。 良い部分と悪い部分の存在。これはみなが抱えるものだと思う。 感情の作用良い部分と悪い部分がある。その時、どちらかが、残された一方を否定してないもののように扱う。そんな評価をしている場合があると薄ら感じる。 モー
黒色今は冬。未だ花弁が姿を見せぬ季節。 白と黒を基調とした部屋にいる。目を移せば、明滅を錯覚する配色だ。 外は小雨が降っており、窓を眺めると部屋が透過しているように反射している。僕はそれを眺めていた。 「クオンはどちらの性が良い?」 肩まで伸びた髪をなぞりながら、その子は問う。この子はリツ。最近のトレンドは性であるようで、よく質問をしてくる。僕の周りで一番前向きなのかもしれない。 「性は勝手に決まるものだよ。考えるより、どちらにも備えるほうが現実的だ。」 朴訥に返す。リツは不
現代における自然現代化してからというもの、人口物が増えた。人はそれらの中で生まれ育ち、今を生きている。木々や花々といった所謂、自然は随所で人から乖離している。 昔日における自然緑に囲まれて生活をしていた過去の人々。動植物のほうが人工物より身近だった時代。彼らにとって自然は自然であり、人工物が不自然であった。 自然と不自然の倒錯過去の人には、自然は自然で人工物が不自然。 現代の人には、人工物が自然で自然が不自然。 緩慢な倒錯が時々刻々起きている。次の対象はなんだろうか。
祈りと呪いは、本質的に同じだ 自己満足押し付け合い 祈りとは自他を対象に願い、望みを託す行動が〝祈り〟の原点。 でも自身に対する祈りは言わずもがな、他人への祈りも最後には自分に終着する。そもそも、単なる反芻なのかもれしれない。 手を合わせる行為 祈る際に、手を合わせるーつまり合掌をするーことがある。 神社への参拝やいただきますの挨拶が身近でしょう。 例に挙げた前者が祈り、後者が感謝といった具合。 いただきますは、食べ物に対する感情の現れ。合掌は外部への表現方法として存在
書と毒本は毒であると、考える。 思想の毒性 本は著者の思想によって紡がれる。 本を開けば、始終思想に見える。 文章一つ、言葉一つを切り取っても、そう。 その思想こそが、本に含まれる毒。 読書と蟲毒読書をすれば、他者の思想に安易に触れられる。 ―それは刺激的で、甘美で、蠱惑的― しかし、自分のものでない思想に耽るごとに 貴方は自分の思想に耽ることができなくなる。 だって、他人に思考を委ねているのだから。 故に、読書は服毒足り得る。 多種多様な毒を食み続けたあなた