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アンダーソン、亀井俊介、渡辺靖、穂村弘、都甲幸治

3月はいろいろあった。でもまあ、WBCに尽きる。ね。すごかったよね、WBC。とくに準決勝は今まで見た野球の試合のなかでも、とびきり見事な試合だった。

年度末ということもあり、仕事でも私生活でもいろいろあって、慌ただしかったが、その「いろいろ」の中身はよく思い出せないし、思い出せたとしてもここには詳述できない。まあそんなものだ。そんなものだろ、人生ってのは。とにかく、いまはまだそれについて書くべき時ではない。よほどひどい悲惨を味わわない限り、生活の核心について書くことはないと思う。だからとりあえず読書についてだけ書こう。

3月は僕にしては珍しく、読書に方向性が欲しかったので、とりあえず途中から「アメリカ」というゆるい限定を自分に課した。そういう限定のなかで読むのは苦しいけれど、我慢の先に見えてくるものは確かにある。

穂村弘『ぼくの短歌ノート』

穂村弘を読んだのは「短歌の友人」以来だが、この本も面白い。テーマにそって歌をあげて、それにコメントを加えていく。的確に歌の面白味を掴み取るその手さばきが華麗で、また加えられる批評も切れ味鋭く小気味良い。でもなんとなく「短歌の友人」の方が論考ががっしりとしていて好みだ。あと、196ページの野口あや子の一首の解釈はちょっと納得がいかない。ハンカチを咥えることを若い女性の典型的な動作と捉えるのは少し無理がないか。むしろそういうちょっとした仕草に垣間見える若干の横着さこそ周囲から「極道」とあだ名されている所以に思える。

那須耕介『つたなさの方へ』

いま流通している書物の多くは死んだ誰かによって書かれたものだ。でもふつう「死人が遺したものを読もう」とはあえて意識しない。ただそこにある文字を読んでいる。著者の生死に関わらず、ただ文字を思考の触媒にする。だが、つい最近まで生きていた人がその死の間際に書いた文章を読むとき、僕らは自然といつもとは違った読み方を強いられる。まず文章のなかに脈打つ何かを見つけ出し、そこにまだ彼の遺したぬくもりが残っていることを確かめる。…この本の著者である那須耕介は2021年まで生きていた。そのことをふと思わずにはいられない。

小林佳世子『最後通牒ゲームの謎』

実験経済学の本というよりは、最後通牒ゲームをダシにした、進化心理学の知見のまとめ、みたいな感じだった。人間は協力を得意とする一方で、違反者を見つけることにも長けている。ズルや裏切りに対して敏感で、ゴシップを好み、仲間外れを恐れる、そうしたヒトの普遍的特徴こそが、最後通牒ゲームにおける(ある意味で偽の)気前の良さや利他性の原因だという。市場優先の社会ほどズルが少なく、赤の他人にも友好的であるというのも面白い。この辺のことはジェインジェイコブズの『市場の倫理 統治の倫理』でも述べられていた。

都甲幸治『教養としてのアメリカ短篇小説』

願わくば、なるべく「教養としての…」というタイトルの本にお世話にならない人生でありたいなあ、と思っていたけれども、これは思わず手にとってしまった。実際、読んでよかったと思う。取り上げられる短篇のセレクトもいいし、それを解説する語り口はやわらかくありながら、さりとてただのあらすじ紹介に留まらないクオリティを最後まで保っている。都甲先生と一緒に短編小説を読むという講義スタイルの記述が、そのままアメリカ文学小史も兼ねている、お見事な入門書だと思った。

亀井俊介『ハックルベリー・フィンのアメリカ』

とにかく肩が凝らない文学研究。2017年刊『亀井俊介オーラルヒストリー』の紹介文によれば、著者は「浴衣がけの学問」を目指してきたというが、それを証明するように、本書も終始親しみやすい文章で綴られる。ハックの後世への影響を語る書物としては、同著者の『ハックルベリー・フィンは、いま』の方がより刺激的ではあった。しかしながらハック以前のハック的キャラクターの探索、作家トウェインの伝記的紹介、『ハックルベリー・フィン』の読解といった点において、本書は独自の価値を備えていると言えるだろう。

シャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ、オハイオ』

すばらしい。フィクションを通して本当のことを描こうとしている。夜にのみこまれる町の寂しさ。徒手空拳。叫び声。鬱積したもの。溢れ出るもの。もう閉じ込めようがない。内側から壊れる。どこかへ歩き出そうとする。(きみはこの瞬間に覚えがあるか!その目と耳で記憶しているか!)あれほど喧しかった虫の鳴き声が止んで、それから生ぬるい風が突然つよく吹く。紫色の雲がちぎれて吹き飛ぶ。茂みのなかに逃げ込んだ二人は息を切らしながら口づけをかわすだろう。それでも何が満たされるわけでもないと知っている。誰かが死ぬ。そして若者は町を出る。

森本あんり『キリスト教でたどるアメリカ史』

メイフラワー誓約の話は知っていたけど、その辺の話がキリスト教に絡めて書いてあって、あらためておもしろかった。また信仰復興運動に関しては、同著者の新潮選書『反知性主義』がより詳しくて、なおかつおもしろかったので、この本の記述がなんだか物足りなく感じてしまった。

堀内一史『アメリカと宗教』

「アメリカと宗教」というより、「アメリカ政治とキリスト教」という内容。1920年頃から2010年頃までの政治と宗教における右左の興亡について書かれていて勉強になる。福音派(の宗教右派)のことはなんとなく知っていたけど、それがどんな風に起こり、また政治的影響力をもつに至ったかという変遷が辿れたのが、この本からの収穫だと言える。特に経済的要因による人口流入、具体的には南部福音派のカリフォルニア流入については知らなかった。またケインズ政策の機能不全と同時に、潜在してきた保守勢力が宗教においても台頭してくるという記述も説得的。

渡辺靖『アメリカとは何か』

現代アメリカの分断や混迷の様相が何に由来するのか、あるいはそうした現状の特別視は歴史的にみて正しい認識なのか。難しいテーマながら、適度にやわらかいその筆致によってたのしく読むことができる。まさにアメリカ社会の「いま」を伝えるレポートだ。保守陣営においては、経済保守、社会保守、外交保守が結びついた80年代的なあり方が解体し、権威主義が存在感を強めており、片やリベラル陣営では社会正義を重視するウォーク文化やキャンセル文化も生まれてきた。著者のバランスの取れた目配りには学ぶべきところが多い。

渡辺靖『白人ナショナリズム』

『リバタリアニズム』の姉妹編として面白く読んだ。二大政党の主張のいずれにも自らの代弁者を見出せないという点でリバタリアンと共通点を持ちながら、しかし思想信条の内実はかなり異なる白人ナショナリストたちの姿をルポルタージュ的に活写している。白人ナショナリズムを信奉する人びと、あるいはそこから脱却した人びとの多種多様なあり方が何より面白かった。「白人は脅かされている」という認識に根ざしているがゆえ、自分たちは差別主義者の誹りには当たらないとする彼らの主張が正当かはさておき、その行動指針については理解が深まった。



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