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ゴールデンウィークはSNSから離れる

毎年、ゴールデンウィークといえば、お花見の季節。地元北海道は、そういう地域なのです。今日からゴールデンウィークですが、すでに桜は満開。ちょっと早すぎで、ゴールデンウィークの終わりには、すでに葉桜になるような予感です。

情報の取捨選択

SNSは、うれしい情報が舞い込んできたり、リアルに会っていなくてもお友達とコミュニケーションが取れる便利なツールです。

実際、お友達が行った美味しそうなお店に足を運んでみたり、または私のUPしたスイーツの投稿を見て買いに走ったお友達がいたり、個人でも影響力はあることがわかります。
また、遠方のお友達の近況がわかる事も、メリットのひとつです。元気でいるか、活躍しているのか、距離を超えて知ることができます。

一方で、必要のない情報も入ってきます。タイムラインには、何でも流れてきます。
ある程度は、非表示にしたり、NGワードにしたり、あるいはその人をミュートにしたり、調節は可能です。

私の場合の必要のない情報
・ただの日記(今日何しただけ、だからどうした)
・ペットの画像(ストーリー性がないと、別に可愛いとは思わない)
・見苦しい自撮り(ドアップ、どこにいて何をしているか伝わらないもの)
・お誕生日などのアニバーサリー(社会的に価値ある受賞は広めるべきだが、プライベートに社交辞令は不要)
・番外編 子育て、ダイエットのイベントへのお誘い(子供いません。BMIは20もありません。ペルソナ間違ってますよ)

ちょっと辛口かもしれませんが、私の場合の不快な投稿の例です。
どんどんミュートにしてもいいのですが、それでは何のためにつながったのか意味が分かりません。何を投稿するのかはその人の自由です。
見てどう思うかは、私の勝手です。もちろん私の投稿を不快に感じる方もいらっしゃることでしょう。

自分で判断する

人からの影響は、生きていく上で大きいものです。物の購買は典型的です。かつては社会的に有名な一部の人や、報道関係など、影響力は限られた人からの発信でした。今はインターネットというテクノロジーの発展により、SNSという個人でもメディアを持つようになってから、その影響力は加速していると感じます。

テレビはテレビ局が定めた番組のスケジュールによって放送され、視聴者はそれを一方的に浴びることになります。
SNSも、繋がりのある人が、自由に投稿したものを、自分の意思とは関係なく、目に飛び込んできます。

メディアもSNSも、良い情報を得られます。一方で、必要のない事も流れてきます。それらを全部インプットしていたら、ただの傍観者になるばかりだと思います。

人からの影響は、時には人生の転機となる事もあります。だからこそ、誰から、どんな情報を得るのかが、大事になってくるのではないでしょうか。

自分は、何がしたい、何者なのか、明確に言語化できますか。
それに向かって、行動するためにも、一度情報の入れ方を変えることにします。

まずは、ゴールデンウィークはSNSを見ません。
おそらく、お友達の行楽情報でいっぱいになる事でしょう。それは、その人の楽しみを分かち合ったり、遠方の季節を感じられたりと、楽しい投稿だと思います。
しかし、私はこの1週間だけ、誰かの影響ではなく、自分で判断して、自分のやりたい事に専念する時間にします。

自分で好きなもの選び、自分が心地よいと思える場に身を置くようにします。
誰かのマネでもなく、誰かに見せるためでもなく、自分のため行動します。

SNSは本当に便利なツールです。
しかし、人からの影響に振り回されて、自分で判断する事を忘れかけていると感じます。

さて、この1週間で私はどう変わるのでしょうか。
ゴールデンウィークが終わったら、どんな行動をして、どんな変化があったのか、ここで報告いたします。

有意義なゴールデンウィークにいたしましょう。

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