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難病「多発性硬化症」杖歩行の日々

歩けることは、当たり前ではない

「多発性硬化症」神経がうまく伝達されず、身体の感覚や運動機能が失われる病気。指定難病なので、治療法はなく、進行を遅らせる対処療法をとる場合が多い。

難病は、ある日突然やってくる。

その頃の私は、アロマサロンの開業のために、会社を退職し、起業の準備をしていた。

事務所も決まり、インストラクターの資格も取れ、月契約のお仕事も入ってきて、順調に進んでいた。

毎日出勤する必要はないからとはいえ、生活の時間管理はきちんとしていたはずなのに、なんとも言えないダルさと、気力がわかない。やることはいくらでもあるのに、なぜだろう?

初めは、お腹や背中の痺れや痛み。何だろうと調べてみたら、骨に腫瘍のある病気で将来的には車椅子になる…いやいや、そんなはずはない。

他に該当しそうなのは、帯状疱疹。まだブツブツの発疹は出てきていないが、このピリピリした痛みは、きっとそうだろう。

私は、まず帯状疱疹を疑って、皮膚科に行った。そして1週間薬を飲んで、発疹も出ることなく、治療を終えた。

まだ痛みはあったけれど、時間が解決してくれるとの医師の説明に安心していた。

ところが、痺れる場所が増えてきた。お腹全体が帯で締め付けられたように。そして、ついに右足の感覚がなくなってきた。

膝をぶつけても、全く痛くない。これは、さすがに何かおかしい。

次は、総合病院の神経内科に行き、多発性硬化症の病名を告げられ、すぐに入院するように言われた。

開業したばかりなのだから、入院なんかしている場合じゃない。

医師に「この病気は死ぬの?」と聞いてみた。すると「命には関わらないけれど、コミュニケーションとか取れなくなると思う」との返事。

なんだ、死なないのか。

それなら、たいしたことないと、右足を引きずりながら、帰宅したのだ。

しかし2週間後、両足の麻痺が始まり、さすがにギブアップ。この身体は使いものにならない。お取引き先に休業の連絡をして、すぐに入院した。医師は、私が戻ってくるのを分かっていたかのように、入院の対応はスムーズだった。

入院の予定は、2週間。私は、脚を取り戻して、またサロンの仕事に戻るのだ。そう信じていた。

しかし、まさか脚がこのまま返ってこないまま、今では人生の5分の1を過ごすことになるとは、全く思っていなかった。


寝たきり、杖歩行

入院した私は、骨髄検査の後遺症の激しい頭痛のため、1週間寝たきりだった。頭を上げることができないので、食事は這ったまま食べた。食べないと死ぬ。意地でも生き抜いてやろうと思った。

頭痛が消えて、起き上がれるようになったが、動くのは上半身だけ。腰から下は、塊。ベッドに腰掛けて、向きを変える時は、腕で脚を持ち上げていた。

手の握力も、一桁まで落ちたが、箸は持つ事ができた。食事ができたのか、唯一の救いだった。

治療は効果が出ず、入院期間は2ヶ月に及んだ。

これ以上の回復を見込めないと病院は、私に食事以外の提供をやめ、診察にも来なくなった。

リハビリで、杖歩行まではできるようになったが、一人暮らしで元のアパートに戻って、生きていけるとは思えなかった。

何もしてくれない病院と対照に、以前からの知り合いが、次々とお見舞いに来てくれた。それも、この人に会ってお願いしたいと思ったら、その人が本当に現れるという奇跡。

尋ねてくれた知人は、福祉制度を教えてくれたり、病院より新しい福祉用具のカタログをくれたり、中にはケアマネージャーのように福祉サービスが受けられるように担当になってくれた方もいた。

そして、バリアフリーに改装可能なマンションを見つけてもらい、その改装も別な知り合いの方の会社にしていただき、私は一般社会で自力生活に戻ることができた。


40歳になったばかりの私が、杖を使ってお買い物などに行くと、珍しい物のように見られた。または、逆に見てはいけない物のように、目をそらされた。

私の目から見える社会も一変し、街の中がこんなにも歩きづらくて、階段の使えない身には行けないところでいっぱいだった。

バリアフリーという言葉は知っていたが、こんなにもかけ離れた世界にいるのだと痛感した。

例えば、目の不自由な方にとって大事な点字ブロック。それが歩行困難者にとっては、障害物でしかない。障害を持つ身であっても、お互いに必要なものが違うことに、自分がなるまで全く気が付かなかった。

そして、設備などのハード面だけでなく、目に見えない心のバリアフリーも必要と感じた。

障害者を特別扱いするのではなく、その人に合った対応をするだけの事。障害は個性とか言われたり、障害者を「障がい者」と書いたり、そんな事どうだっていい。そんなこと美化したって、私の症状は変わりはしないのだ。


ダイバーシティ、多様性のある社会

世の中には、いろんな人がいる。障害のある人、そうでない人。食べ物にだって、好き嫌いから、考え方の違いで、食べることのできないものもある。

本当に人それぞれ。私はカレーライスが嫌いで、コーヒーが飲めないのだが、それをおかしい、珍しい、変だと言われることもある。でも、ダメなものはダメ。

この頃は、問答無用でコーヒーを出してくるところも少なくなったが、アレルギーなど命に関わることもあるのだから、そこは先に聞いておくのがマナーではないだろうか。

現在の私は、杖歩行をやめている。理由は、意地悪をされるから。

杖歩行をしていたら、何も持たない時より場所を取るし、歩きも遅い。じゃまに感じる人もいるのでしょう、杖を蹴られることが何度も。大概、高齢の男性。バランスを崩している間にいなくなってしまうので、杖で叩き返すことすらできず。。。

また、優先駐車場に、電車の優先席を使うのも辞めた。優先駐車場に停めた時は「お前みたいなバカが止めるところじゃない」と言われ、杖を出した瞬間消えていく正義感あふれる市民の方。杖を持っていても「あなた若いんでしょう」と、電車で席を譲れと催促してくる高齢の女性には「あなたよりはね」と答えて、席は譲らなかった。

世の中のすべての人に理解してもらいたいわけではないが、もっといろんな人がいる事を知ってほしい。

今も、脚の感覚はなく麻痺したままだけれど、動かすことはできる。体力も健康だった時の1/3くらいかな。それでも、一部の人の醜い感情をぶつけられたり、時には助けられたりしてきたが、もう杖に守ってもらうのはやめて、普通に生きることにした。実際には、自宅もバリアフリー住宅で、行けるところも限られたままですが。

見た目でわからない障害や病気のある人。または、思想や趣向の違いのある人。世の中には、本当にいろんな人がいる。

お互いを尊重して、どんな人も生きやすい社会、ダイバーシティの実現を心から望んでいる。

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