消えそうな一つの命
友達が末期のがんで入院中だ。もう視神経にも影響が出てきているようでスマホも使えないらしい。私からの新年のあいさつは既読がつかないままでいる。
コロナで家族のお見舞いすら10分と制限される中で、友人がいけるわけもなく、また、この後もお別れらしいお別れもできないまま旅立ってしまうかもしれないと思うとさびしさがこみ上げる。
高校時代の3年間、私の学校はクラス替えがなかった。だから3年同じクラスメイトと過ごしたわけだ。その仲良しグループの一人が、残された時間を一人病室で過ごしている。ぼんやりとした意識の中で、自分の人生を振り返っているのだろうか、それとも奇跡を信じて強く生きているのだろうか。
100歳まで生きるのも珍しくない中で、その半分ほどで終えそうな命。
彼女に会えたとして果たしてどんな言葉がかけられようか。
彼女の人生の価値を私が決めることはできないが、傍から見ていて苦しいことの方が多い人生だったのではと想像する。生い立ちのこと、家族のこと、仕事のこと、恋愛のこと。どれも笑って話せるようなことはなかった。そんな中で小さな幸せを見つけては私に話してくれたね。高校時代はよく笑って過ごした。もう戻らない日々だけど。
「世界の中心で、愛をさけぶ」という漫画で、恋人に先立たれた主人公が、「彼女は僕の人生の終わりで待ってる」というセリフがあった。彼女より遅く生まれた彼は、彼女のいない人生を生きたことがなく、彼女のいなくなった人生を生きた後に再び会えると思えば前を向ける、というような意味だった。
若い時にはあまり実感できない言葉だったが、今はなんとなくわかる気がする。でも、彼女には私の人生の終わりで待っていてもらいたくない。
はやく生まれ変わって、一日でも長く続く幸せな次の人生が用意されていたらいいなと思う。負担やプレッシャーや数々の痛みは今世で終わりにして、次はたくさんの愛に囲まれて笑顔で過ごしてほしいと心から願う。
もしそこでまた会えたなら、また一緒にあそぼう。
会えないけれどたくさんの祈りよ。届け。
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