見出し画像

朗読の世界に

合唱をやっていたが、コロナで練習が出来なくなり、1年以上歌っていなかった去年。感染者数も減って練習が再開されたころ、喉が衰えたというか、歌が前のように歌えなくなっていてびっくりした。

これはまずいと思い、個人的に声楽レッスンを受けねばと思っていたが、縁あって朗読の世界にたどり着いた。まったく歌と違うものとしてとらえていたが、共通点も結構あって、歌と朗読 それぞれいいところを伸ばせる気がして、また表現という面においてもかなり勉強になった。

自分の声にはコンプレックスもないが自慢でもないという程度で、特徴も特にあるとは思っていないが、初めての朗読の先生には、声と読み方、どちらもとても褒められて、新しい自分に出会った気分になった。いわゆるアナウンサーのようなきれいな声で淀みなく読む、というのが私の思っていた朗読だったが、非常に内面的で個性が引き出されるものだった。

読み方に生き方がでるといってもいい。逆にうまく読もうとするとわざとらしさが出て指摘されてしまう。邪念が声に出てるらしい。仮につまずいても今のがよかったといわれることもあり、不思議な朗読の世界に足をふみ入れた。

小さくていいから朗読会でも開いてみたらいい、とアドバイスを受けてながらもコロナもあり、私の腰の重さもあり実現せず、最初の先生とのセッションは終わった。

続けたいと思って次に出会った先生もまた、精神的な面を非常に大切にする先生だった。ここでもまた、朗読が私にあっていると勧めてくれ、表現の幅をどんどん広げてくれた。変に小細工をするとすぐにばれてしまうのは前の先生と同じだった。そして、できないなりのところを評価してくれるところも同じだった。毎回心を見透かされるようで緊張もしたが、自分を守っているかたい殻を破る作業が朗読になっていき、これからもっと面白くなりそうだった矢先、先生の事情で教室がお休みに。。。

今日3度目の新しい先生とのレッスンを受けることにした。どんな出会いになるのか楽しみでもある。自分がどう評価されるのか不安でもある。初めてのグループレッスンなのでそれはそれで興味がある。

朗読は誰かに読んであげる行為と思っていたが、いまは自分を知ることだと思っている。おなじ物語でも人によって表現の仕方、声の強弱、高低、息遣いまでちがうのだから。

ひょんなことから出会った朗読の世界。声を出して読むということは簡単ではあるが、それをどう表現して伝えるか、歌と同じ課題を持っているが歌ではない、自分の人生をどうそこにのせていくか、また新しい扉が開くといい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?