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東日本大震災から10年経って思うこと

フィリピン移住は、間違っていなかった。

震災をきっかけに、移住決意が固まった経緯をまとめました。

10年前の今日、私はインドにいました。

当時大学生だった私は、2月末からスタディツアーに参加していて、その日は帰国予定日でした。
早朝の便でニューデリーから香港に向かい、香港を経由して成田に帰るはずでした。

しかし、香港で成田行きの便がキャンセル、振替便も未定なのでとりあえず空港内で待ってほしいと早口で言われました。
今日の日本行きの便は全便キャンセル。そこで初めて震災のことを知りました。
家族に電話は繋がらず、どんな状況なのかもわからない。震源地からそう遠くない場所に家族がいると思うと、落ち着きませんでした。

数時間後、羽田なら翌日の振替便を手配できると言われ、すぐに席を押さえてもらいました。
空港内で一晩明かしましたが、全く寝れませんでした。
待合室のテレビには、家や車が濁流に流されていく映像が繰り返し放送されていました。
原子力発電所がどんなものかも知らなかったので、ただひたすら英語と中国語のテレビを呆然と見ることしかできませんでした。

翌日の午後、香港から羽田に無事飛行機は飛びました。
日本に帰ることができても、そこから先の公共交通機関は全て運休。電車が復旧するまでの2日間、羽田空港で過ごしました。


家族と連絡が取れ、無事を確認したとき、やっと生きたここちがしました。


そして、予定より3日遅れて地元の駅まで着き、家族と再開したときのことは今でも忘れません。

自宅は壁にひびが入り、家具は倒れ、家電は壊れていました。家中散乱したままでした。避難所には行かずに、いつまた地震がきてもいいよう、車の中で寝泊まりしていたそう。

その後しばらく余震が続きましたが、家族も親戚もみんな無事でした。被災した友人達もいましたが、命は無事でした。


政府の対応や震災前後の変化、被災した友人達を見ていて、もうこの国には長く住めない、住みたくないと決意しました。

それから大学卒業後、フィリピンに移住しました。ニートの間親戚の家を転々とし、大学院に入ってからは寮で猛勉強をし、やっぱり合わないと中退して新卒で現地採用になり、マニラで日本語講師をしました。

夫と結婚して娘が生まれて、フィリピンにいる理由が増えました。

あの時、移住を決めたのは間違っていなかったと思います。今でも後悔していません。
フィリピンにも地震はありますし、原子力発電所もありますが、現在稼働はしていません。

2度と同じようことが起こらないよう、10年目の今日、また祈りを捧げます。

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