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身体の運動としての映画〜『ダンシング・チャップリン』

映画『ダンシング・チャップリン』はなかなかの傑作です。
映画とは言葉の劇である以前に何よりも身体の運動としてある。その時カメラもまた息づいている。今ではしばしば忘却されているこの真理を私たちに想起させながら愉しませてくれるのがこの映画です。
映画は二幕にわかれています。

第一幕〈アプローチ〉は、ローラン・プティ振付のバレエ作品『ダンシング・チャップリン』(原題“Charlot danse avec nous”)を映画化するまでの60日間を記録したもの。ダンサーたちのリハーサル風景や周防正行とローラン・プティの打合せの様子などが生き生きとドキュメントされています。第二幕〈バレエ〉は2幕20場から成る舞台作品を1幕13場に再構成した映画作品です。ちなみにその間には5分間の幕間がおかれています。

第一幕の軸を成すのは、バレエでチャップリンを演じるルイジ・ボニーノと草刈民代のリハーサル風景と、周防がヨーロッパでプティと打合わせたり、チャップリンの子息など関係者に話を聴いたりする場面です。

ボニーノの語りも興味深いものですが、何より草刈との稽古の様子を映しだす一連のシークエンスは真剣な雰囲気のなかに二人の強い信頼関係が感じられて映画的興趣にも富んでいます。
しかし。
草刈民代をリフトするシーンで相手の若手ダンサー(ナタナエル・マリー)に経験も筋力も足りないことが露呈してしまう場面ではこの世界の苛酷さがにじみでます。彼の代わりにリエンツ・チャンを呼び寄せることをボニーノや草刈、プロデューサーが相談する生々しい場面がそのあとに続きます。

周防とプティとのやりとりは、まさに〈映画〉と〈バレエ〉が衝突し溶け合っていくプロセスをも同時に浮き彫りにします。
警官たちの踊るシーンはスタジオではなく野外の公園で撮影したいという周防に「ダンサーたちが素晴らしいのだからそれをそのままスタジオで撮るべきだ。そうでなきゃ、私は映画から降りる」ときっぱり拒絶するプティ。通訳をはさんで二人の間に張りつめた空気が漂う。カメラは周防の戸惑う表情をもきっちりと捉えることを忘れません。

かと思えば、第一幕の終わり近く、初演時の舞台公演での記録映像を見ながらプティが涙する場面があらわれます。「目にゴミが入った」と陳腐なセリフを呟きながら周防とともにパソコン画面をみつめるプティの表情を捉えたショットが素晴らしい。
──これは稀代の天才振付師ローラン・プティと映画作家・周防正行との間の緊張と信頼のうえに成立したコラボレーションなのだ、と観客は強く印象づけられて第二幕へと赴くことになります。

第二幕〈バレエ〉はバッハの音楽をバックにボニーノがチャップリンへと「変身」していく《チャップリン~変身》から始まります。

ルイジが首にチュチュを巻き、手にトゥー・シューズを履いて踊る《小さなトゥ・シューズ》はユーモアと哀感にあふれ、この映画の最も印象深いパートのひとつでしょう。いうまでもなくチャップリンがパンにフォークを突き刺して脚に見立てテーブルでダンスを披露した『黄金狂時代』の場面を下敷きにしたものです。

リハーサル中にはリフトされる場面で苦労させられた草刈がリエンツというよきパートナーを得て、最高の笑みを浮かべながら舞う《空中のバリエーション》の美しさ! 周防が「これを撮れただけでも映画を作った意味があると思った」と述懐しているのも納得できます。

草刈がキッドに扮する《キッド》のパ・ド・ドゥもチャップリンの心をそのままバレエ化したような作品。そして、クライマックスともいえる《街の灯》。第一幕で二人が入念にリハーサルしていたのはこのパートでした。ここではスタジオセットも長めの塀をしつらえてあり、二人のドラマティックな踊りがいっそう映えます。

周防はバレエ・シーンを撮影するに際しては派手なカメラワークを極力禁欲しながらも、ここぞという場面ではダンサーと呼吸を合わせるかのような移動撮影や、コマ落としなど最低限のテクニックを使ってバレエの運動性を映画にしていきます。

あえてラストシーンにも触れておきましょう。
一本道をトボトボと歩いていくチャップリンの後ろ姿を捉えたシーン。……いろんな人がパロッたり引用したりして、今や映像の紋切型となってしまったけれど、この映画ではその場面にノスタルジアを超えた清新な生命をあらためて吹き込んだといえるのではないでしょうか。

ルイジ・ボニーノなくしては、バレエ“Charlot danse avec nous”も、映画『ダンシング・チャップリン』も成立しなかったでしょう。そして、草刈民代がバレリーナとして女優として、これほどチャーミングだったとは! もちろんローラン・プティも周防正行もこの映画に参画した誰もが素晴らしい。

一度もダンスをしなかった日は、失われた日であると考えよ! 一度も笑いを誘わなかった真理は、偽りの真理であると思え! (フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラ』より)

*『ダンシング・チャップリン』
監督:周防正行
出演:ルイジ・ボニーノ、草刈民代
映画公開:2011年4月
DVD販売元:東宝

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