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天皇が神から人間になった〜『太陽』

これは不思議な魅力を湛えた映画です。
一言でいえば、終戦直前から敗戦後にかけて、昭和天皇ヒロヒトが「神」から「人間」になる過程を描いたものといえます。その歴史的転換期の天皇自身にスポットを当て、その内的葛藤や孤独感を浮き彫りにするというコンセプトです。
天皇を「人間ドラマ」の主人公とすること。日本人の映画作家には困難だったこの主題にロシア人の映画監督が挑んだ点にこの作品の存在価値があるといえるでしょう。

御前会議に出席するために天皇が軍服に着替えるのを手伝う侍従の、ボタンをつける手が震えるシーンに、天皇の「現人神」としての存在感が表されます。
迷路のような待避壕を行きつ戻りつ移動する天皇の姿は、天皇自身の葛藤や苦悩を暗喩しています。
アルバムを取り出して、皇后や皇太子の写真に接吻をし、さらにはハリウッドの映画俳優のブロマイドを見る天皇は、すでにして一人の「人間」です。

やがて、マッカーサー(ロバート・ドーソン)との会見の日が訪れます。
天皇は、連合軍の決定にすべて従うことを明言。米国の雑誌の写真撮影にも応じます。チャップリンに似ている、とカメラマンたちが口々に言います。海洋生物学者としてマッカーサーになまずの面白さを説こうとしますが、彼は関心を示さずに中座します。

天皇は、広島と長崎に原爆を投下したことを糾弾します。マッカーサーは「私が命令したわけじゃない」と応え、逆に真珠湾攻撃を非難します。天皇は同じく「私が命令したことではない」と切り返します。実際にそのようなやりとりがあったのかどうか知りませんが、そうした応酬が独特の空気感を伴って描かれています。

皇后(桃井かおり)が、疎開先から皇居へと戻ってくる。再会した二人のちょっとちぐはぐな、しかし、安堵感に満ちたやりとりが面白い。二人は大広間で待つ子どもたちのもとへと向かいます。
天皇は、見送る侍従に尋ねます。「人間宣言を録音した若い技師はどうしているのか?」
侍従は答えます。「自決しました」
天皇は、一瞬平常心を失います。しかし皇后に手を引かれて未来の象徴ともいえる皇太子たちのもとへと急ぐのでした。

この映画において徹底されているのは、ロシア人監督の目からみた昭和天皇個人の心の有り様を描くことであり、天皇制というシステムに関する批評的な視点は最初から放棄されているという点です。したがって、この作品を政治的な立場から批判する者がいるとすれば、むしろ「左翼的」な言論人の方でしょう。けれども、いうまでもなく、そうした映画の見方はつまらない。私はなるたけ映画そのものについて語りたい。

監督のアレクサンドル・ソクーロフは、照明や構図、人物配置の細やかな配慮など、すべてのカットに神経を通わせています。全体的にゆったりとしたテンポで、静謐な空気が全編を覆っています。それは今日のハリウッド的な映画文法とは対極をなすものでしょう。
また、ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチの弾くバッハの「無伴奏チェロ組曲第5番」が効果的に使われているのも一興です。

天皇を演じるイッセー尾形が、巧い。マッカーサーとの英語でのやりとりに挟まれる「あっ、そう」「ね」という日本語の間合いや口調は絶妙というほかありません。また、研究所長を呼んで「極光」の解説を聞く場面、最初の挨拶から椅子に腰掛けるまでの二人のやりとりは、コント風の寸劇を見ているようで、何ともユーモラスな雰囲気が醸し出されます。それを取り持つ侍従長役の佐野史郎も、なかなか良い。

ヨーロッパでは絶賛されたらしいですが、さて、日本語の間投詞の細かなニュアンスを解さぬであろう海外の観客に、この作品のセリフ回しの面白さが本当に伝わったのでしょうか。

*『太陽』
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
出演:イッセー尾形、ロバート・ドーソン
映画公開:2005年(日本公開:2006年8月)
DVD販売元:クロックワークス

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