うまくいくなら何でもアリ!?〜『人生万歳!』
ウディ・アレンの記念すべき監督40作目は『人生万歳!』。なんとも陳腐な邦題を付けられたものですが、原題は《Whatever Works(うまくいくなら何でもアリ)》。このフレーズは劇中で登場人物たちによって何度も口にされます。
主人公ボリス(ラリー・デヴィッド)はかつてノーベル賞候補にまでなった天才的物理学者。今ではすっかり落ちぶれて、ニューヨークのオンボロアパートに一人暮らし。厭世的な屁理屈をこね回しては、友人たちから煙たがられています。
そんなボリスの前に南部の田舎町から家出してきた若い娘メロディ(エヴァン・レイチェル・ウッド)があらわれます。寒さに震える彼女を気の毒に思い部屋に招き入れるが、天才とオバカの対話はどうにも噛み合わない。それでもそれが機縁で二人のすれ違いだらけの同居生活が始まります。やがてメロディの両親が相次いで部屋を探しあててやってきます。彼らはいかにも南部出身らしい保守的なキリスト教原理主義者で、ボリスとはもちろん会話が噛み合うはずもありません……。
ボリスの専門は量子力学らしい。それとなくボリスが量子力学にまつわる小難しいセリフを発したりもするのですが、この設定は作品全体の見事な隠喩たりえています。量子力学においては、観測することそれじたいが観測対象に影響を与えてしまうことが知られています。そこでは誰も単なる傍観者にとどまることはできません。
この映画に登場する主要な人物たちは皆、例外なく相互に影響を与え合う。その結果、誰もが最初に登場した時とラストシーンとでは、違った人間になっているのです。あるいは抑圧されてきた潜在的欲望が解放されて、以前よりも自由な人間になったというべきかもしれませんが。
それにしてもウディ・アレンの脚本=演出は本当に洗練されているものかどうか俄には首肯しがたいものがあります。
運命が扉をノックする音楽と聞かされて、メロディがベートーヴェンの交響曲5番のCDをかけるとホントにドアをノックする音が聞こえてきたりする(メロディの母親の登場!)のはどう見てもベタなギャグとしか思えないのですが、ウディ・アレンだからある種のヘタウマとして許されるのでしょう。
「これぞ、ハッピー・エンディング」と最初からキャッチコピーに謳っている大団円の結末にしても、ほとんど無理やりという感じ。もちろん全編これ無理やりな展開なので真面目に突っ込みたくなるような人は最初からウディ・アレンなんて見やしないでしょう。
ボリスがしばしばカメラ(=映画の観客)に向かって話しかける演出は『アニー・ホール』と同じ趣向。バスター・キートンをパロディ化した『カイロの紫のバラ』を含めて、ウディ・アレンは初期の頃から映画のフレームを作中人物たちが意識し、その内と外を自在に往還して表象の階層性を揺るがすような映画を撮ってきました。今なお(70年代に書いた脚本を引っぱり出してきて)性懲りもなくそんなことをやっているウディ・アレンをみていると、彼は映画そのものよりも映画について語ることの方により関心があるのかなと思ってしまいます。むろん映画作家がそのような批評的な態度を好んだとしても悪いはずはないのだけれど。
何はともあれ、本作においては登場人物たちの言葉数の多い会話の妙にコメディとしての面白さは十分に感じられました。それは映画的な感興というよりも文学的な味に近い。
でも、それもこれも“Whatever works”ってことなんでしょう。
*『人生万歳!』
監督:ウディ・アレン
出演:ラリー・デヴィッド、エヴァン・レイチェル・ウッド
映画公開:
DVD販売元:アルバトロス
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