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エリート音楽家たちの素顔〜『ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて』

『ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて』は、同楽団の創立125周年記念として製作されたドキュメンタリー映画。2005年のアジアツアー(北京、ソウル、上海、香港、台北、東京)に密着したもので、音楽監督のサイモン・ラトルや楽団員、ツアーに同行した試験採用中の若き演奏家たちへのインタビューを随所に配した構成になっています。

撮影クルーはよほどの信頼感を勝ち取ったとみえ、移動中の飛行機で爆睡する楽団員、宿泊先のホテルで部屋の手配がうまくいっておらず一人ロビーで待たされる女性楽団員の不機嫌な表情、現地のテレビ局と楽団の事務スタッフのいささか噛み合わない打ち合わせの様子などを捉えて、ファンの「覗き見願望」にも充分応える作りになっています。構成はシンプルなのに最後まで退屈することはありません。

ところで、この種のオーケストラの舞台裏を描いた映像記録はこれまでテレビ番組などでもたくさん作られてきて、とりわけリハーサル風景には何かと印象に残っているものが多い。
カルロス・クライバーがシュターツカペレ・ドレスデン(だったと思う)のブラスセクションに厳しい注文を出している毅然たる態度だとか、カラヤンが椅子にふんぞり返って楽団員の意見に「そんなことはわかっている!」と横柄に答えている様子だとか、小澤征爾がタングルウッドの音楽学生たちに「君たちは巧すぎる、もっとキタナイ音を出せ」と指導しているシーンだとか、たまたま誕生日にリハーサルのあった日、朝比奈隆が練習場に登場するやいなや大阪フィルの楽団員から「ハッピーバースデイ」の演奏で迎えられる麗しい光景だとか、いくつもの名場面珍場面が思い出されます。

それらを記憶している音楽ファンとしては、生半可なシーンではもはや驚いたりはしないのだけれど、本作ではサイモン・ラトルの人間性がにじみでる印象深いやりとりが映し出されています。トーマス・アデスの《アサイラ》という難曲のリハで、パーカッション奏者が指揮者に不平をにじませた表情を示しているのを見てとったラトルが、みずからのミスを率直に認めて練習を再開する場面です。帝王カラヤンの時代は遠く過ぎ去り、指揮者も音楽に参加する一人として謙虚に楽団員と向き合わなければならない時代になったということなのでしょうか。
そのあと、きっちりと音が揃った時にコンサートマスターの安永徹が腕をあげてOKサインを出しているシーンなども、なかなか良いものでした。

個々の楽団員に対するインタビューも通り一遍のものではなく、かなり内容のあるコメントを引き出しています。
あるメンバーが「ベルリン・フィルは周囲からチヤホヤされすぎて、少し不満があると愚痴をいう」などと自己批評しているのも面白かったし、ソリストとしても度々来日しているオーボエ首席奏者のアルブレヒト・マイヤーが子供の頃に吃音で悩んでいたことや試用期間中に感じた精神的重圧などを赤裸々に語っているのも興味深いものでした。

ただしこの映画がベルリン・フィルやクラシック音楽に関心を持たない観客に対してどれほどの悦楽の時間をもたらすものかは保証の限りではありません。
小川紳介のドキュメンタリー・フィルムのように、田圃の畦道を歩いていくお婆さんの後ろ姿を捉えたショットだけで画面に詩情が漂うような純映画的な感興には乏しい気がするし、アジア各都市の風景の切り取り方などは西洋人の安直なエキゾチスムの域を出るものではないように感じられたのも事実。

監督のトマス・グルベはドイツでは期待のドキュメンタリー作家のようですが、フィルモグラフィをみるとベルリン・フィルとのコラボレーションが多い。市井の人々にカメラを向けた作品を一度観てみたいと思います。

*『ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて』
監督:トマス・グルベ
映画公開:2008年(日本公開:2008年11月)
DVD販売元:IMAGICA TV


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