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アフガンの空に凧が舞う〜『君のためなら千回でも』

『君のためなら千回でも』は、1970年代から2000年にかけてのアフガニスタンを主舞台にした映画です。主人公の成長とそれに反比例するかのように戦乱に巻き込まれて荒廃していく国家の姿を機軸にすえて、友情や悔恨、民族差別といった人類普遍の問題に真摯にアプローチした作品といえます。

アミール(ゼキリア・エブラヒミ/ハリド・アブダラ)とハッサン(アウマド・ハーン・マフムードザダ)は大の仲良し。
恒例の凧上げ大会で優勝したアミールは、凧を追いかけていったハッサンを迎えに行く途中で、ハッサンが街の不良たちに暴行を受けているのを目撃します。しかし助けに出ていく勇気を持てず物陰から見ていることしかできなかったアミールは、うしろめたさから次第にハッサンを遠ざけるようになります。ハッサンの父親はアミールの家で働く召使いとして雇われていたのですが、アミールの企みによってハッサン親子はアミールのもとを去っていきます。
やがてソ連がアフガニスタンに侵攻し、アミールは父(ホマユーン・エルシャディ)とともに米国へ亡命します。その道中で、アミールの父は正義と勇気ある態度を示して仲間から感謝されます。

アミールは米国で大学を卒業した後、晴れて小説家としてデビューを果たします。妻(アトッサ・レオーニ)とともに平穏に暮らしていた彼のもとに、アフガンでの恩人(ショーン・トーブ)から電話が。ハッサンに対する悔悟の念を吹き払うため、ハッサンへの友情を再生させるために、アミールはアフガニスタンへと向かいます。
けれでも祖国の地はタリバン独裁政権が支配する荒廃した国家になっていました。そして、ハッサンは……?

細い一本の糸で大地と繋がれ大空に舞う凧は、さながら自由を希求する民衆の願いのシンボルでもあり、同時に大国に翻弄されるアフガニスタンという国家の姿を隠喩しているかのようでもあります。
凧を操る糸は、人と人とをむすびつける紐帯でもあり、さらには国家と個人をつなぐ回路のようにも思えます。そう、これは何よりも私たちの人間社会における「つながり」を描いた映画。

物語のなかでは、アフガニスタン国内でのパシュトゥーン人とハザラ人の確執や差別などにも言及されていて、世界に見捨てられた国家の被害者としての様相だけが描かれているわけではありません。そのことがこの映画をより重層的立体的なものにしています。そのためにアフガニスタン国内では上映禁止になってしまったのだけれど。

本作は、ドイツに生まれスイスで育ち米国で活躍するマーク・フォースター監督が、アフガニスタン人作家の小説をもとに米国企業の資金を得て撮ったものです。その映画を日本人の私たちが観る。映画業界におけるグローバルな「つながり」は、こうした秀作を生み出し鑑賞することを可能ならしめたともいえます。

映画の原題は『The Kite Runner』ですが、作中で発せられるセリフを邦題にした日本の配給会社のセンスも悪くないと思う。「君のためなら千回でも」──そんな風に言いながら自分のために行動してくれた友だちは今でも自分のそばにいるでしょうか?

*『君のためなら千回でも』
監督:マーク・フォースター
出演:ハリド・アブダラ、ゼキリア・エブラヒミ
映画公開:2007年12月(日本公開:2008年2月)
DVD販売元:パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン

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