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そして映画はつづく

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ZAQブログ『コラムニスト宣言』に発表した映画レビュー記事がベース。ZAQ-BLOGariのサービス停止に伴い、記事に加筆修正をほどこしたうえでこちらに移行しました。DVD化され… もっと読む
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木漏れ日を撮る男〜『PERFECT DAYS』

遅ればせながら『PERFECT DAYS』を観ました。 一見かったるい時間の流れ方はヴェンダース40年前の傑作『パリ、テキサス』を想起させますが、ここには良くも悪しくもジャポニスム的な空気が立ち込めています。 その線で感想を記せば「木漏れ日」がもうひとつの主役といいたくなるような映画。 エラ・フランシス・サンダースの『翻訳できない世界のことば』の中に日本語が四つ収録されているのですが、そのうちの一つが「コモレビ=木漏れ日」でした。日本語を母語としない人にとっては「木漏れ

伝説は世紀を跨いで映画になった〜『ボヘミアン・ラプソディ』

遅ればせながら『ボヘミアン・ラプソディ』。 冒頭、ライヴ・エイドのステージに向かうフレディの姿が描写されます。そのシークエンスはラストで反復されますが、同じカットではありません。変化をもたせているのです。この編集の妙は映画全体の成り行きを象徴的に示しているようにも思われ、なかなか秀逸です。 また、フレディがエイズと診断された病院の廊下で、ファンとおぼしき若者から「エーオ」とコールされ、「エーオ」とレスポンスする印象的なシーンがあります。ライヴ・エイドのステージで、今度はフレ

憎しみから始まる戦いは勝てない〜『エルネスト』

「革命」なる言葉が現実的な意味を担って輝いていた時代と国家がありました。1950〜60年代、キューバ。そして、ボリビア。 キューバ革命の歴史的英雄として今もなお多くの人を魅了してやまないエルネスト・チェ・ゲバラ。1967年、ボリビアでの戦線で死亡。今年は没後50年にあたります。 ボリビアでの革命を夢見て、チェ・ゲバラと行動をともにした日系ボリビア人の医学生がいました。フレディ前村ウルタード。『エルネスト』はその実話に基づいた映画です。 波乱に満ちていたであろう彼らの物語を

怒号と銃弾と男たちの哀しみ〜『アウトレイジ 最終章』

シリーズとしては3作目にあたりますが、タイトルにもあるとおり、これが最終作。裏社会に生きる無法者たちの抗争を描いた本シリーズは、PTA的な良識に照らせば若年層の鑑賞には留意が必要な作品であることは確かでしょう。北野武監督自身が言っているように、今の御時世にはこの種のバイオレンス映画は撮ることも見せることも難しくなってきたのかもしれません。 というわけで、本シリーズではとかく暴力シーンと粗暴なセリフが話題になりがちですが、ここでは裏切りや駆け引きなど、あらゆる人間関係で観察さ

語られない真実に宿る真実!?〜『三度目の殺人』

冒頭でいきなり殺人の現場が描かれます。観客は当然それが事件の真実だと思いこみます。けれどもそれが確かな真実なのか、映画の進行とともに揺らいできます。被告の三隅(役所広司)の話が二転三転するからです。最初は犯行事実は認めていたのに、最後には……。あの冒頭のシーンは何だったのか。誰かの幻想なのか。検察官の見た夢なのか。 少し遅れて担当になった弁護士の重盛(福山雅治)は、真実の追求よりも法廷での勝利のみを目指すクールで冷徹なエリート弁護士。事実の可能性が複数あるのなら、依頼人の利

映画と音楽への愛を歌う〜『ラ・ラ・ランド』

『ラ・ラ・ランド』、アカデミー賞では6部門で受賞した話題作ながら内容に関しては何の予備知識もなく観たのですが、本当によく出来たミュージカル映画だと思います。 物語としては、挫折続きのミア(エマ・ストーン)と自分のやりたいことと実際に売れるものとのギャップに苦しむセブ(ライアン・ゴズリング)とのカップリングで、それじたいはありふれたテーマといえます。むしろそうしたシンプルな仕立てだからこそ多くの人にアピールしたといえるかもしれません。 この種のミュージカル作品では、歌い踊る

コンピュータと人間の経験〜『ハドソン川の奇跡』

「ハドソン川の奇跡」のニュースは私にも記憶が残っています。ただその後に「機長の判断と行動は無謀だったのでは?」との観点から国家運輸安全委員会の厳しい追及を受けたことまでは知りませんでした。クリント・イーストウッドも、そうした後日談がなければ映画化することもなかったでしょう。かくして本作は単なる機長の武勇伝としてだけでなく、その後に続く人間ドラマにも熱い視線が注がれることとなりました。 本作では一見すると、無機的なコンピュータ・シミュレーションと経験に基づく人間的なノウハウの

「映画芸術」誌ワーストワンの栄誉に輝いた問題作〜『怒り』

吉田修一を原作に仰いだ李相日の監督作品としては『悪人』に次いで二作目。主演級の役者をそろえた重厚なつくりの作品といえます。 凄惨な殺人事件が発生して一年。警察は整形手術や変装している可能性のある犯人の似顔絵を複数公表します。それに似た顔の男が三人。舞台は沖縄、千葉、東京。 本作は事件の謎解きよりも、むしろ、それぞれにワケアリの三人と三人に深く関わる人びとの苦悩を描き出そうと努めます。作劇としては破綻ギリギリのきわどい構成をとりながら、マイノリティ(基地問題を抱えた沖縄県民

「団地映画」の佳品〜『海よりもまだ深く』

キャッチコピーは「夢見た未来とちがう今を生きる、元家族の物語」。 かつて文学賞を取ったもののその後は鳴かず飛ばずでギャンブル依存症になっている主人公・良多(阿部寛)。いつか団地生活から抜け出せると夢みたけれどこのまま一生を終えそうな母(樹木希林)。幸せな家庭生活を夢見たものの果たせず、良多を見切った元妻(真木よう子)。 そうした大人を見て育ったからか、少年野球のチームに入っている良多の息子(吉澤太陽)は代打で出てもバットを振らずにフォアボール狙い。最初から夢のハードルを下

死者も生者も風の中に〜『岸辺の旅』

黒沢清の映画では、風が見えます。 カーテンがそよ風に優しく揺れていたり、白い布が強風で捲くれ上がるようだったり、人の前髪が不気味にそよいだり。風がいろいろな風情を醸しながら存在感を示す場面が必ずといっていいほど出てきます。私は、黒沢の風を見るたびごとに、何か映画的なことに触れたような気がして満足感を得てきました。そのような映画体験のあり方は奇妙に思われるかもしれないけれど、何かとセリフで重要なことを伝えようとする文学的な映画作品の多いことに、いつの頃からか食傷していたことも裏

イラク戦争の本質を本当に撃ち抜いたのか〜『アメリカン・スナイパー』

『アメリカン・スナイパー』はイラク戦争で「伝説の狙撃手」といわれたクリス・カイルの自伝に基づく映画です。 カイルはアメリカの正義を信じて疑うことを知りません。戦友たちを守ろうとする使命感も揺らぐことはありません。彼は一人またひとりと敵を撃ち倒していくのですが、しかし同時に心も蝕まれていきます……。 何度目かのイラク遠征のあと、帰国しながらも自宅に直行できず、深夜、酒場から妻のもとに電話する場面は切ない。 戦争の英雄とは傷ついた脆弱な個人である──。このテーゼはイーストウッ

異色のミュージカル映画〜『舞妓はレディ』

タイトルからもわかりますやろけど「マイフェアレディ」のパロディ仕立てどす。 まったり。みやび。……京都に対するステレオタイプの描写を蹴飛ばすように、舞妓や男衆やらが軽快に歌い踊りますのや。都々逸から強引に洋舞へと展開しはる場面など理屈抜きに楽しおすな。荒唐無稽なことをいけしゃあしゃあとやってのけるのが映画の醍醐味とちがいますやろか。 オープンセット主体の映像は京都の空気感を今一つ伝えきれていないような、それに設定にも少し無理が……まぁ、そないなイケズなこと言わんかてよろし

それぞれの過ごし方〜『クリスマスのその夜に』

クリスマスは、いうまでなく世界中の誰もが祝う日ではありません。イスラームや仏教には何の意味もない日です。それゆえ、欧米では公共の場所におけるその日の挨拶として「メリー・クリスマス!」に代えて「ハッピー・ホリデー!」という人が増えてきたようです。 ドナルド・トランプの米大統領選勝利に際して、そのような多様な人々に気を使わなくてはならない「ポリティカル・コレクトネス(PC)」に疲れた人々が彼に支持を与えた、という怪しげな分析がメディア上を賑わしたことは記憶に新しいところです。

死に照らし出された生の輝き〜『パレルモ・シューティング』

『ベルリン・天使の詩』で天使を画面に登場させたヴィム・ヴェンダースは『パレルモ・シューティング』において死神を現前させます。いや死神というよりも死そのものを擬人化した存在が姿を見せるというべきでしょうか。 主人公フィン(カンピーノ)は死の観念に取り憑かれている。自殺願望を抱いてさえいる。それが死に対する恐怖の裏返しであることはいうまでもありません。 彼は売れっ子の写真家で、御自慢のライカで写真を撮るとデジタル加工して風景を組み変えていきます。街中ではサインを求められ、携帯