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DOKI DOKIしながら生きている。 #2

「長ーい戦いの途中にいるから勝負はまだわかんない」

アントニオ猪木の話をしたあと、曽我部が話し始めたのは麻雀の話だった。もはやニューアルバム『DOKI DOKI』に関するインタビューという雰囲気でもなくなっている。曽我部は、「いいじゃん。日常会話をそのまま載せる感じで」と言い始めた。
だったらもう、時間が許す限り自由に話していこうと思う。

曽我部 こないだスピードワゴンの小沢(一敬)くんと話してて、麻雀にも世代の移り変わりがあって、若い人たちはデータ主義なんだって。でも、小沢くんは雀鬼って呼ばれた桜井章一さんに心酔してて、データじゃ説明できない何かが麻雀にはあって、その目に見えない何かを認識して、かつ制する人が結局は一番強い人なんだって言ってたのね。

──うんうん。

曽我部 俺は麻雀やらないんだけど、そうなんだって思った。で、そういう人が強いんだけど、麻雀の醍醐味は勝って楽しいじゃなくて、勝っても負けても“勝負すること”そのものが醍醐味なんだって意味だと受け取った。だから、負けるときは負けるときでいいんだと。
毎回毎回絶対に勝つぞ!って打ち方はしないほうがよくて、全部のトータルで勝ててたらいいなってことなんだって。面白いなあ、人生みたいだなあって思った。
そんなことから小沢くんが学んだことは、俺は「まだ」負けてないってことなんだって。

──麻雀は1回だけの勝負じゃなくて、誰かが上がったらまた次の勝負が新たに始まって、次は1回目とは別の人が上がってを繰り返して、最終的にその日のトータルで勝負が決まるから。

曽我部 そう。だから、何回もやってる途中で負けてても、「俺はまだ負けてない」って思えるんだって。そう考えるようになってからは例えば舞台でスベったとしても、「まだ負けてない」って思えるでしょ。長ーい戦いのまだ途中にいるから、まだ負けてない。勝負は、まだわかんない。麻雀はくわしくないけど、それはわかるなー、なるほどなーって思った。

──わかるなー、なるほどなーって思うのは、自分もそういう感覚で生きてるから? まだここからどうなるかわからないっていう。

曽我部 そう。そうだね。「まだ負けてない」っていうね。「まだ負けてない」ってすごく大事なことで、勝ち組・負け組って言葉ができて以降は、「はい。負けた」ってあっさりした勝ち負けが多いじゃない? 「俺の人生、負け組だな」とかさ。うちの子どもを見てても、早々にあきらめてるふしがある。「いや、違うよ!」と思うんだけどね。『いぬやしき』ってマンガ読んだ?

──映画やアニメにもなったマンガだよね。

曽我部 そうそうそう。その『いぬやしき』の最後で、ずっといじめられっ子だった息子がいじめっ子に立ち向かうのね。それは、それまでにお父さんが見せてくれていた姿の影響によるものなんだけど。自分は、そういうことを子どもに対してやるしかないのかなとは思ってる。親って、みんなそうかもしれないけど。音楽もそういうことかな。自分の姿を見てくださいってことだからね。自分はこうだよって。

──今、話してくれたことが、曽我部くんの表現の核なんだよね。「自分はこうだよ」って姿を見せることが。

曽我部 うんうん。でも、楽曲がメッセージを伝える手段とはまったく思わないんだよね。楽曲は自分の幻想であり物語だから。

「旅の歌を作ろうと思った」

「楽曲がメッセージを伝える手段とはまったく思わない」と、曽我部は言った。
それでも、どうしても聞いておきたかったのは、秋ツアーのすべてでライブのラストに演奏され、ニューアルバム『DOKI DOKI』の1曲目に収録された「風船讃歌」のことだ。
初めて聴いたときから、「風船讃歌」はロシアのウクライナ侵攻と重なった。もし曽我部がロシアとウクライナの状況を念頭に「風船讃歌」を書いたのだとしたら、それは妄想でも架空の物語でもなく、メッセージだ。

曽我部 そういうことは全然意識してない。別に、そういうことを歌おうと思ったわけじゃない。
最初に思ったのは、旅の歌を作ろうっていうこと。ただ、「もし核が使われたら第三次世界大戦で人類滅亡だ」って、そんなことを子どもたちが口にする世界なわけじゃん。だから、そんな世界の中での旅でもあるかもね。
チューリップの「心の旅」に影響を受けて書いた曲なんだけど、「心の旅」は二人の逃避行というか、ちょっと’70年代のアメリカンニューシネマの世界じゃん。
「心の旅」からインスパイアはされたけど、「風船讃歌」はあの世界じゃないかもしれないね。もっと孤独で、ひょっとしたら旅の目的地はすでに失くなってるかもしれない。
風船を追いかけて旅をするっていうシンプルなテーマだったけど、意識せずにそういう曲になってたのかもしれないね。
MVを監督してくれた(中村)佳代さんも、大久保くんと同じように受け取ってるかもしれない。“戦時下”の世界っていうか。今、そんな時代に生きているから、どうしてもそういう何かを感じ取るんだと思う。

僕には離婚した元妻との間に、今は離れて暮らしている8歳の娘がいる。
娘の誕生日の夜、町内の灯籠流しのときに作ったという灯籠の写真が僕に送られてきた。その灯籠には、「ウクライナと世界に平和を」と娘の字で書かれていた。ドキッとして、グサッと刺さった。

曽我部 うーん・・・、いろんなことを考えるよね。命の大事さ。命がどう大切なのか? この合法的に殺人が繰り返される世界で。
愛は地球を救うのか? 救わないのかもしれないっていう現実をみんなが目の当たりにする世界で、じゃあ自分たちの今日はどうあるべきなんだろう。
別に“戦争”がなくても、生きるっていうことの意味とか、命があるとか死ぬとか、みんな大事に思ってほしいなって思う。本当は。

「ロボット掃除機が最高に楽しいの」

──アルバムには、曽我部くんが生活の中で感じていたことが無意識であれ表現されていると思うんだけど、今ってどんな生活をしてるんですか?

曽我部 一年で100本ぐらいライブをやってる。ライブがある日はお昼ぐらいに家を出て、現場に行って夜の10時とか11時に帰ってくる感じかな。地方でライブがある日は、車で行って朝方に帰ってくる。
ライブがない日は、普通に音楽の仕事したり、店で売るレコードのポップを書いたり、映画見たり。そんな感じ。子どものいろいろもあるし、ご飯もたまに作ったりするしね。レコーディングがあるときは、スタジオに行って。
ルーティンとしては悪くないというか、楽しませてもらってる感じ。

──いい状態で生活ができている?

曽我部 いい状態でいるようにしてるって感じかな。仕事以外だと、最近は植物を育てることにハマってるから世話をしたり、犬の散歩をしたり。そういうのがいいのかもしれない。
大久保くんもそうだと思うけど、仕事の内容がイレギュラーじゃん? でも、植物や犬には俺らみたいなイレギュラーな生活はない。だから、そういうのがいいのかもしんない。デコボコな自分のリズムに、安定を与えてくれるというか。あとは、家の掃除をしたり。
ルンバじゃないんだけど、ロボット掃除機を買ったのよ。もうねえ、最高に楽しいの(笑)。掃除してるのを見るのも楽しいし、犬の散歩に行って帰ってくるときれいになってるのも嬉しい。5、6万したけど、全然良かったな。完全に元を取ってるよ(笑)。
その掃除機を買う前は、掃除はするけどそこまで念入りにしてなかったし、掃除に喜びを感じてなかった。特に、自分の部屋には機材やレコードやギターがあるから、そこまで徹底的に掃除するわけでもなく。
でも、今はロボット掃除機に1センチ四方でも多く動いてほしいから、ギターやレコードをなるべくベッドとかソファの上に上げて。あーめちゃくちゃ楽しい(笑)。

──口調から、本当に楽しんでいるんだなーと(笑)。

曽我部 植物に霧吹きで水をあげるのも、すごく楽しいよ。喜んでる〜って、(植物たちが)「ありがとう!」って言ってるなーって思う。
あと、メダカを3匹飼い始めて、睡蓮鉢を買った。そこに土を入れて、水草を入れて、その水草も育っていくんだけどさ。最終的には睡蓮を咲かせたいんだけど、難易度が高いから。昔さ、明大前に住んでたときに熱帯魚を飼ってたんだけど、ツアーが入っちゃうとダメなのよ〜。一人暮らしだと、破綻する。
今は前みたいに40ヶ所ツアーとか、2週間も家を空けるとかがないから。空けても2日3日とか。俺は、その感じがいい。今、2週間も家を空けたら安定しなくなりそうだから、絶対に昔の生活には戻りたくない。
田中(貴)とか、逆に出っ放しが好きそうだけどね。ストレス感じなさそう(笑)。

「3人いればなんでもできるって、今はそういう考え方」

──今、田中くんの名前が出たけど、今のサニーデイはバンドの状態としてはどんな感じなんですか? 今の3人になって、2枚のアルバムを作り終えて。

曽我部 ダイクくん(大工原幹雄)が入って全部叩いているのは、今回の『DOKI DOKI』が最初なんだよね。『いいね!』では「コンビニのコーヒー」のドラムを俺が叩いてるし、「日傘をさして」はオータ(コージ)くんが叩いてくれてるから。
バンドにドラムがいるって当たり前なんだけど、3人でどこでもいつでもライブができますっていうのが、今のサニーデイ・サービスの仕事の在り方で。それが初めて確立できたのは大きい。前は、サポートがいないとできなかったから。今は、3人いればどこでもライブができる。

──サポートがいないとできなかったというのは?

曽我部 昔は考え方が違ったんだと思う。アルバムが創作の一個の完成形で、ライブはそれを再現する場だと思ってた。より拡張した状態で再現するというか。だからキーボードもパーカッションも必要だった。
今は、ライブはその日の歌を生まれさせて羽ばたかせるものだと思ってる。その日の歌が、そのステージにあればいい。一人でどんなところでも歌うって日々からそういう哲学が生まれた。だから、3人いれば何でもできるって、今はそういう考え方に変化した。

──田中くんとの間柄は、相変わらずというか。

曽我部 つかず離れず(笑)。話はするよ。ただ、そんなに込み入った話はしないかな(笑)。

──今の3人になって、田中くんのベースも変化してきた?

曽我部 変わってる変わってる。よりアグレッシブになってる。ダイクくんのドラムがああだと、そうなるよ。俺も、ダイクくんのドラムに引っ張られてるから。彼が入ってからは、曲も変わってるはず。ダイクくんが叩く前提で作るからね。

──具体的には、どう変化している?

曽我部 テンポが速くなってると思う。8ビートのロックになってる気がする。
ある日、ダイクくんと久々に再会して、レコーディングに来てもらって、一番最初にやったのが「春の風」なんだけど、ばっちりだったのよ。わー、いいなー!って思った。だから、「春の風」ぐらいのテンポの曲がいいって、どっかで思ってるのかな。
ライブでドラムのほうを向いてダイクくんと目が合うと笑ってくれるんだけど、それが最高でそれだけでいい。その笑顔が見たくて、早くライブやりたいなーって待ってる感じもある。

大工原幹雄 Drums

「クラッシュはパッと出てきて演奏して、そして世界をすっかり変えてしまう」

「風船讃歌」が、チューリップの「心の旅」からインスパイアされてできたという話があった。
曽我部は自分で音楽を作り、表現する人である一方で、他人の音楽をよく聴く人でもある。キャリアを重ねるにつれ、以前より音楽を聴かなくなるミュージシャンは、僕が話を聴く限り少なくない。しかし、曽我部は今もレコード屋に足を運び、新旧の音楽を聴く。それは、僕が知り合った25年以上前からまったく変わらない。
拙著『DIVE INTO EBICHU MUSIC~私立恵比寿中学の素晴らしき音楽の世界~』でインタビューしたときも、取材後にオススメのヒップホップを聞くと、Earl SweatshirtやWiki、Vince Staplesの名前をすぐに挙げてくれた。
『DOKI DOKI』の制作期間中、曽我部はどんな音楽に刺激を受け、それはアルバムのサウンド面のアイデアや描く世界のイメージに、どう作用しているのだろう?

曽我部 ピクシーズとかダイナソーJr.、Rancidとか聴いてた。相変わらずUSヒップホップも聴いてたけど、結局3人の表現になるから、あんまりサウンド面には影響は出てこない。だから、ロックバンドをよく聴いてたかもしれない。ピストルズとか、クラッシュのセカンドも聴いてた。まあそれも相変わらずで、いつも聴いてるものなんだけど。
特に影響があったのは、クラッシュかな。クラッシュは猪木みたいなもの。とにかく本気と書いてマジじゃない? 
クラッシュのファーストアルバムの国内盤のライナーノーツを大貫憲章さんが書いてるんだけど、そこに憲章さんがロンドンでクラッシュのライブを見たときのことが書いてあるの。読んでみると、ダダダって全員でステージに出てきて、唾を吐きながらとにかく攻め込むように演奏して、たまにアンプの上の赤ワインをぐいっと飲む。それで、何も言わずに20分ぐらい演奏して疾風のごとく去っていったって。ボビー・ギレスピーの自伝(『ボビー・ギレスピー自伝 Tenement Kid』/イースト・プレス)にもクラッシュのライブを見たときのことが書いてあるんだけど、ほとんど一緒なの。
俺は、クラッシュのライブを見たことがないの。でも、その光景が理想の音楽像、バンド像としてあるのね。とにかく圧倒的な、理屈じゃない何か。閃光のような。命、って言ってもいいのかもしれない。猪木もそうじゃん。それを目指してるのかもしれない。
うん、クラッシュは大きいかもね。その曲を聴く前とあとで、人生が変わる。世界が変わる。ものの見方が変わる。そういうことなんだと思う。クラッシュとジャムとラモーンズは、そうなんじゃない。パッと出てきて演奏して、そして世界をすっかり変えてしまう。そういうの、いいなあ。俺も本当は、一切(ライブで)しゃべったりしたくないんだ(笑)。

──そうなんだ(笑)。

曽我部 (サニーデイ・サービスのディレクターである)渡邊(文武)さんが、しゃべったほうがいいよ〜って言うのよ。「しゃべらないと、曽我部が機嫌が悪いと思われるから」って(笑)。
俺は、機嫌が悪いと思われてもいいと思ってるんだけど、でも機嫌が悪いと思われることは別にプラスにならないから、ちょっとでもしゃべったほうがいいって言われる。まぁでも、俺がしゃべることでお客さんとの距離が縮まればいいと思うし、もう慣れたよ。

──田中くんとのやりとりが好きなファンは多いと思うよ。

曽我部 本当? 「ありがとう」って気持ちを、どう伝えるかだと思うけどね。MCとかそこで伝える人もいれば、思いっきり演奏して伝える人もいる。ライブだけじゃなく、どの活動でも「ありがとう」ってどうやって言うかってことだと思う。

田中貴 Bass

「どれだけ素直になれるかだと思う」

曽我部は、2019年の映画『アイムクレイジー』で演技に初めて挑戦し、『DOKI DOKI』の制作期間とも重なる2022年4月から配信されたドラマ『それ忘れてくださいって言いましたけど。』にも出演した。
年齢を重ねてなお、未知のジャンルに飛び込むその姿に、僕は数ヶ月前に読んだある記事を思い出す。それは、女優・脚本家・文筆家・歌手として活躍し、40歳で通信制大学を卒業した中江有里の記事だ。そこには、「BS週刊ブックレビュー」という番組で共演した児玉清からかけてもらった、「人間は50から。そこから努力した人が伸びる」という言葉を、彼女が最近よく思い出すということが記されてあった。もともとは画家の中川一政の言葉のようだが、その心は「人は50歳になると先が見えた気がして努力をやめがちだが、だからこそ50歳以降も努力を続けた人が逆に伸びる」というものだ。
50歳を前に演技という未知の表現に踏み込んだ曽我部の姿が、僕の中でその言葉と重なる。

曽我部 (俳優業は音楽にも)影響してるんじゃないかな。演技することってすごくむずかしいことだと学んだし、そう簡単にできないなって思い知ったんだけど、
結局は率直に自分自身を出すかどうかだけなんだと思うのね、たぶん。それって歌でもまったく一緒で、こういうふうに歌ってやろうとか、感動的な感じにしようとか、かっこよく声を出してやろうとか考えると、全部スベっちゃうわけよ。演技もたぶんそうで、率直に自分自身がポーンと出たのがいい演技なんだろうなって、やってみて思った。
でも、なかなかそれはできなくて。悲しいセリフだから悲しく言わなきゃとか、いろいろ考えちゃう。そういうことじゃなくて、率直さ、素直さなんだなあ、と。
ライブも、どれだけ素直になれるか。
そもそも臆病で、人と向き合うのが得意じゃないのよ、俺。だから、もっともっと素直にならないとと思って。上からとか下からじゃなくて、まっすぐ素直にだれかに語りかける。そんなことがなんでちゃんとできないんだろう。
それだけが大事だなーって思ってるけど、歌も演奏もMCも含めてできてないなあ・・・。今は、素直にまっすぐにお客さんと向き合えたら、もうそれでいい。

話し始めてから、1時間以上が経った。話が尽きる様子は、まだまったくない。そして、曽我部恵一との会話は続いていく。

インタビュー・文 大久保和則
写真 水上由季 石垣星児(バナー、田中貴)

第3回「まだ2年目だと思ってるから、このバンド

第1回「また3人でできる曲が増えたなっていう感じ」

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