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別のくにの人

色々大荒れだった。

私は自分のそこがとても偉い、と思うのだけれどそういう理不尽とか不可解から、逃げないタイプで、とにかく時間をかけてきた。

それで、わかったのだった。

たまたま同じ日本語を使っているので分かり合えると思っていた私が間違っていた。

使っている言葉が同じでも、分かり合えるわけではない、ということがわかった。

言葉だけでなく、他にも色々と共通するものがあったので、それを縁(よすが)に、いつか必ず分かり合えて、ハッピーになるはず、と思っていた私が浅はかだった。

例えばシナリオとか小説を書く場合「小道具」ってとても重要だ。その小道具一つで、(例えばずっと仲悪かったけれど、幼い日にお互い一つのイヤリングを片っぽずつ大切に持っていて、それがわかり、本当は仲直りしたいとお互い思っていた、みたいな)解決したり和解したりするのだけど。

リアルは、そんな生やさしいものじゃない。

思い出、と思われる小道具を差し出しても、思い入れがあるのはこちらだけで、相手にはなんの思い入れもなかったりする。

推測だけれど、本当は、相手もそれが「大切」で思い入れはあるのに、私に「そう、それ大切だよね」と同意すると負けてしまう気がするから、決して認めず「そんなの大したことじゃない」という態度をともかく岩のように取り続けている人には、もうどうしていいかわからない。

同じ言葉を喋るけれど別の国に住む人、と思うしかない。

そうすれば、随分腹が立たなくなる。

感情も、波立たない。

私に同意することが「負け」になってしまう人がいる、というのがまず衝撃だったので、そのことに打ちのめされた十数ヶ月だった。

確かに分かり合えていた過去が忘れられず、その過去がキラキラしすぎていて、手放せなかった。

でも、もう終わり。過去は過去。思い出。

お互い、別の国の人になってしまったのだから仕方ない。

私からすれば、相手が出て行ってしまったように思うけれど、よく考えたら、私の方が羽ばたいてしまったのだと思う。

私は、辿り着いたこの国で、大好きな人たちに巡り合い、相手も私を好きでいてくれるこの場所を出る気はない。ここで、もっともっと成長したい。だから、いつまでも別の国で頑なな態度を取り続ける人に時間を割くわけにはいかない。

それでは、誰も幸せにならないから。

そう確信できた。

だから。

それぞれの国で、幸せになりましょう。

ちゃんちゃん。



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