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男子を厨房に入れるには……

今、9歳の長男が2歳だったある日のこと。キッチンに立っていると長男が「手伝うー」と言い出した。えええ。今ですか?今?

その頃の私は、あらゆる家事術の本を読んだり、講習会に行ったりして、家事の効率をよくしようと躍起になっていた。「自分の予定通りに家事を済ませたい」「段取りよく家事を終わらせて、自分の時間をつくろう」「早く、何か書かなくちゃ」

いつもこんなプレッシャーを自分にかけていた。自分のために。だから「ダメ!」と言いたかった。だって、明らかに効率が悪いから。

でも、「やりたい」と言った時がタイミング。その時にやらせないと、「お手伝いって一生すすんでやってくれないよ」と、雑談の中で先輩ママに言われた言葉が頭にこびりついていた。実際、自分を振り返っても思い当たる。わたしはかなり家事を手伝っていた方だと思うけれど、いつもいきなり「手伝って!」と言われて遊びや読書を中止しなければならず、いやいややっていた。愛読書の「赤毛のアン」を読んで、アンが本当に一生懸命マリラの手伝いをするシーンを読むたびに反省したけれど、仕事をしていた母は忙しく、自分がいっぱいいっぱいになると私に手伝いを頼むし、前もって私が手伝いを申し出ると「今はいい」と断れてしまうので悪循環だった。私もキッチンで一人で集中する時間は大切なので母の気持ちもわかるけれど、できれば、負の連鎖は避けたい。

そして10年後、彼らが料理に壁を感じていない方が、私自身がはるかに楽なはず。

私は意を決して、ひき肉が入ったボウルを長男に託した。一応、ハンバーグを作るつもりだった。

踏み台に乗った長男が張り切って尋ねる。「僕、何するー?」「卵、割って?」「はーい!」

グシャ。ああ、カラが入っている。指摘せずにそっと取り去る。

「牛乳、入れて」これは私が測って計量カップを渡す。「はーい!」

それから、パン粉、玉ねぎのみじん切りを入れる。

「混ぜてー!」「はーい!」

アルコール消毒をした手で、長男が肉をこね始める。ほとんど、泥団子作りと一緒の要領。あれ?案外いいかも。私よりも丁寧??

「僕もー!」案の定、次男も参戦。「三分ずつ交代ねー!」タイマーを使って交代させてから「はい、丸めてー!」

6個のハンバーグの予定が、30個のミートボールになった。「うわ、ミートボールになっちゃったよ……」とは思ったけれど「まいっか」とすぐに思いなおす。味は変わんないだろう、そんなに。

息子たちの手はベタベタだけれど、私の手はキレイなまま。なんだか得した気分だ。二人に石鹸で手を洗わせて、手を拭いてから

「ありがとう!ママ、すっごい助かっちゃったー!」

二人ともとても嬉しそう。ニコニコしながらキッチンを出て仲良く遊び始めた。正直言って、周り中にひき肉やらパン粉やらが飛び散っていて、シンクの周りはなかなか見事な景色。でも、これでいいのかなあ、と胸の内はものすごく爽やかで、達成感があった。

それから二人とも、私がキッチンに立つと駆け寄ってくるようになった。正気言って、面倒くさい。教えるのも時間がかかる。一人でパパッとやってしまった方が早いし楽。子供に料理を手取り足取り教えていると、私の貴重な「ひとり時間」がどんどんなくなる。何度やっても、私はその狭間で揺れる。「ダメ!」というか「お願い!」と言うか……。

誘惑に負けたい。ささっと終わらせて読みかけの小説を読みたい。でも、グッと堪える。何度もこらえる。「お願い!」「はーい!」

自分は変えられるけど、他人の気持ちを変えることは基本的に不可能だ。だから相手が「やりたい!」気持ちになった時にその楽しさ、とか親と料理をした嬉しさや「自分で作ったものって美味しいなあ」というような想いが記憶されれば、キッチンへのハードルがグッと下がるはず、と、どこか祈るような気持ちで信じてそれを続けた。

子供たちのハードルを下げるつもりだったけれど、あれは、私のハードルも下げる訓練になっていたのかもしれない、と最近思う。時短も効率も大切だ。でも、「やりたい!」という気持ちを尊重することはもっと大切だと考えるようになった。

最近、百円ショップで息子たち専用のまな板とピーラーを揃えた。今では二人が「やりたい」と言っても安心して任せられる。1月に自宅待機をした時は、豚汁を何度も作ったのだけれど、ゴボウ以外の野菜は手際よく切ってくれてとても助かった。今年の私の誕生日は、主人と三人でフルコースを作ってくれた。

やっぱり「やりたい」時がタイミング。息子たちの気持ちを尊重して、今一番得をしているのは私である。えっへん。




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