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選ばなかった、いとおしいもの

年が明けて元旦を迎えると、ここ数年、思い出す風景がある。

私が子供の頃、元旦は必ず、祖母の家にわらわらと親族が集った。この行事は、誰にとってもほとんど義務といって良く、祖母とは相性の悪い伯母のお婿さんも必ず顔を見せた。祖母は人寄せが好きだったのでしょっちゅう私たちは家に呼ばれていたが、元旦は特別だった。

祖母には成人した子供が四人。一番上が伯母で、下は父たち三兄弟。父は次男だった。四人がそれぞれ結婚して二人ずつ子供がいたから祖母を合わせて十七人。その全員が揃わなければ、お正月じゃない。そんな空気が漂っていた。

一方、ここ数年は、元旦は午前中、自宅でゆっくりお節とお雑煮を食べて、午後から私の実家に行くのが定番だ。
実家では母と弟が待っている。総勢六人。子供は私の子供、二人だけだ。
母も弟も子供たちにお年玉をくれて、ゲームをしてくれたりはするけれど、その光景を見ているといつも、胸がキュッと掴まれるような痛みがある。どうしても、自分の子供時代のお正月と比べてしまう。あれほど忌んでいた親戚の集まりを、懐かしく思う自分がいる。

長男が1歳の頃までは、大阪にある夫の実家に帰っていた。もしも10年早く結婚していたら、夫方の甥っ子たちと息子たちは同じ年頃だ。楽しいお正月の記憶を作ってやることができただろう。もしも私の親がもう10歳若かったら、もっとアクティブにあちこち出かけたり、ゲームを楽しんだりできたかもしれないと思うと、これだけは子供たちに悪いなあ、と毎年思ってしまう。

祖母の4人の子供たちはそれぞれ結婚し、みんな二人ずつ子供がいた。十六人親族が集まれば、みんなバラバラだ。事業で失敗した伯父や、会社のお金をちょろまかしてクビになった従兄、サッカーの都代表になった従弟、仕事はイマイチだけど、母校の運動部の監督をしている伯父、新興宗教にハマった伯母が一同にそろう。

誰も人の話など聞いていない。
ひたすら自分に都合よくアレンジした、自分の話ばかりをしている大人たちを外から見ていると、一体感のようなものが感じられて変な気持ちになった。夫の収入、子供の成績、みんな、小さな背比べをしている。私は確かにあそこにいる人たちとなんらかのつながりがあるけれど、違う。あの中には入れない。そんな思いの方が優っていた。

いとこたちとの交わりは楽しかった。一回り以上も年が離れている上のいとこたちは別にして、下の六人は歳も近く、子供たちだけの部屋が与えられ、お喋りしたり、お菓子を食べたり、ゲームをしたりした。

3つ上の従姉が私を待ち構えていて、覚えたてのピンクレディーの振り付けを教えてくれる。
身振り手振りで教えてくれたそれを、大人たちの前で披露すればやんややんやの喝采だ。気恥ずかしかったけれど、その時は私が主役。秘かに気持ちが踊る時間でもあった。

酒が進むと、大人たちは大抵昔話を始める。
そうなると、私は耳をそば立てて、エピソードを拾うことに集中した。
すでに亡くなっていた祖父と祖母がどこの出身でどんな仕事をしていたのか、ルーツはどこなのか、二人がどうして結婚したのか、というようなことはほとんど知らされていなかった。
でも、元旦はみんな、口がゆるみ、「戦争」とか「親父」「疎開」「火事」「保証人」「テキヤ」「株屋」なんていう言葉が飛び出て、その度に一番上の伯母が得意そうに
「それは私しか知らない話。それはね……」
と話しだす。
途中で、「姉貴、いい加減にしろ」と父が止めて私たちに目配せすると、伯母も話し過ぎたと思うらしく、慌てて口に手を当てた。

ずいぶん後になって、当時は「若くして亡くなった」と聞かされていた祖父が実はまだ存命で、祖父母は離婚していること、祖父はお坊ちゃん育ちで借金の保証人になって財産を失ったこと、その後に戦争に行って7年も帰ってこなかったことなどを私は知るのだけれど、子供の頃は何も知らなかったから、全てが秘密めいているように感じて、お正月は秘密に近づく日でもあった。
おとなの世界を盗み見るような気持ちだったのかもしれない。

いつもはみんなを仕切ってばかりの祖母は、みんながワイワイ話し出すと急に静かになった。そして、自分の子供や孫たちが盛り上がっている風景を少し引いて見ながら「やっぱり兄弟ねえ」とか「いとこってみんなどこか似てるもんねえ」などとしみじみした言葉で言う。
でも、決して輪の中に入ろうとはしなかった。どんな思いで、自分がつないだ人間たちの集まりを見ていたのか、今となってはわからない。
聞いておけばよかった。

「親戚」という言葉は、今でも聞くとうんざりする。

でも、あの元旦の時間はなんとなくいいものだった。「私とは違う」とは思っていたけれど、心の奥底で私は、自分があの人たちと同類のものを持っていることを知っていた。
あの人たちと同じように見栄っ張りで、誰かと自分を比べていた。

私は突然生まれたのではなくて、遠い遠い昔からつながりの果てに生まれいでた存在で、嫌いな親戚とも好きな親戚ともこの世でなんらかの縁があることを、認めたくないけれど、わかっていた。

そういう選べないつながりを感じる場所が、お正月だった。

あれから、数々の選択の果てに、今年もお正月が来た。私の子供たちが過ごすお正月は、至極シンプルで屈託がない。大した秘密もない。見栄を張っても意味のない人しか集まっていない。
昔のお正月と比べると寂しいと思うけれど仕方がない。私は、あのお正月を含めて、選ばなかった。

きっともう、二度と私はあんな風なお正月を過ごさないだろう。あの、見栄っ張りで、自分の自慢ばかりして、ワイドショーのコメンテイターの受け売りをさもさも自分の意見のように吹聴する大人たちがいた、幸せなお正月。そしてまた、来年の1月1日、愛おしく思い出すのだ。

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