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徒然諸々 『ぽろぽろ』と『少女ダダの日記』を読んで

 今週は田中小実昌さんの『ぽろぽろ』とヴァンダ・プシブィルスカさんの『少女ダダの日記』を読みました。『ぽろぽろ』は田中小実昌さんの戦争・従軍体験記です。私、戦争を知らない世代として後世にどう戦争を伝えるかを考えるようになりました。当然水木しげるさん描いた戦争記は読みましたし、『笑点』の司会をしている春風亭昇太さんの師匠の春風亭昇さんの戦争体験記も面白く読みました。その他にも多くの戦争体験記を、兵隊に行った人の気持ちを、感じ方、反戦論へ画一的に針を触れることなく掴むために読んでいます。『ぽろぽろ』は田中小実昌さんの従軍記といより、戦地で見た出来事と戦地から帰ってきて、物語化した戦争のギャップを埋めようとするエッセイに感じました。戦地で体験した辛い話しも悲惨な目に合った話もほとんどありません。だいたいが小実昌さんは戦地ではアメーバ赤痢という病気に罹り、続けてマラリアにも罹り前線か離れたテントに寝ていた時間のほうが多かったようです。生死を分けた状況は鉄砲の弾が飛び交う、大砲の弾が飛び交う戦いではなく、栄養失調で動けない状態で薬もろくにない状態でのベッドの上、体の中での戦いだったようです。ベッドから見えた現地の兵隊の姿を"物語り“化せずに書いたものです。水木しげるさんの戦地での闘病の描写より静かなものですから、少し拍子抜けな感じがなくはないです。
 『少女ダダの日記』はヴァンダさんの故郷ポーランドがドイツに攻められ占領されていた時期の日記です。しかしヴァンダさんは戦争が終わるだいぶ前の1942年八月にドイツ軍からの砲弾に当たり14歳で亡くなっています。42年のあとの45年までのソ連とポーランド分割統治のときの知らないです。そしてそのあとのポーランドの苦難の時代も知りません。
 といったことを頭に入れて読んでも悲しい日記文学です。少女の手による日記文学で有名なのは『アンネの日記』でしょう。つぎに日本で知られているのはベトナム戦争のときの話し『ユンボギ日記』でしょうか。アンネもユンボギもヴァンダも亡くなっているから、一層悲しく感じます。いま『少女ダダの日記』を読むと時期的に、ロシアがウクライナに攻め入っている状況と重なります。ポーランドがウクライナに、ワルシャワがキーウと重なって読めて悲しいです。きっといま、ヴァンダが感じたような辛い思いをウクライナ、キーウに住む少女・少年たちは味わっているんでしょう。一日の早くロシアが兵隊を自国に引き返して戦争が終わることを祈ってつきません。
 それとは別にヴァンダの日記で出てくる『ウクライナ人』と名指しされる人たちには、2グループがあったことが翻訳を行った米川和夫さんの解説でわかりました。似たような残虐な行為をポーランドで行ったわけですが、一方はウクライナ人でしたがもう一方はロシア人だったようです。特に残虐な行為を行ったロシア人は狡猾で、ドイツ軍に命令されたウクライナ人を装ってポーランド人に残虐なことを沢山にしたようです。ポーランドの人たちを拷問した後に殺し、そして家の中の貴重品を根こそぎ持ち去ったようです。
 残虐なウクライナ人は、いまも問題になっている「右翼テロ団体OUN(ウクライナ民族主義者組織)」で、この組織は第二次大戦中はナチスと積極的に組んで民族解放の為に活動してしました。ソ連からウクライナを独立させよとナチスに手を貸し、ポーランドの人に酷い目に合わせたことは許されることではないです。ウクライナ人を装ったロシア人は、B・カミンスキ親衛隊旅団所属のロシア人で、ナチスに捕まった捕虜中でもともと犯罪の係数が高いロシア人捕虜によって結成されたグループらしいです。現在のウクライナの戦争でロシア軍と肩を並べて活躍している、プリゴジン氏率いる民間軍事会社ワグネルのようなものなのかもしれません。ワグネルもロシアの刑務所に居た囚人が多く加わっているとニュースで聞きますから。
 人が行う歴史は変わらないと、使い古された言葉に落ち着くわけではありませんが、似たようなことが70年、80年経ってまた繰り返されていると感じます。ロシア人は前回はポーランドの人を、今回もウクライナの人を苦しめて悲しませています。戦争は負けて、自分たちの国民が全員酷い目に合わないと、悲惨な目に合わないと、反省して反戦の気持ちが胸におこらないのかな。
 結局、読後の感想はこうなってしまいました。

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