アンズ飴 その2
待ち合わせの東京駅に僕は25分ほど早く着いて、彼女を待った。僕は動ける格好ということで、その時期気に入っていた赤い地に白いカサブランカがプリントされたハワイアンシャツ、カーキー色のハーフパンツ、コンバースという姿だった。初デートの硬い感じを外し、かといって派手ではなく、しかもコンサートの楽しい気分をコーディネートに表してみた。
彼女は僕より10分後に来た。この日は肩甲骨までのサラサラとして黒髪は艶があって光り、睫毛もピンと上を向き、瞳はキラキラを今から期待で輝いていた。淡い水色のワンピースは清潔で、下はオフホワイトのスパッツ、メイカーは分からないけど濃紺のデッキシューズの姿だった。
「アロハシャツをどうどう着てる人、初めて見た」
彼女は僕の側にまでくるとニッコと笑った。
「君は今日も素敵だね。ガーリーだし、だけどスポーティーだし」
「ありがとう。もう行く?」
「そうだね。きっとトイレも最初に行っておくと良いだろうし。何か食べ物の出店やアーティストの物販があるから、見て回っても時間はあっという間に潰れるだろうからね」
京葉線で京浜幕張駅に着いて、最初にメイン会場のマ○ンスタジアムに向かい、あとから幕張○ッセに戻って来ようと彼女と話した。
いろいろ食べ物の出店(ソニ飯)を見て回り、彼女は記念に欲しいと出演アーティストのフェスTなどを並んで買っていたら、ヘッドライナーのOAS○Sは見逃した。しかしそのあとは十分に楽しめた。出演者のラインナップのほとんどは忘れてしまったが、楽しかったのだけは今も覚えている。
THE ○LUE ○EARTSがTHE ○IGH-LOWSに変わっていた。そしてTHE HI○H-LO○Sは次の年にザ・ク○マニヨンズに成った。甲○ヒロトが『スーパー○ニックジェットボーイ』で「ロックがもう死んだんなら、そりゃあロックの勝手だろう」と歌っていた。『不○身の花』で「永遠にずっと変わらないなんて 燃えないゴミと一緒じゃないか」と歌っていた。
マキシム○ホルモンがなんか凄くやばくて、とにかくやばくて、僕と彼女の回りはもう狂乱騒ぎで、みんなアホになっていた。
サンボ○スターも演奏が始まるとやばかった。『美しき人○の日々』で「素敵なあなたよ 分かち合ってくれないか 美しき人間の日々」回りにもみくちゃにされながら、僕は彼女の顔を見つめ、彼女と目と目が合うまでステージではなく彼女をを見つめ続けた。あっという間に演奏は終わったが、一緒にロックを見た経験はきっと僕と彼女を強く結びつけてくれるような気がして、ロックフェスに来た経験と興奮より、それらのほうが僕にとって重要に感じた時間だった。
サマー○ニック・東京の会場で23人の運営スタッフが食中毒を起こし、ひどい下痢に苦しんだという後日談があとからニュースとして流れた。そんなのを含めて僕には思いで深い夏の一日になった。
幕張○ッセから京浜幕張駅までおそろしいくらいの行列できていた。駅に入場するまでの時間、僕たちは興奮しながら感想を話した。
だいぶ行列が駅に吸い込まれた頃、少し僕らはしゃべり疲れ黙って前を向いて待っていた。
「ありがとう。今日は楽しかった」
まだ少し興奮が冷めていない、上気した桃色の頬をした彼女は言った。
「なんか直感だったんだ。好きだと告白されたときに、あなたとこの夏どこかに行こうと思ったの」
「ぼくも楽しかった。まさかフェスに女の子と来るとは夏期講習前には想像も出来なかったよ」
「このまま別れるのはなんだか寂しいね」
「そうだね」
会場で、途中何度も手を繋いだ。手を繋がなければ興奮した大勢の人に押し流され、僕と彼女は別れ別れになっていただろうから。そして帰りも当たり前のように手を繋いでいた。駅の入場を待つ間に別れないように。
僕は迷った。僕の今までのデートで初日からキスをするという経験はない。またそういうシチュエーションになったこともない。この時、自然に顔を近づけてキスをすれば出来たかもしれない。だが僕と彼女の回りは大勢の人が囲んでいる。意図せず回りにキスを見せつけることになるだろう。そこまでの恋人関係かと、回りから見られたときに、そうだよと答えられる自信がなかった。
「東京駅に着いたら、どこかで食べていく?」
これが僕の精一杯だった。キスは今度でいい。また近いうちにデートをすれば、次で良いと。僕は考えた。
彼女がガッカリしたのか、ほっとしたのか表情から分からなかった。
「じゃあ、東京駅に着いたら、地下街を少し歩いてみる?」
「うん。歩いてみて店を決める? でも何食べたい?」
「んー……。本当はそんなにお腹すいてないんだ。でも軽くなら大丈夫」
「なら、軽くお酒を飲んで、…また考えるか」
僕は、彼女と僕の未来を信じていた。近い未来、東京駅に着いた未来を。少し遠い未来、もしかしたら結婚に至る未来を。
神様は残酷で、一気にキスにまでいかない僕の勇気のなさに呆れたのか、人生は甘くないと教えたかったのか、東京駅に着くまでに彼女の気持ちが変わっていた。東京駅に着くと彼女は、
「お腹も空いてないし、…私、アルコール、そんなに強くないから。喉カラカラだったところに、身体も少し今日のフェスの疲れがあるから、きっとお酒を飲んだら、凄い酔ってしまうと思うの…」
「コーヒーか、フレッシュなジュースを飲んで休憩してゆくというのでも良いけど。ダメ?」
「ダメてことはないけど。できれば家に早く帰って身体を休めたいかな。明日も夏期講習があるし、遊んでばかりいられないでしょ元々受験生なんだし。今日は良い息抜きができたよね」
「そうだね。明日から。また勉強頑張れそうだね。じゃあ、今度、来週はどこへ息抜きに行く?」
僕のささやかな抵抗だ。予定を決めておく。今日限りというのはご免だ。つなぎ止めて置かないと。
「来週? んー、それは明日に、夏期講習の授業が終わったら(高田馬場)駅前のマックに…、人が大勢いるかもしれないから止めて、…私から明日の深夜までにメールする。良いかしら」
「じゃあメールちょうだい、待ってる。あっ今日もメールする」
「疲れて寝ているかもしれないから、メールの返事は明日の朝でいい?」
「うん。かまわないよ。じゃあ」
「じゃあ…、今日は楽しかった。ありがとう。じゃあね」
当時はスマホがまだ普及してなくて、LINEでは無くて。みんなまだ携帯電話で、メールを打っては交換していた。
僕も家に着く頃はには興奮は冷めていて、冷静なメールを彼女の送った。ただ、彼女との素晴らしい出会いを神様に感謝しているという一文を、恥ずかしいとも思わず最後に入れて送った。メールを読んだ彼女が赤面したか、バカねと思ったか分からないが、僕は彼女に上手くアピール出来た良いメールだと思っていたのは確かだ。
(つづく)
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