見出し画像

アランの『幸福論』が好き過ぎてまた買っちゃった(けど)

電子書籍が半額SALEだったので買ってみたけど、日本人にはピンとこないであろう部分が省いてあって、全93章中の64章しかなかった・・・

1章につき1枚の写真が挿入されてて、写真自体は悪くはないが自分が今までイメージしてたのとはかけ離れてて、良く言えば新鮮、悪く言えば的外れな気がした

自分がこの本にハマったのは、アレクサンドロス大王の少年時代の有名な名馬との出会いのエピソードで始まり、途中でまたその師賦であったアリストテレスが話題にのぼり、その前後にはパスカルやディオゲネスの名も当然のように語られ、エピクテトスと克己主義(ストイシズム)、哲学者でなく医師のプラトンにヒポクラテスによる健康法、そして「バルザックに傾倒するには勇気がいる」とかフランス人なのに詩人としてゲーテとシラーの関係性を語り・・・もう煌めく固有名詞の連打に圧倒されて、ふうふう言いながら読むのが快感だったからだが、それが一切無かったのだ

自分が日々、日本に生きててつまらないと思うのは、興味があるモノが閉ざされてて、何の興味も無いモノを押し付けられるような圧迫感をひしひしと感じる日常がツラいからだが、まさか大好きな本からそれが綺麗さっぱり削除されてるとは、さすがに驚いたわ

でもこれなら日本ではまた売れそうだとも思うけど・・・

がっかりしながら他の手持ちの3冊のアランの『幸福論』を読み比べて、特に全93章の原題が訳者によってどう訳されてるのかなんて、仏語の理解も深まった気がする(気がするだけだろうが・・・)

そこでChatGPTにも手伝ってもらいながら、全93章のタイトルの邦訳ー集英社の白井健三郎、岩波の神谷幹夫、角川の石川湧(わくみ)ー対照表なんて作成してみた

最初の『幸福論』は父親から譲り受けた角川文庫の石川湧訳で、2010年に2冊買い足したのが集英社の白川健三郎訳と岩波文庫の神谷幹夫訳、で、今回のが齋藤慎子(のりこ)訳・・・訳したのかな?それが原典の仏語からでなく、英語からだとしたら、確かに英語版ならば、古代ギリシア・ローマとか、19世紀の仏文学とか、削除されていそうだわな

介護してた時のバイブルでもあった、本物の聖書(バイブル)以上にね

だって、アランの『幸福論』が無かったら、悲惨な状況を乗り越えて来れなかったと思えるわ、酷い惨状に襲われる毎日だったもの・・・でもそこで生きるヒントをくれた


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?