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南の島の星あかり

東日本大震災があった年の夏、長年の念願であった西表島に行く機会を得た。

ネイチャーツアーで夜の森を観察に出かけ、転ばないように気を付けながらヤシガニの子供などを見て喜んでいたのだが、ふと気が付くと人家からも離れ、懐中電灯も点けてはいないのに足元が明るい。

月は出ていないはずだがと思い顔を上げると、そこには文字通り満天の星空。「星明かり」というものが現実にあるのだということを初めて知った。それは「美しい」などという言葉も陳腐過ぎて浮かんで来ないくらいの衝撃だった。
人のなまやさしい思いなどかけらも残さず吹き飛ばしてしまう圧倒的な力。そこにあったのは今まで私が知っていたソラではなく、むき出しの宇宙のはたらきそのものだった。

西表島を後にして、家並みの美しい竹富島という小さな島の民宿で過ごした夜、食事の席で同宿の男性二人と知り合いになった。

ご老人と言ってもいいくらいの年配の男性と壮年期を迎えた息子さんという、このような南国の観光地ではちょっと異色とも言える取り合わせだったので好奇心から声をかけさせていただいたのだが、そのお二人の出身地が震災の津波で壊滅的な被害を受けた場所であることをお聞きした。
素潜り漁をされていたというご老人が海の恋しさを漏らしたところ、息子さんがその気持ちを汲んで、このどこまでも青い海を訪れることになったとのことであった。

震災後の現地の様子は、もちろん報道などでは知っていたとはいうものの、当事者から直接話を聞くのは初めてだった。

言葉を失った。
無口な父親の横で淡々と息子さんが語る生きるための生々しい有り様は、マスコミによって選別された商品としての情報では決して報道されることの無い、凄まじいむきだしの現実そのものだった。

「生きるためには何でもしないといられない」

その言葉にただ頷くしかなかった。

翌日、民宿の親父さんに船を出してもらい珊瑚が美しく広がる沖へと案内してもらった。蒼く広がる空の下、怖いくらい透き通った海で、その親子はいつまでも魚を追い続けていた。

人の思いを遥かに越えた圧倒的な力ではたらき続ける宇宙の運行。

小さな命を守るために日々繰り広げられる壮絶な戦い。

だからどうだという言葉を、あれから何年も経った今でも私は持つことができない。ただ、たまたま訪れた南の島で出会った二つの印象深い出来事が、私のなかに大きく根を下ろしたということ。それだけ。

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