見出し画像

chap.14 No Attack,No Chance

「No Attack,No Chance 」

和訳すると、

「挑戦しなければ、チャンスはない」


先日読んだ本にこのように書いてありました。
何に対してかは置いといて、
これを見るだけでほとんどの方が納得すると思います。
頭では分かっているけど、それを考動に移すとなると躊躇したり、
いざチャレンジしようとしても、リスクを考えてしまって萎縮してしまう。ということをよく耳にするし、そういう人が多いと感じます。特に僕の年代位では。

日本のレーシングドライバーの佐藤琢磨さんもこの言葉を数年前に言っていました。レースを2位で最後の1周に入り、トップの選手を抜こうとしてスピンし壁に激突してしまいましたが、そのチャレンジを観たファンの人々は心を掴まれたそうです。
そしてレース後には「レース場に限らず、常に何かにチャレンジしている。向上心が彼の原動力。難しく見える道でも切り開くことができる特別な才能がある。生まれ持ったものだろう」とドライバー間で言われているそうです。

一流の選手はそう言っているけど、自分の場合は全然違うからなぁ、、、
と思う人もいると思います。
それは、リスキーな事を自ら避けたり、チャレンジする事自体を頭から消したり、いろんな御託を並べている人がほとんどじゃないのかなと。

僕が想うに、チャレンジの大小は本当に関係なくて、
例えば、田舎から都会に環境を変えてみる、自分の知らない所(海外等)に行ってみる、普段読まなさそうなタイトルの本を読んでみる、職を変える、趣味を探しに行く...etc
女性だと、新しい化粧品を買ってみる、美容室を変えてみる、...etc チャレンジできる場面は生活していればいくらでもあるし、それが失敗だと思ったとしても、逆に、前使っていた物の良し悪しだったり、知識が増える事には間違いありません。

サッカーでもシュートを打たないと入りません。
ドリブルで仕掛けないと相手を抜けません。
無駄走りになるかもしれないけど、走らないとボールを受けれません。
矛盾のように聞こえるかもしれませんが、
打てば良いってもんじゃないし、仕掛ければ良いってもんでもなければ、走れば良いってわけでもないです。

ただ闇雲に行動しても意味はないと思っていて、
考動することが重要なんです。

考えて、考動に移して、チャレンジする。

僕自身、高校卒業と同時にヨーロッパに出て全ての時間をサッカーに費やしたいと思っていて、調べたりしていましたが、結局大学に進学しました。当時の自分に戻れるなら、絶対に卒業と同時にヨーロッパに来ます。
18歳の僕はそこでチャレンジすることができませんでした。このチャレンジは今まで育った日本から出るわけで、知り合いもいない言語も違う所に行くと考えた僕にはそう簡単に決断はできず躊躇してしまっていました。
ただ、親には申し訳ないですが、大学を中退させてもらい、今はヨーロッパに住んでいます。
環境を変える事は人間1番腰が重い事だとは思いますが、自分の人生の為に当時20歳の僕は考え、考動し、チャレンジすることができました。

日本でプレイする為にどう過ごすべきか考え、考動し、賛否両論ありますがドイツでチャレンジの真っ只中です‼︎

何か大きな目標があったとして、1つのチャレンジで手の届かない所にあるのであれば、逆算して、まず1段1段で良いと思います。先程も言いましたが、チャレンジする事に大小なんて全く関係ありません。
チャレンジしないと何も手に入れすることはできないので‼︎
今回のnoteの内容でニュアンスが少し似ている言葉を挙げるなら、
「何もせず後悔するなら、やって後悔した方がいい。」
少しニュアンスは似ているのかなと感じました。
後悔というより、体感という表現の方がいいですね。
「何もせず後悔するなら、やって体感した方がいい。」

長くなりましたが、
これを読んで、本当にちっちゃい事でも良いので、チャレンジしようか迷っている人の背中を少しでも押せれていたら、僕としてはとても嬉しいです⭐︎

僕もまだまだチャレンジして行きます‼︎


634⭐︎

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?