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あじのきおく20『りんご』

 今から、林檎について熱く語るのでお付き合いいただきたい。

 林檎は大好きな果物の一つだ。

 そのまま食すのはもちろんのこと、加熱したのが大好物で、料理にも使う。

 晩秋になるとせっせと始めるのが林檎を煮ること。
 これが私の季節行事になったのはいつからだろう。

 そもそもは実家にいた頃からヨーグルトになんやかんやトッピングする習慣があり、それは今も続いている。
 まずバナナやキウイなどの果物を刻み、その上にレーズンと南瓜の種のローストした物、そしてプレーンヨーグルトをかけてさらに黄な粉を大さじ一杯、最後にジャムを大さじ一杯のせる。

 そのジャムを時々手製のものでまかなうのだ。

 とはいえ、安価で手に入った苺、甘夏、杏、林檎くらい。
 適当に刻んで砂糖とあわせて鍋で煮るだけのこと。
 まあ、その『煮るだけ』も重い腰の私はなかなか実行しなくて切羽詰まってからやおら…なのだけど。

 ところで大好きというわりには林檎に対する知識は大雑把で、私の中で林檎の品種は一番のお気に入りである『紅玉』とそれ以外というざっくりした分け方で特に気にしたことはなかった。
 表面がさらっとしていれば『ふじ』で、テカテカ光っていたら『ジョナゴールド』かな? と言う程度。
 本当に愛しているのか、ちょっとそこに座りなさいと問いただしたくなるレベルだ。

 そんな私に最近は新しい品種との出会いがあった。

 まずはイギリスの品種『ブラムリー』。

 イギリスの料理の本をめくるとたいてい見かけるので、ずっと憧れていた林檎だ。
 青りんごでクッキングアップルに分類されており、確かにちょっと切れ端をかじってみたところ爽やかな風味だけど酸っぱくまるっと食べたいかと言われればそれほどでもない。
 砂糖とあわせて加熱してみるとあっという間に面白い程ぐずくずにほどけていく、不思議な林檎で、ジャムにしてみると爽やかさと香りはそのままですっきり清々しい味。
 気に入ったので、機会があれば必ず入手するようになった。

 それと同じく調理用青りんごの『グラニースミス』。

 オーストラリアの改良品種で、こちらは煮崩れしないのでそれを生かした料理が可能。 やはり青りんご特有の爽やかさがたまらない。

 本来ならどちらもパイやケーキの具材にしたりソースを作ると最高だろうなと思いつつ、手に入るのはだいたい数個なので、もれなくジャムとなり早々に平らげてしまう。

 生食、いわゆるデザートアップルで先日あまりの美味しさに驚いたのは、『ぐんま名月』だ。

 これは名前からわかるように日本で作られた黄色系の品種で、日当たりの良いところで育てば一部にほんのり赤みが差していることもある。
 果肉はシャキシャキで、物凄くジューシー…。
 もっとうまい表現はないだろうかと思ったけれど、酸味も甘みも舌触りも今年食べた林檎の中で最高だったと記すしかない。

 ただし執念深いが、『紅玉』は私の中で別格なのでそれは除外しての話。

 『紅玉』は良い。

 なんと言っても調理用基幹品種として百年も日本で愛された、林檎の中の林檎。
 酸っぱくて生食に向かないと言われることがあるけれど、じっくり噛みしめてみると甘さに特化した品種にない、林檎の原種を思わせる力強い風味を感じるため、私はついつい生食してしまう。

 そして皮がずば抜けて赤く、これをそのまま煮ると白い果肉に色がうつり、夕焼けのような茜色に染められていくのが何とも美しいのだ。

 なので、私は紅玉を煮る時は絶対に皮付きのまま鍋に入れる。
 その時の火の加減や砂糖の量そして加えたレモン果汁の影響、そして紅玉自身の表面の色づき具合によって染まる色合いは違うけれど、それがまた楽しい。
 これをきちんと管理して極める人が料理人になるのだろうなと思いつつ、素人の醍醐味と今日も適当な配合で煮込んでいる。

 今更だが、林檎は私が体調の悪い時になんとか食べられるかもしれないものの一つだ。

 お腹が空いているのに口がものを入れることを拒否している状態のとき、ストレートのりんごジュースならなんとか飲み込めることに最近気づいた。

 どうしてかなと考えて思い当たるのは、幼いころに風邪で寝込んだらすりおろした林檎が定番だったこと。
 その名残かもしれない。

 すりおろしりんごが登場する時はもう身動きもままならない状態で、食卓ではなく病床へお盆に載せられ運ばれる。
 ガラスの器に装ってくれたすりおろしりんごは食欲のない私がちびちびと小さなスプーンですくっているうちにどんどん酸化して茶色に変色していくけれど、ちょっとトクベツ感があった。

 負けん気の強さをばねに色々吸収していく兄に比べ、私はだらだらとした子どもだったので、当時若かった母は苛立つことが多く、とにかく毎日叱られていたなと思う。

 それでも、さすがに病気に時は叱られることがない。

 そして、母の自慢の子である兄よりも自分を気にかけてくれることが少しうれしかった。
 だるくて本当は食べる気はしないけれど、ひんやりと冷たく噛むとじんわりとりんごの甘さが口の中に広がる。

 もちろん、すりおろしていない果肉のしゃくしゃくとした歯触りはりんごならではの良さだ。

 元気な時はもちろん、すりおろしりんごを食べたいとは思わない。
 ただ、美味しかったなあと時々思い出す。

 今はもう年を経てお互いにいろいろと落ちつき良好な関係になったからこそ、頭に浮かぶ林檎の思い出だ。
 
 

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