シンエヴァンゲリオン感想個人用メモ(ネタバレあり)

シンエヴァを観ました。
もう一度見に行く前に、頭の中を整理するためのメモです。
ネタバレがあるのでご注意ください。
(3/9 23:55 色々追記しました。パンフも注文したので読んだらまた追記しよ~っと)

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・総論としては、めちゃくちゃ楽しめたしやってほしいことは全部やりきってくれた感覚がある。「エヴァンゲリオン」の畳み方としてこれ以上ないものだったと感じている。

・やっぱ単純に映像表現としてのパワーが凄まじすぎる。冒頭10分程度の戦闘シーンで既に興奮ゲージはMAXを振り切っていた。
シチュエーションがすごいんだよな…壊滅したパリで時間と戦いながらの復旧活動、しかもユーロネルフの残したシステムを使って。周りには絶望的な戦力の敵がひしめき合っていて、頼れるのはヴンダーと8号機だけ。こんなんシビれるに決まっている。

・そのB44(で合ってるのか?)との戦闘で、ヴンダーは両翼に格納している戦艦を使って戦うんだけどそれもスゲぇんだよ。
普通超大型戦艦の両翼に戦艦12個も載せる?よくそんなもん思いついたよ、デンドロビウムにRX-78-2が12体載ってるみたいなもんじゃん。馬鹿かよ。
しかも戦艦として戦うんじゃなくて戦艦に纏わせた装甲で戦うの。大馬鹿かよ。
ネットで感想漁ってるとあんまり語られてないけど、このあたりの戦闘の面白さも凄くレベル高いと思うんだよな…8号機が中に吊り下げられてて、両腕の可動域が人外になっているところとか、そうじゃないと出来ない動きで戦ってて本当に面白かった。ここが一番もっかいみたいかも。

・序盤~中盤にかけてのシンジがゆっくりと回復していくさまが本当に優しくて暖かくて驚いた。ニアサードインパクトで滅んだと思っていた世界でもどうにか生きている人たちがいて、その人達から溢れる生のエネルギーには圧倒される。これを魅力的に映すためにQでさんざシンちゃんのこといじめたんかな。

・第三村の生活は明らかに”生命”がテーマになっている。シンジが目覚めて初めて会った村人は(トウジを除いて)妊婦だし、レイが見かけた猫も妊娠している。観ていくと分かるが、数ヶ月の村での生活の終わりでは、妊婦さんも猫も出産している。
新たに生まれる命とたくましく生きる命、そしてそこでは生きられない、レイという命。誕生から死までの命の在り方がこの村のシークエンスで描かれている。

・アスカとケンスケが同棲じみた生活をしているの、結構ショックだった自分に驚いている。裸のアスカみてもお互い動じないところとか見る限り、やっぱ二人はそういう関係ってことだよね。なんか勝手にNTR食らったみたいな気持ちになっちゃったな。
そっか…俺…アスカのこと…好きだったんだ…

・アスカがワンダースワンでやってるゲームがグンペイなの嬉しかった~
子供の頃デジモンのゲームやるために買ったんだけど、結局親が一緒に買ったグンペイばっかやってたんだよね。面白いよねグンペイ。
破のときは普通のワンダースワンだったけどシンで赤い画面になってたりスティックが変わってたり…直しながら使ってんのかな。よっぽど好きなんだねグンペイ。

・ケンスケの家のクローゼット的な家具に、ウルトラマンの歴代地球防衛軍のステッカーが貼ってあった気がするんだけど、調べた限り俺以外誰もそんなこと言ってない。幻覚…?

・レイが村の生活で色んなことを学んでいくの、ベタベタなんだけど泣いちゃった…やってることはありがちだけど、「綾波レイが」っていう前提がつくだけでこんなに心に刺さってしまうのか…

・シンエヴァのメッセージは、最初「アニメなんかにのめり込んでないで大人になれ」というものなのかなと思ってたけど、観終わってよく考えたらそうでもない気がしてきた。
ゲンドウがイマジネーションインパクト?だっけ?アディショナルインパクト?のことを「虚構と現実を同価値に見ることが出来る人間だけが起こせるもの」みたいな説明をしてたんだよね。アニメや漫画、フィクションの力・尊さを信じていないと出てこない台詞だと思う。

・シン・ゴジラのキャッチコピーも「虚構 対 現実」だったんだよね~。ゴジラというフィクションに対し、現実はどこまで対抗できるのか。
シンエヴァも似たような話なんじゃないかと思う。現実に侵食しうる、社会的な力をつけたエヴァンゲリオンという巨大なフィクションに、現実(我々)はどう立ち向かえばいいのか。っていう話。
答えは、「フィクションも現実の一部なんだから、そこに対した境界線はないよ、互いが互いに力を貰いながら生きていこう」ってことなのかなぁ。
エヴァンゲリオンという世界の中で幸せになれなかった登場人物たちを一人づつ”どこか”に送り出していくシンジ。”どこか”っていうのは、もしかしたら僕たちがいるこの世界なのかもしれない。
レイもアスカもカヲルくんも、この世界で幸せになれるのかもね。

・計画達成寸前まで行ってゲンドウのテンション上がったのか知らんけど、めちゃめちゃワープして煽ってきたりかっこいいポーズでビルに座ってる13号機面白かった。

・(3/9追記)
惣流と式波の折り合いをどうつけるか自分の中で決着ついてないから書いてなかったけど、アスカの持つ人形の中にケンスケがいた事、それだけで心がいっぱいになる。
惣流アスカにとっての人形ってトラウマの塊みたいなものだったじゃん。
母親が精神崩壊して人形をアスカだと思いこむようになって、その母親に自分を見てほしいからエヴァパイロットになったのに、母は最後にはその人形と一緒に首をくくるっていう。
ただ、惣流アスカにとってその人形っていうのは、自分が欲しくてたまらなかった母親の愛を一身に受ける憎むべき存在であり、母の目を通した歪んだ自分自身でもあり、エヴァのパイロットとしてのアイデンティティを獲得するに至るきっかけでもある。間違いなく「嫌なもの」ではあるんだけど、かといって簡単に捨て去ることができないほど、アスカの心に大きく食い込んでいる楔だ。
そんなバックボーンを持つアスカの人形から、心を許した人間が出てくるっていうのは救い以外の何物でもない。
でもそれは惣流アスカの話であって、式波アスカの人形とは関係ないのかもな~とも思ってる(※)。まぁ、シンエヴァがTVアニメ/旧劇への目配せをしてるのは間違いないし、メタ的に繋がりを見出すのはそうおかしな話ではないだろう。2回目見に行ったときにもうちょっと考えてみよう。

※ただし、式波アスカ幼少期のシークエンスではゲンドウの抱っこから逃れて母に甘えるシンジを寂しげな表情で見つめていることから、式波も両親の愛に飢えていたことはわかる。(というかクローンなんだからそもそも両親がいないのか?それとも幼少期の式波アスカはオリジナルの人間で、両親はいたけど関係がよろしくなかったのか。)

・(3/9追記)
綾波シリーズがシンジを好きになるように調整されてるって話が作中でアスカから語られてたけど、このセリフを微妙に聞き逃してしまった…
ネットだと『綾波シリーズだけがシンジを好きになるように調整されている』という話と『綾波シリーズも式波シリーズも同様の調整をされている』って話があって、どっちが正解かわからない…んだけど。
ただ、一つ引っかかってるのは、綾波がLCLになってはじけた後の冬付きのセリフ。
「綾波シリーズのあの個体は無調整だったから、ネルフの外では生きられなかった」みたいなこと言ってたんだよね。
ここで言う「調整」が、単純に『生命維持機能をどんな場所でも発揮できる状態』なのか『生命維持機能の恒常化と、シンジを好きになる という感情の操作まで含めて完成した状態』を指しているのかはわからないけど、後者であれば、あの綾波は感情操作を抜きにして、ただシンジを好きになったって話にならない?
これも救いだよね。どう受け取るかは我々に委ねられてると思うが、俺は救いを選びたいね。

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