見出し画像

ブルアカの先生はなぜ強いのか?

初めまして。
 ブルーアーカイブメインストーリーvol.100最終編「あまねく奇跡の始発点」楽しみですね。1月24日15時現在、ブルーアーカイブはメンテナンス中であり、このメンテナンス終了と同時に最終編2章と聖園ミカの実装が予定されています。
これからどうなるのか、わくわくで考察が止まりませんが、あまりにも実装が早すぎて考察しきる時間がありません。

そこで、あえてこれからの考察は忘れ、現状最も不思議と言っても過言ではない、先生について少し考えておこうと思います。

性質上、ブルーアーカイブのメインストーリーvol.1-4と最終編1章のネタバレが多分に含まれるため、まだメインストーリーを読んでいない方はここでブラウザバックを推奨します。





さて、先生についてはシナリオディレクターのYang Juyoung氏(ピカおじ)が講演で、「先生はプレイヤーそのものである」などと説明していたそうです。

(PV4スタッフロールではNarrative Contents Supervisionと記載されていました。ナラティブという言葉を一言で表すのは難しいですが、直訳すれば物語内容総監督、物語に関わること全ての監督者だと見て良いでしょう)

これはまったくもってその通りだと思います。殆どのストーリーが先生視点で進むことや、先生の姿が描写されないことにも辻褄が合いますね。
 しかし、そのことを念頭に置くと、逆にこうは思いませんか。


「メインストーリーの先生は私たちより大人すぎるし、あまりにも強すぎる」

私たちはモモイを止めず、一緒に危険な廃墟へ行ってあげられるだろうか?
私たちはサオリから連絡が来ないことに対応し、急いで中に入れるだろうか?

もちろん先生は主人公ですから、それだけの強さは持っているはずですし、大人と描写されている以上、大人として行動するのは当然です。
 ただ、vol.1アビドス廃校対策委員会編のアビドス自治区で遭難する先生や、各生徒のモモトークで見られる呑気な、あるいは変態的な先生を見ていると、やっぱり無理なんじゃないかという気もしてきます。
 では、先生はどうしてこんなに強くいられるのでしょうか?


① 先生が生徒たちのためを思って頑張っているだけ


身も蓋もないですが、スマートな回答として、先生が本当に頑張っているだけという説が存在します。もともと先生には、たくさんの自治区や学校から来る依頼や相談を、寝る間も惜しんで解決し続けているという設定があります。例えばバレンタインイベントでも、働き過ぎの先生を心配した生徒が先生にホットチョコを渡すような話がいくつか見受けられました。
 ここまで生徒たちのために頑張れる人なんだから、そりゃあメインストーリーでも頑張れるだろう、という意見は尤も千万です。

ここで考察を終えても良いですが、銃弾で撃たれたまま頑張ったり、大人のカードを使ってまで生徒のために頑張る姿はそれだけでは説明できないようにも感じられるので、もう少し考えてみましょう。(ということにして話を続けます)


② 先生は「生徒を導く存在である」という概念に強化されているから


これはブルーアーカイブという世界の中に「これは学園×青春×物語RPGである」メタ的概念がある、という考察が前提になっています。

(考察といっても、ゲマトリアがときどき提起する設定なので、この概念があることは確実と思われます)


 このうち「学園青春」に内包される「教育者」という概念が、生徒を導く「すごくて強い」存在として定義されているため、この「教育者」の役割を持つ先生もすごくて強い存在になれるのだろう、というのが②で言いたいことです。
 概念によって強くなるとはややこしい話ですが、例えると、RPGでジョブチェンジすることに似ています。遊び人から賢者に転職したとしましょう。遊び人の時のキャラクターと賢者になったキャラクターは同じキャラクターですが、賢者になった時の方がずっと強いですよね。でも、変わったのはそのキャラクターがなんであるかを定義する概念、ジョブだけです。

 先生においても同じようなことが起きています。モモトークや平和なストーリーに登場する先生のジョブは、「いつもの先生」です。しかし、メインストーリーでは学園×青春×物語RPGというジャンルが強く押し出されるため、先生のジョブも「生徒を導く先生」に変わります。そう、「いつもの先生」と「生徒を導く先生」を比べて後者の方が強いのは、それを定義付ける概念が変わったからなのです。

「いつもの先生」が「生徒を導く先生」に


エデン条約編4章でゴルコンダが言っていた「ベアトリーチェは舞台装置になった」というのも、これと同じことが起こっています。ただし、ベアトリーチェの場合はジョブが変わったことで弱くなりました。

ベアトリーチェのジョブチェンジ


 つまり、「子供より強い大人」であったベアトリーチェは、学園×青春×物語RPGのストーリーにおける、「先生と生徒たちが協力して乗り越えられるべき壁」という役割に変わったのです。このような青春物語で、乗り越えられるべき壁を乗り越えないわけがありません。ゴルコンダの言うとおり、ベアトリーチェは敗北必至だったと言えます。

まとめると、先生は「学園×青春×物語RPGの先生」という最強のジョブについたことで、大人という言葉では片付かない凄まじい強化を得ていた、ということになります。




……さて、1週間前ならここで話は終わりだったのですが、最終編の実装に伴って問題が浮上します。
 そう、学園×青春×物語RPGというジャンルが破壊された(と描写された)のです。②ではこのジャンルによって定義された「教育者」として強くなっていたので、これが無くなれば先生は弱くなってしまいます。ところが、先生は弱くなるどころかより強い意志をもって、それでも尚と戦い続けることを決めました。
 では、この強さはどこから来たのでしょうか?


③先生は生徒からの信仰によって強くなっている


私はこの源流が生徒の想いではないかと考えました。「生徒からの信仰」との言葉を用いましたが、これは生徒から先生に対する信頼や尊敬、願い、祈りのようなイメージを纏めた概念です。

先生は本当に多くの生徒たちと交流してきました。その交流の結果どうなったかは、最終編でシッテムの箱に届いていた100件以上の未読メールが象徴しています。生徒たちは会議をすっぽかした先生を怒るのではなく、心配していたのです。
 いままで先生が培ってきた信頼により、生徒たちは先生が決して自分達を裏切らないことを知っています。先生が会議に来ないわけがない、なら何かあったに違いない。故に心配したのです。

この事例が意味するのは、生徒たちが先生に抱いているイメージが、ある1点に収束していることです。そう、

先生は決して生徒を裏切らないし、生徒のためならなんでもしてくれるし、助けを願えば必ず助けてくれる。

というイメージです。
 このイメージはシャーレの当番経験者はもちろん、悪さをしているスケバンたちにも、「とんでもないお人好しだから利用できる」などという形で行き渡っています。

とはいえ、イメージは所詮イメージですから、あったところで何か変わるのでしょうか?

 それについて考えるにあたっては、まず先に少し寄り道をする必要がありました。


それはvol.1アビドス廃校対策委員会編にまで遡ります。
 黒服がたまに生徒のことを神の名前で呼ぶことを覚えているでしょうか?

暁のホルスもといホシノ


 そう、ホシノが言い間違えという形で暁のホルスと呼ばれたり、シロコが狼の神と呼ばれたり、最終編でシロコ(?)がアヌビスと呼ばれたことです。

生徒が神なのかという考察は話がずれるので置いておきますが、少なくともブルーアーカイブにおいて神の存在は重要なキーワードとして据えられていると考えられます。

そして、神にとって存在に欠かせないのが「信仰」です。どんな神でも信仰する人がいなければ歴史の下に消えてしまいます。また、信仰者の多い宗教が、信仰者の少ない宗教の神を貶めて、悪しきものへ堕としてしまうことも茶飯事です。
 神がいるなら必ず信仰が存在する、というのは殆どの創作で用いられているルールだと思います。

ならば、ブルーアーカイブにも信仰、ひいては信仰の力が存在してもおかしくないのではないでしょうか。

さあ、話を先生のことに戻します。
 先程、生徒たちが先生に抱いているイメージがあるという話をしました。私は、これこそが信仰なのだと考えます。豊穣神が畑を豊かにしてくれるように、太陽神が日々を照らしてくれるように、先生が生徒たちを助けてくれるという信仰です。
 先生が万民普遍のイメージ、信仰を受けたことで、先生は「必ず生徒たちを助けてくれる先生」として定義されます。「いつもの先生」は「必ず助けてくれる先生」へと変わるのです。

「いつもの先生」は「必ず助けてくれる先生」に

この画像、先ほども見ましたね。
 学園×青春×物語RPGというジャンルが破壊されたにも関わらず、先生が強化されています。②も③も最終的な結果は変わりませんが、②の場合はジャンルのもたらす概念の定義により、③の場合は生徒の持つイメージの定義により、先生が強化されたのです。

最終編で、ゴルコンダあらためフランシスは、先生を強化するものが②しか存在しないと思ったのではないでしょうか。ところが、先生は②を無くしても③によって強化されていました。フランシスは、先生の見せると思っていなかった予想外の強さに驚愕し、「主人公」と称えたのだと思います。

結論


先生は、生徒の想いで強くなっている。
(めちゃくちゃシンプルだ……)

あとがき

ご覧いただきありがとうございました。もしこの記事を読んで、ブルアカへの認識をより深いものにできたなら幸いです。
 実際のところ、これが正解かどうかはわかりませんが、「神たる生徒に信仰されて強くなる人間の先生」という構図が綺麗なので、個人的な結論としては気に入っています。
 さて、最終編はどうなるでしょうか。

2023年1月24日 15時ごろ
猛吹雪の只中にて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?