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また来られる場所

子どもの居場所でボランティアをしている。色々な関係であまり詳しくは書けないが、ざっくり説明すると面接などがある登録制で、週一回の数時間子どもたちと過ごす、どちらかといえばクローズドな場所だ。勉強、ゲーム、ただぼーっとするだけ……なんでもできる。

この間の金曜日も参加したのだが、いつもの子たちに加え久しぶりに見る顔があった。小学校を卒業したばかりのAちゃんだ。Aちゃんはコミュニケーションが苦手だと自分で言っていた。確かに、見る限りは人の話を聞かないままに自分の話したいことがどんどん溢れてくるので、会話のリズムがうまくとれない。加えて大人にも(軽くだしが)手を出してしまう子なので周囲から少し冷ややかに見られている節があった。その日も色々と小さなトラブルはあったものの、ボードゲームなどをして楽しく遊んだ。
そんなAちゃんが皆より少し早い帰り際に、
「もう引っ越すから二度と来られないんだよね」
と言った。初耳だった。行き先は外国らしく、確かに来られないかと少し寂しい気持ちになった。しかし、その後に続いた言葉は、
「でもここって電話とかしなくても来られるんだよね?」
だった。私は一瞬疑問に思ったけれど、言葉が出て来なかった。誰かが
「外国だからそんな無理に来られないでしょ」
と言ってその場の会話は終わり、Aちゃんは挨拶をして去っていった。

今思うのは、彼女にかけるべき言葉はきっと「無理に来られないね」ではなく、「そうだね、いつでもここは開いてるよ」だった。
Aちゃんは自分本位の言動の割には、何か言い返されるとすぐに泣いてしまうような脆さも持ち合わせる子だった。Aちゃんから発された言葉も手も、その自分の脆さを隠すように大きく振る舞っている結果のように私には見えた。無理をしているから穴がいくつもあって、その一つから溢れたのが、先程の一見矛盾のようにもとれる台詞だったのだと思う。だから、現実的な話としてではなく、子どもの居場所に関わる者として、その子に対し「またここに来られるんだ」という安心を与えられるような言葉を返さねばならなかった気がしている。何もできなかった自分が悔しい。
Aちゃんにはもう良い環境に恵まれますように、と願うことしかできないかもしれないが、もし戻ってきた時には笑顔で迎えたいと思う。

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