入市被爆者の中村茂さんのこと


 私の郷里の広島県神石高原町で昨年、111歳で亡くなられた中村茂さんの事は各マスコミも報じてはいるが、中村さんが白血病を発症されていた事は、あまり報じられていない。

 なので、ここでは、中村さんご自身の原爆被爆体験手記を紹介してみよう。これはおそらく地元の中国新聞でさえ報じていないかも知れないので時系列で足取りを追ってみる事にする。

 まず、上の中村さんご自身の被爆体験記から帰京後に白血病を発症された事が書かれている。そして、一緒に行かれたのは高蓋の川上さんで帰郷後に頭髪の脱毛、高熱で一ヶ月にわたって休まれている。
 最初に中村さんたちは甲奴郡上下(現・府中市上下町)からトラックで9日に出発され、その日の夕刻には広島市の横川に近い三滝病院の裏の竹藪で野営されている。

 その翌日の10日から爆心地に近い本川小学校に行かれて焼け跡のガレキ処理の作業をされている。おそらくこの時からガレキによる吸引被ばくも考えられる。

 私は病院通いもされていた中村さんが長寿であったのは、理由があったと考えている。私の郷里において小畠に現在では人口の割には大きな病院も設立されてもいる。

小畠には原爆投下時には診療所が被爆者の人たちの診療も引き受けてもいた。20歳で被ばくされ、35歳で心臓病で亡くなられた安子(矢須子)さんもそうだった。


(つづく

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