パッチギという意味が何を指しているか


 パッチギという映画が2005年の正月明けに公開された。そして、韓国でも翌年上映され、キネマ旬報ベストテン1位、毎日映画コンクール最優秀作品賞、ブルーリボン賞作品賞を受賞している。そして監督は井筒和幸氏であった。
 さて、「パッチギ」とはもちろん日本語ではなく朝鮮語で「박치기」と書き、日本語で知られている意味は「頭突き」と解釈される場合が多く、映画「パッチギ」においても日本人の高校生と朝鮮学校の乱闘騒ぎで「頭突き」のシーンがあり、私的にはあまり好ましくないと思ってはいるが、この映画には必要不可欠なシーンでもあり、一応は許さざるを得ないと思っている。   それは、この映画から日本が朝鮮半島を支配し、韓国併合という理屈をつけて、実際には下のパッチギの動画にも表現されているが、田畑を奪われて、日本に連れて来られて低賃金で強制労働を余儀なくされた。というシーンが使われている。

  さて、「パッチギ」の意味は「頭突き」だけの意味でとどまらないということでもあるが、井筒監督はそれも解っていたと私は思う。それは「パッチギ」とは「乗り越え」だろう。そのシーンも使われている。
朝鮮半島を二つに分けた理由は日本に主な原因があるからだ。こういう事を書くと批判されるだろうが、良く考えて欲しい。例えば出演者の一人でもある、「オダギリジョー」や家族が主演の松山に「イムジン河」の歌を教える時に、朝鮮半島を横に横断する「イムジン河」が何を意味するかなどのシーンだ。ここで、映画の中での「イムジン河の歌」と別に「悲しくてやりきれない」を聞いてみよう。


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