神戸大空襲とアニメ「火垂るの墓」から何が読めるか

 神戸大空襲は先の大戦末期1945年の1月3日から敗戦までの約8ヶ月間に大小合わせて128回という莫大の回数で米軍機による無差別攻撃を受けて特に2月4日の焼夷弾爆撃や機銃掃射で、これは東京大空襲への実験であったとされています。そして、その無差別攻撃の痕跡が今でも三ノ宮駅の鉄骨に残されています。

 さて、この神戸大空襲をもとに書かれたのが野坂昭如の「火垂る墓」ですが、アニメ化され映画化公開は1988年4月16日でキャッチコピーは「4歳と14歳で、生きようと思った」とされていて、アニメ映画の最初シーンは兄の清太が三ノ宮駅の中の丸柱に背凭れて衰弱餓死し、幽霊としてあらわれ「僕は死んだ」というナレーションから始まります。

 ただ、原作においては「幽霊」の存在は書かれてはいませんが、このアニメ映画は多くの人が涙し、感動したのは間違いはありません。しかし、不思議に思うシーンもあります。それは妹の節子が防空壕で衰弱死し、清太が荼毘に臥す時にも涙も流さないことです。

そして、原作者の野坂昭如は次のように書いています。

 それは、いわゆる、アニメ化された作品と原作の違いは何なのかということですが、先述したように「幽霊」の存在もさることながら、涙を流さない清太の考えは当時の学校教育の中にもあったということでしょう。例えば原爆投下後に被爆死した妹を負ぶって焼き場に佇む少年もそうでした。

 そして、前川喜平さんが指摘されていますが、このような学校教育が敗戦後の今でも続いているといういう事です。下の動画をご覧下さい。


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